(2)
「んじゃ、行ってきます」
源じぃと綾ばぁに見送られ、静樹は健やかな春の日差しの下、新しい学校へと歩き出した。登校時間はだいたい20分ほど。これは前の学校とほぼ変わらない。ただその道ゆきは全然違う。
コンクリートジャングルに電車を乗り換え登校していた頃の人込みはもうない。学校までの道は、ともすれば地平線が見えるのではないかと言うほど開きいていた。鼻を刺す排気ガスの代わりに土と緑の香りが鼻をくすぐり、耳をつんざく車や人の雑踏の代わりに朝風が草をなでる音や鳥の声が世界を奏でる。
これだけで、田舎に引っ越してきたおつりがくる。自然と鼻歌が漏れる。しかも人の耳を気にすることもない。学校初日としては最高の通学日和だ。
10分ほど歩くと、昨日ノコたちに案内された商店街に出た。都心ならこの時間も人影が絶えなかったが、この町の商店街は朝一の仕込みがいらない店はまだゆっくりと眠っている。
もう少し進むと、学生服が目立つようになってきた。当然、静樹の知らない顔ばかりだ。新学期とあって、登校する学生の表情は様々。春休みが終わったことを悲しむ顔もあれば、「クラス替え、どうなるかな」などと騒ぐ女子の姿もある。
新しい高校に、静樹は一度だけ下見に来ていた。田舎の高校だが、数年前に改築したおかげでかなり新しくて綺麗な印象だった。それと、驚くほど土地が広い。都心の高校とは大違いだったイメージがまだ残っている。
そんな高校に、今日から自分は転校生として顔を出す。準備は万端。熟読した『今日から君も転校』はしっかりとカバンに入っている。この手のマニュアル本は静樹はけっこう好きだ。全部が全部当たっているとも思わないが、参考になる部分はたくさんある。
緊張と好奇心が半々で混ざり合い、静樹の足を速めた。
八斗高校は、今は新緑が青々しいイチョウ並木の坂を登った上にある。ただ、坂を上るにつれ、校門と一緒におかしなものが見えてきた。
校門から生徒玄関までの間を占領する、何十人という生徒たち。なんだ? この学校では始業式にこんな儀式でもあるのか? 校門前で思わず足を止めた静樹が首を捻る。
いや、そう言うことではないらしい。というか、見たくないものが静樹の目に飛び込んできた。
「とと、なにやってんだ? アイツら」
こちらの姿を見られる前に、静樹が『始業式』と書かれた看板の影に飛び込む。隠れながら改めて集団を確認。やっぱり、間違いない。登校してくる生徒たちを逐一チェックするその軍団の中には、昨日静樹を襲ったあの黄色タイツ軍団の姿があった。
「嘘だろ、おい」
看板の影に身を顰めながら、静樹が困ったように髪を掻く。さすがに、転向初日で乱闘騒ぎは避けたい。八斗高校の校則には、『暴力行為に対しては1週間停学処置を取る』とある。校則を破るなんてもってのほかだし、停学なんて論外だ。
よし、ここは回り込んで穏便に済まそう。
転向初日から正門を迂回する羽目になった静樹が、相手に悟られないようにゆっくりと後ずさる。
その背中を、朝から元気のよい声が叩いた。
「おっはよー。静樹。早いね―っ!」
「ツカサ!?」
「こんなとこで何してんのさ? さっさと入ろうよ。転向初日で遅刻なんて笑えないよ」
制服姿のツカサが、溌剌とした笑顔で静樹の背中を叩く。頭には昨日と同じ野球帽を被っていたが、八斗高校の淡いピンクを基調としたセーラー服を着ているツカサは、昨日よりもずっと女の子らしく見えた。朝日を受けて笑う姿は、春先のタンポポのように瑞々しい生気に満ちている。
思わず見とれてしまった静樹に、ツカサは恥ずかしがるように身体を左右に揺すった。
「あはははは。静樹、露骨に見過ぎだよ」
「わ、悪いっ!」
慌てて顔を背ける静樹に、ツカサは「にまぁ」と悪戯っぽい笑みを浮かべると、ぐっと前かがみになって見せた。男っぽいツカサには似合わない豊満な胸が、静樹に向かって突き出される。
「ば、ばか! 何やってんだ? はしたないだろ」
「あはははは、焦ってる焦ってる。ほれほれ~、やっぱり静樹も男の子だよねー」
「恥ずかしくないのかよっ!」
「まー、いっつも部活の男子達が見てくるからねー。あ、でも。静樹に見られるのはちょっと恥ずかし……」
「静樹から離れろ。このバカ乳男女」
「「ノコっ!」」
ツカサと静樹が揃って首を横に向けると、口を三角に曲げて不機嫌を顕わにしたノコがいた。
その銃口が静樹を向いているのはなぜだろうか?
今日も被ったタヌキの帽子はツカサの野球帽以上にセーラー服には似合わないが、ノコが被っているとどこか絵になる。こんなぬいぐるみを作ったら可愛いもの好きの女の子が目を輝かせて飛びついてくるだろう。定価は一個3980円なり。
「ノコ……まさか撃たないよな?」
「5秒以内に離れろ。3・2・1・0」
「5と4はっ?」
思わずツッコミながら、ツカサが静樹から大きく飛び退く。一瞬遅れで――バスンッ――と鋭い音が空を裂き、『始業式』の『始』の『台』の『口』のど真ん中、つまり静樹の耳があった所を正確に撃ち抜いた。
あっぶな~っ!
飛び退いた静樹の心臓が大きく跳ねる。ノコを怒らせるのは止めた方がいい。
「さてと。さっさと入ろうか。遅刻して怒られるのヤダしね~」
何事もなかったかのようにツカサが首の後ろで腕を組み、「さ、行う」と静樹とノコを誘う。……え、今の凶行を完全に無視ですか? 看板もこのまま放置?
「何ボサっとしてる。さっさと入れ」
「イヤ、ちょっと待て。ノコ。まず、中の連中を何と……わたたたた、銃を向けるな。銃を!」
ノコに脅され、静樹が校門を潜ることを強制される。しかも、ノコの銃声のおかげで、視線はすでにこちらに集められていた。出来れば転校生に対する好奇の視線であってほしい。
「来たな、深山静樹」
うわ~、敵意丸出し。友好度ゼロ。ツカサのいうギャルゲーなら、バッドエンド決定のフラグが完璧に立っている。
残念ながらこんな状況に対する対応策は『今日から君も転校生』には載っていなかった。それもそうだろう、こんなもの完璧に編集者の想定外だ。
さて、どうしたものか?
静樹が校門を一歩入った所で引き攣った笑みを浮かべていると、突然校舎の屋上から一帯の垂れ幕が落ちてきた。「なんだ? なんだ?」とざわめく生徒たち。
生徒たちの混乱をよそに垂れ幕が最後まで降り切ると、でかでかと達筆で書かれた『深山静樹さん転校おめでとう』と文字が広がった。
掲げられた文字を前に、静樹たちはだけでなく生徒たちもが息を飲む。
す、すげーっ……。
文字の意味を理解するよりも早く、静樹の心は文字そのものに囚われた。豪快にして可憐、そして軽妙。真っ白の帯に打ち書かれた文字は、否応なしに全ての物の心を鷲掴みにする。
「さすが、タイミングピッタリですね。いい仕事をしてくれます」
「みのりっ!?」
うんうん、と背後から満足げな声が静樹の背中を撫でる。振り返ると、一足遅れて登校した静樹が、押さえきれない品の良さが溢れた微笑みを浮かべながら佇んでいた。セーラー服に影を作るつば広の麦わら帽子を被るその姿は、今登校してきた学生と言うより花畑に佇むどこかの令嬢のようだ。
「おはようございます。静樹、ツカサ、ノコ」
「おは……よう」
「おはようー、みのりー」
「(シュタッ)」(手だけで挨拶するノコ)
静樹は今一度降りてきた文字に目を向けると、ゆっくりと静樹に向き直って訊ねた。
「あれ……お前が?」
「はい。僭越ながらお祝いの一筆をしたためさせていただきました」
謙遜するようにみのりは微笑むが、そんな必要まったくない。
静樹は興奮した面持ちで静樹の手を取った。
「いや、すげーよ。あれ。本当に嬉しい。ありがとな」
「あ……い、いえ。そんな……」
手を握られたみのりが、どこか夢心地といった風にふにゃけた表情を浮かべながら体を左右に振る。
しかし、次の瞬間、静樹はまるで熱いものにでも触れたかのように慌てて静樹から手を放した。叩きつけられる殺気。一方は生徒たち、そしてもう一方はノコ。すでに銃口は静樹のほっぺたを押している。
「みんな嫉妬深いな~」
笑っているのはツカサだけだ。それ以外の全員は、まさに少しの振動で爆発するニトロでも抱えているように硬直している。
そう、誰がセッティングしたのか役者は揃った。




