(2)
「なぁ、ツカサ」
「のっちだよ」
「のっちはノコだっ!」
小首を傾げて催促するツカサに、ノコがすかさず噛みつく。
ノコの言葉に、ツカサはキョトンとした表情を浮かべて静樹を見た。
「えっと、静樹。どいうこと?」
「いや、俺もそれが知りたいんだ」
頭を掻く静樹は覚悟を決めた。ノコに射殺される危険性もあるが、いずれバレることだ。静樹は二人に今までの経緯、つまりノコも自分を「のっち」と名乗っていること、そして、自分が誰を「のっち」と呼んでいたか思い出せないことを正直に説明した。
「ふ~ん、面白いじゃん。それっ!」
「地獄落ちろ」
何とも対照的な答えが返ってきた。いや、地獄に落ちろも酷いけど、面白いで済ますか。この状況を?
ツカサはまたまた猟銃を構えるノコをタヌキの尻尾を掴んで黙らせると、自分の野球帽のつばを指先で――ピンッ――と弾きながら声を弾ませた。
「二人の女の子に迫られるなんて男の夢じゃん。がんばれ、男の子」
「頑張れって。そんなんでいいのかよ」
「ん? なんで? ギャルゲーとかそんなのばっかでしょ」
「ギャルゲーって……。やったことあるのか?」
「うんん。さすがにないけど、部活の男子達が毎日そんなことばっか話してるからね」
あはははは、と白い歯を見せながらツカサが軽快に笑う。なるほど、体育会系に囲まれてたからこういうさばさばした性格なのか。
静樹が妙に納得していると、不意にツカサがぐいっと顔を寄せてきた。「んなっ!」と驚く静樹に、ツカサは笑いながら女の子らしい細い指を立てて、静樹の唇に沿える。
「んでさ、静樹。もう、初体験とかはしてきたの!?」
「な、ななな。何言ってんだっ!」
「あっはー。してないんだ。でも、キスぐらいはしてきたのよね」
「ぅ…………」
あっけらかんと言うツカサに、静樹の顔が引きつる。
「あれ、そっちもまだだった?」
「わ、悪いかよ」
「悪くは無いけど意外だなって。都会の方はめっちゃハードル低いって、いっつも男子が騒いでるからさ」
「お、俺はそんな軽い気持ちでなんてできねぇよ。付き合う相手はしっかり考えるし、付き合ったからには責任を持つ。それが、男として当然だろ」
ぐっと身体を構えて答える静樹に、ツカサは一瞬キョトンとすると、すぐに大口を開けて笑いだした。
「あはははは、ははは、あひひひ。ふふふ。あははははは」
「な、何が可笑しいんだよ」
「いや、だってさ。男として当然て……、頭の堅いとこ、そのまんまだね、静樹って」
「お、俺はだなっ!」
あまりに爽快に笑われ、さすがの静樹もムッとした表情を浮かべる。これは、一言ガツンと言ってやらねば。
そう思った矢先、目元の涙を拭ったツカサが、どこか嬉しそうな顔で頷いた。
「うん、やっぱり静樹は静樹のまんまだ。それに、あたしは好きだよ。そういう、一本筋が通ったの」
一点の曇りもない笑顔を振りまかれ、静樹は言葉を失った。
そんな静樹の袖が、ぐいっと引っ張られる。ノコだ。
「当り前だ。ノコの静樹だからな」
「まだ、ノコのって決ってないっしょ。……ほんと言うとさ、もし静樹が軟弱なヤツになって帰ってきたら、捻り潰そうかと思ってたんだよね。アレを」
ぐっと、ツカサが笑いながら拳を握る。
アレってなんだ? とは聞けなかった。
「でもさ、やっぱり静樹は静樹だ。だから……」
ツカサは好戦的な笑みを湛え、ビシッとノコを指差した。
「静樹は、やっぱりあたしがもらう」
一切の気負いなく言い切ったツカサと、静樹の袖を握るノコの間で激しい火花が散る。もちろん、女性の顔と名前は特に覚えられないほど女性との関わりが薄かった静樹が、こんな修羅場を乗り越える術を持っているはずもない。
静樹は初めて知った。女性の修羅場って本当に怖い。
だらだらと滝のように流れる汗。過呼吸まであと一歩。
「静ちゃ―ん。帰って来たのー?」
そんなとき、深山家の玄関戸がゆっくりと横に流れ、中から綾ばぁが現れた。綾ばぁの優しい垂れ目が、ゆっくりと三人を捉える。
「まぁ」
綾ばぁは、上品に口元に手を当てると、乙女のように微笑んだ。
「静ちゃん、やるわね。帰ってきてもう二人の女の子を手篭めにするなんて」
「手篭めって言い方やめてくれ。つーか、普通こんな状況なら非難されるとこじゃないの?」
「何言ってるの、静ちゃん。浮気は男の甲斐性でしょ」
ダメだ、綾ばぁに貞操観念を聞いても全て受け入れられるだけだ。
「えっと、野々市酒屋さんのツカサちゃんに、雷道さんの所のノコちゃんね。こんにちは」
「毎度ごひいきにどうも」
「(ぺこり)」
綾ばぁが頭を下げると、ツカサとノコがそれに続く。どうやら、三人は顔見知りらしい。まぁ、対して大きくない町だ。町内会のほとんどが親戚みたいなものなのだろう。
なんとなく取り残された寂しさを静樹が感じていると、綾ばぁが「そうだわ」と両手を打ち合わせた。
「ツカサちゃん、ノコちゃん。ちょっと、静ちゃんのこと案内してきてくれないかしら。まあたいして変わってない町だけど。ね、お願い」
「いいっすよ」
「(こくり)」
二つ返事で応じるツカサとノコ。静樹はさすがに一言抗議しようかと思ったけど……やめた。
野球帽のつばの下で少年のような笑みを浮かべるツカサ。口を横一文字に引き結びながらタヌキ帽子をぐっと引き下げ、緩んだ目元を隠すノコ。こんな二人の申し出を断っては男がすたる。
「ちょっと財布取ってくる」
自分の頬が熱くなるのを感じた静樹は、足早に玄関へと駆け込んだ。女の子の笑顔を見ることが、こんなにも恥ずかしい気持ちになるなんて。思春期を過ぎた静樹にとって初めての経験だ。
けれど、恥ずかしがってばかりもいられない。男たるもの威風堂々と、常にどっしりと構えなくては。
「けど、まさか二人も現れるなんて。って、どっちが『のっち』なんだ」
静樹が約束した女の子は一人。記憶があいまい過ぎて、もはや顔なんて思い出せない。唯一思い出せるのは、彼女が帽子を被っていたこと。でも、それがどんな帽子だったかまでは思い出せない。
「あああぁぁぁ。俺の馬鹿っ。いい加減、人の名前と顔を覚えろよ」
自分に叱責を浴びせながら、静樹が新しい自分の部屋の襖を開ける。詰まれた段ボール。勉強机。敷布団。敷布団で眠る女の子……、女の子っ!?
「んなっ!」
思わず叫んだ静樹が、その場から後ずさる。
出かける時には空だった敷布団は今やこんもりと盛り上がり、スヤスヤと見知らぬ女の子が寝息を立てて潜り込んでいた。
「ちょちょっと、何やってんだよ」
「ん? ふぁ~……、誰ですか?」
「それはこっちのセリフだ。君は誰だ?」
のっそりと身体を起こした女の子は、ねむけ眼を擦りながら枕元の眼鏡を引き寄せた。清楚可憐。腰元まで伸びる、しっとりと濡れているような黒髪。古き良き日本女子を思い起こす顔つきに、静樹が思わずドキッとする。彼女が纏う雰囲気で、部屋の空気が一気に浄化される気配さえした。
ノコやツカサも十分に可愛い女の子だが、顔の好みだけで言えば、眼の前の子は静樹のど真ん中ストライクだった。柔和な垂れ目に、墨で線を引いたかのような秀眉。綺麗に切りそろえられた前髪。眼鏡を掛ける仕草にさえ品がある。
完璧に硬直する静樹。
対して、謎の大和撫子は眼鏡を掛けた途端、鋭い視線を静樹に投げかけた。
「女性の寝床にいきなり現れるなんて失礼じゃないですか」
「失礼も何も、ここは俺の部屋だ」
「俺の……部屋?」
静樹の言葉を反復する彼女の顔色が見る見るうちに紅潮する。震える手は布団のシーツを掴むと、ぐしゃぐしゃに握り締めた。
先ほどの凛とした態度が嘘のように動揺する少女。
そのあまりの変わりように静樹が困惑していると、少女はその細い喉で一度つばを飲みながら、布団を握る手以上に震える声で静樹に問いかけた。
「ま、まさか。静樹なの?」
「あ、ああ。確かに、俺は静樹だけど」
「~~~~っ!」
静樹が頷いた途端、少女は沸騰せんばかりに顔を真っ赤にし、握っていた布団をたくしあげた。
布団に潜り込んだ少女から、切羽詰まった悲鳴が上がる。
「で、出ってってください。見ないでっ!」
「わ、悪いっ!」
反射的に謝った静樹は、慌てて部屋の襖を閉めた。途端、部屋の中からドタドタドタと慌ただしい音が聞こえてくる。ときどき――ゴシャン――と何かが壊れる音までしてきた。
中は一体どうなってるんだ?
てか、誰っ? 今の子?
いろんな意味でハラハラしていると、静かになった部屋の襖がほんの数センチだけ開かれ、しずしずと先ほどの女の子が恥ずかしそうに赤らめた顔を覗かせた。
「あ、あ、あ、あの。別に、私は怪しいものではっ!」
「わかったわかった。分かったから、少し落ち着け」
震える少女の振動が襖に伝達し、――カタカタカタ――と物凄い音を立てる。
「だから、落ち着こう。な。ほら、深呼吸」
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」
「いや、その呼吸法はヤバいから。ほら、俺と一緒に。スー……ハー……。ほら」
「スー……ハー。スー……ハー……」
「落ち着いたか?」
「あ、はい。重ね重ね、恥ずかしい姿を……」
恥じらいに手をもじもじさせる少女に、静樹の心臓が再び跳ねる。
自分を落ち着かせようと咳払いを一つした静樹は、「それでだ」と半分だけ覗く少女に問いかけた。
「君は誰なんだ? なんで、俺の部屋に?」
「え……」
目眩でもするようによろけた少女の顔が憂いに翳る。
「私のこと、忘れてしまったのですか」
胸に握った手を当て、すがりつくように訊ねる少女。
そんな彼女に、静樹は嘘を付くことは出来なかった。
「悪い。子供の時のことけっこう忘れてて。それに俺、人の名前と顔を覚えるのがとことん苦手なんだよ。本当に悪い」
真摯に頭を下げる静樹に、少女は言葉が見つからず口を引き結ぶ。
そのとき、頭を下げた静樹の眼に、あるものが飛び込んできた。少女の足元にそっと添えられた麦わら帽子。
引っ越しの荷物に麦わら帽子は無かったはず。
静樹は現実主義者だが、直感や流れといったものも信じる。今までの流れ、そして帽子。
静樹は大きく唾を飲み込みながら、もたげていた首を持ち上げた。
「なぁ。名前、教えてくれるか?」
「私の名前は野永みのり。昔、静樹は私のことを……」
「のっち、って呼んでたのか?」
「はいっ!」
みのりの顔から翳りが引き、代わりに大輪の笑顔が浮かぶ。
はっはっは、綺麗な笑顔だな。
静樹は晴れやかな微笑みを浮かべると、そのまま床にぶっ倒れた。
「キャーッ! 静樹、どうしたの? 静樹っ」
慌てて襖を押し開き、静樹の肩を揺さぶるみのり。その叫び声を聞き付け、ツカサ、ノコ、綾ばぁ、源じぃが大集合。
「みのり! 抜け駆けはズルイだろ」
「反則。公平にって、自分で言ったくせに」
「いや、私は決してそんなつもりじゃ」
「あらあら。静ちゃんも隅に置けないわね」
「こりゃ、ひ孫の顔が早く見れそうだな」
あっという間にその場はてんやわんや。
いろんな声が飛び交う廊下で、静樹は虚ろに天井を見上げながら、心の中で叫んだ。
俺が約束した「のっち」は、誰なんだ―っ!?




