第五章 決戦、八斗学園! 帽子っ娘との約束は(1)
前日の雷雨豪雨はどこへやら。ゴールデンウィーク明けの今日は、清々しい青空が広がっていた。授業もすでに三時間分が無事に消化。ただ今、午前中最後の授業。
――カチ、カチ、カチ……と、別段変わったふうもなく時計がいつものように時を刻み、秒針を回す。静かな静かな授業風景。さぁ、待ちに待ったお昼休みまであと少し。
あと一分……三十秒……十秒……二、一……ゼロ。
――キーンコーン、カ……――
「「「静樹ぃーっ!」」」
午前の授業終了の鐘を、学校中に轟いた雄叫びが掻き消した。同時に、クラスメートの大多数が立ち上がり、静樹を視界に収める。
「確保ぉおおおおーっ!」
「「「おおおぉぉぉーっ!」」」
誰かの盛大な号令に合わせ、クラスメイト達が静樹へと殺到した。
「くそっ!」
目の前から掴みかかってきた男子を巧みにかわし、静樹が背中に飛びかかってきた二人目の男子を前方へと投げ飛ばす。低いタックルを仕掛けてきた男子を飛び越し、女子が勢いよく突き出してきた箒を状態を逸らして切りぬける。
もはや、クラスメイトの大半が、静樹を捉えることに躍起になっていた。しかも、登校時から合わせて、これで一〇回目の猛襲。気の休まる暇すらない。
どうしてこうなったかと言えば、
「深山、貴様にツカサは渡さない。観念しろっ! そして、地獄に落ちろっ!」
「深山君、諦めなさい。みのりお姉さまは、みんなのお姉さんなの。あなただけのモノじゃないのよ。だから、今日一日眠ってて」
「雷道を渡してたまるか―っ。テメェーは山で雌ダヌキのケツでもおっかけてろっ!」
生徒たちの間を縫いながら廊下へと飛び出る。
とまぁ、こんなところである。静樹の告白の一件が、生徒全員に知られてしまったのだ。
前生徒たちの目的は一つ、打倒静樹っ!
静樹の告白期限は、今日一日だ。なんとしても、今日は静樹を三人と接触させるわけにはいかない。
というわけで、静樹は初日同様に全生徒を相手に戦っていた。
「昼休みぐらいゆっくりさせてくれよっ!」
クラスメイトの猛攻を掻い潜り、静樹が教室から飛び出す。だが、もちろんそんなことで追撃は終わらない。
お昼休みは、まだ始まったばかりだ。
――バタン、バタン、バタン。静樹が飛び出すのを待ちかまえていたかのように、一斉に周囲のクラスの扉が開く。そこから出てきた生徒たちも、これまた静樹に向かって疾走してきた。
「「「「捕まえろ―っ」」」」
「大人しく飯食ってろよーっ!」
もう嫌だと言った様子で静樹が叫ぶ。この包囲網は本気だ。廊下が塞がれ、退路がない。
その時、静樹の教室から一人の男子が飛び出してきた。
「静樹、助けに来たぜっ!」
「三条、なんで?」
「ふ。帽子っ子好きの同志を、この俺が見捨てると思うか。喰らえ、三条フラーッシュッ!」
盗撮が見つかった時の逃走用の為に改造した三条の一眼レフデジカメのフラッシュが、廊下を一瞬にして閃光で包み込む。
「ギャー。眼があぁぁー。眼がアアァぁぁぁーっ!」
逆光だった静樹は辛うじて視界を留めたが、まともにフラッシュを浴びた生徒たちが目を押さえてのたうち回った。
「行け、静樹。この場は俺が引き受けた。三条フラーッシュ。三条フラーッシュ。三条ぅ~フラ――ッシュ!」
「三条、恩にきる」
「ぐあ。み、深山を逃がすな―っ!」
「させるか。喰らえ、三条ハリケーンフラーッシュ」
ピカーンッ!
「ぐあぁぁぁー。なんだこの生き物は?」
背後で轟く阿鼻絶叫を聞きながら、静樹はその場から脱出し校内を駆け抜けた。だが……。
「いたぞ、者どもこっちだー。であえー、であえぇぇぇぇーっ!」
――カンカンカーン、と岡っ引きの恰好をした生徒が静樹を発見するやいなや太鼓を打ち鳴らす。どこへ逃げようと、静樹包囲網は完全な布陣を引いていた。
「うおおおぉぉぉぉぉぉー。どこ逃げりゃーいいんだーっ?」
「「「「待てぇ―っ! 深山ぁぁぁぁー」」」」
嫉妬の炎をメラメラと燃やすラグビー部の先輩方が、肩を組んで階段を転げ落ちてくる。確か、これはみのりのファンクラブの方々だ。魔王みのりに葬られたと思っていたが、無事に生還できたらしい。
とはいえ、これは本当に逃げ場がない。静樹にしても、今はゆっくりと考える時間がほしいというのに。
「なんだんだよっ!」
悪態をつきながら、静樹が階段を駆け上がる。
「「「「追えぇぇぇー。地獄の果てだろうが、便所の中だろうが逃がすな―っ!」」」」
物凄い形相の皆々様が静樹に引き続き階段を駆け上がり、廊下に飛び出す。しかし、そこに静樹の姿がない。どこかの教室に逃げ込んだのか?
「探せぇぇ―。草の根分けても探し出せっ!」
隊長格の号令で、ファンクラブのメンバーが片っ端から教室を散策する。
「先生っ! 今ここに、大敵大悪大魔王の深山静樹が逃げ込んできませんでしたか?」
「いや、僕は見てないが」
「そうですか。おーい、ここにもいないぞっ!」
「くそ、どこへ行った?」
「隊長、男子トイレの窓が開け放たれています」
「何っ!? ちっ、窓から逃げたか。各部隊に伝えろ。深山を見つけたモノには賞金を出すとも言っておけ!」
「イエッサ―」
廊下を荒々しく踏みならし、ファンクラブのメンバーがその階から外へと移動していく。
大野先生は十分に静まったことを確認し、本棚の隙間に身を顰めていた静樹に声を掛けた。
「深山君。もう大丈夫そうだよ」
「ほっ。大野先生ありがとうございます。本当に助かりました」
そう。静樹が逃げ込んだのは、数少ない静樹の味方の大野先生がいる資料室だった。
「それにしても、凄いおおごとになっているね」
「言いたくはないですけど、いい迷惑ですよ。こっちは、考える時間がほしいって言うのに……」
「おや、ということは……まだ本命は決っていないのかい?」
「え、ええ。まぁ……」
驚いたように訊ねる大野先生に、静樹は歯切れ悪く答えた。
「正直……迷ってますね。僕はずっと、約束を守るって決めてました。それが、いきなり三人ですからね」
「ははははは、確かにね。でも、深山君。君は、約束したから彼女たちと付き合いたいのかい?」
「そ、そんなことないですよっ! 僕は……不謹慎かもしれないですけど、三人とも可愛いと思ってますし、全員と付き合いたいって思って……ます」
顔を赤くして俯く静樹に、大野先生は優しげに微笑むと、その大きなお腹を擦った。
「うん。その言葉が聞けて、ちょっと安心かな。深山君は真面目だから、てっきり約束って言葉に縛られてるのかと思ってね。しかし、じゃあ君は誰を選ぶんだい?」
「それが、本当に分からないんです。もうごちゃごちゃしてて、自分でもどうにも」
苦悶の表情を作り、頭を抱える静樹。まぁ、しょうがないだろう。これまで恋愛らしい恋愛をしてこなかった静樹が。ここにきていきなり三人の女の子から一人を選べと迫られたのだ。そんな選択をすぐにできるほど、静樹は場数を踏んではいない。
でも、静樹自身も言ったように、静樹は三人が好きだ。あれだけ素直に好意を寄せられたのだ。静樹が何も想わないはずがない。ハッキリ言えば、静樹の心はもう傾く寸前だった。だが、その方向が分からないのだ。三人は三人とも魅力的で、可愛い。誰が一番なんて、一概には言えない。
踏み出せない一歩。紡ぎだせない言葉。見いだせない未来。
決めようと思うのだけれども決められない。決めきれない。
揺れ動く静樹の心。
そこに必要なのは、ほんの少しの後押しだった。
不意に、準備室の扉が――ガラガラ――っと横に流れた。静樹と大野先生に緊張が走る。「追っ手か?」と静樹は俄かに身構えたが、扉の向こうから現れた人物に、静樹はすぐに構えを解いた。
「京介っ!」
「やっぱり、ここにいたね。静樹」
眼鏡の位置を直した京介は、口元に柔らかな笑みを浮かべながら、資料室の中に滑り込んだ。
「やっぱりって、なんでここが?」
「そんなもの、情報を整理・分析すれば大体わかる。そんなことより――この優柔不断っ!」
にこやかな笑みのまま厳しい言葉を放つ京介に、「うぅっ……」と静樹がたじろぐ。まぁ、図星を疲れたのだからしょうがない。
「面目ない」
静樹がしょげた表情で肩を落とす。そんな静樹に、京介は「はぁ~」と呆れたように溜息をつくと、「これは出世払いで勘弁してあげるよ」と小声で呟きながら、近くにあった椅子を引き寄せた。
イスの前後を逆にして、背もたれに顎を乗せる京介。その眼鏡の奥に光る真意の読めない双眸をスッと細めると、京介は静かに問いかけた。
「静樹。口に出しても出さなくてもいいから、正直に考えるんだよ」
「あ、ああ」
「ノコ、ツカサ、みのり。三人の容姿、ようは見た目で君は誰が一番好みなんだい?」
「見た目……かぁ」
京介の問いかけに、静樹は静かに目を閉じて三人の姿を思い浮かべた。
いつも満面の笑顔を振りまくツカサはもちろん見ていて清々しい。隣にいてくれたら、たぶんいつもいい気分でいられる。あと、あの胸は反則だ。分かってやっているのかどうか知らないが、ときおり強調してくるのは、ちょっと恥ずかしい。ただ、それも含めてツカサの良さだろう。
いつもちょっと不機嫌そうなノコ。でも、そんなノコだから、表情を見せてくれる時はすごく可愛いと思う。もちろん、普段の容姿だってノコは十分に可愛い。ちょこんとしている姿は本当に愛らしい、女子から人気が出るのがよく分かる。
ツカサにノコ。見た目という意味では、ふたりは甲乙つけがたいと思う。でも……、ただ単に見た目が好みと言うだけならば、二人には悪いが静樹の中ではみのりが一番好みだった。
少し垂れがちな大きな眼。整った鼻筋。墨で描いたかのような存在感のある眉。漆でも塗り込んだかのような繊細な黒髪。そんな鮮烈な大和撫子のイメージから大きなギャップのある、少し泥臭い麦わら帽子と大きな眼鏡。
うん。深山静樹は、野永みのりが好きだ。許されるなら抱きしめたいと思う。だけど……
「告白……かぁ」
そう、好きだと言うことには間違いないのだが。告白と聞かれると、何か戸惑いがあった。なにか、胸の奥に引っ掛かるものが。それは、みのりが悪いとかじゃなく、もっと別の……。
掴みかかったゴールが、静樹の手からすり抜ける。再び乗り上げた暗礁。
その気配を察してか、再び京介の口が動いた。
「はい、そこまで。見た目じゃ決めきれないみたいだね。じゃあ今度は、誰の性格が一番好きかを考えてみたら?」
「三人の……性格」
京介の言葉に、静樹がここ一カ月の記憶を呼び覚ます。
ノコの性格は……正直よく分からない。表情に出ないというのもあるけど、何か真意が読み取れない。分かっているのは、ときどき猟銃を持ち出すっていう危ない所。でも、そのミステリアスなところに惹かれている部分もある。知らないからこそ、もっと知りたくなる。それに、自分にだけ弱さを見せてくれるとことは本当に可愛いと思う。
みのりは始めあった時はアレだけ慌てていてどうなるかと思ったけど、恥ずかしがりながらも静樹に寄ってくるあの性格は好きだった。ときどき暴走もするけど、それが自分のことを思ってだと思うと、どうしても許してしまう。ちょっと強引なところがあるけど、包み込むような配慮をちゃんとしてくれるのは、みのりの凄いところだと思う。
けれど、その二人の性格が十分に魅力的だと知った上でも、静樹はツカサが気に入っていた。
あの真っ直ぐな性格。裏表なんかなくて、素直に自分の気持ちを表現できる所が、静樹は堪らなく好きだった。それに、自分だけが前に出るだけじゃない。実は、ちゃんとみんなのことも考えてバランスを取ってくれる、暴走するノコやみのりをちゃんと制御して、その上で静樹を見てくれている。自分の夢も聞かせてくれた。自分の夢をしっかりと持っているから、ツカサには折れない芯のような力強さがあるのだろう。
そうだ。深山静樹は野々市ツカサが好きだ。いつも頑張るツカサを尊敬すらしているし、となりで支えてやりたいとも思う。でも、やっぱり……
「う~ん……」
やっぱり、静樹の胸には何か大きなモノが引っ掛かっていた。
違うのだ。何か、何かが……。深山静樹が望んでいる、深山静樹が目指している何かが、二人に傾く心を押し留める。
一体、何が?
それは、もはや悩むというより困惑に近い。一番見えているはずの自分の心が、まったく分からない。
なんで……?
静樹が自分自身に問いかける。でも、足りない。「なんで?」という言葉だけじゃ、カギは回らない。扉は開かない。静樹の心が動かない。
その時、苦悶の表情を作る静樹を静かに見守っていた京介の唇が、そっと動いた。
「男として当り前だ。俺は、男らしくなる」
――カチ――と静樹の中で歯車が音を立てる。
「な、なんだよ。急に……?」
「急じゃないだろ。ずっと昔、静樹が言い始めたことだ。なぁ、静樹。お前がお前自身とあの子に約束した、一番大切な言葉だろ」
――カチャン――
カギが回り、歯車が回り、扉が開く。
静樹の網膜に広がったのは、色あせた景色の中で泣きじゃくる、あの帽子の女の子だった。
ヘビを追っ払っても、その少女は泣き続けた。
静樹がどれだけ慰めても、目から溢れる雫は止まらない。次々に少女の頬を滴り、山の地面に染み込んでいく。
少女は泣き続けた。泣きやんでくれなかった。
静樹は唇を噛み、小さな拳を握りしめた。すぐに助けられなかった自分が悔しかった。
自分は男の子なのに。自分は男の子なのにっ!
震える拳。決意する心。
静樹はその拳をゆっくりと解くと、優しく泣きじゃくる女の子の頭に乗せた。
「つぎはすぐにたすけてあげるから。つよいつよいスーパーマンみたいになってあげるから。おれ、もっともっと男らしくなるから」
静樹が約束して、女の子はようやく泣きやんだ。
「ノコ……」
静樹の口から、約束の女の子の名前が漏れる。
そうだ、ノコだ。静樹はあの時、ノコと約束したんだ。男らしくなるって。
記憶の堤防が決壊し、次々に記憶が押し流される。そう、静樹はノコと約束した。だから、静樹は男らしくなるための、それから頑張ってきたのだ。ノコを助ける機会はそれからなかったが、静樹は男らしくなると心に決め、怪我をしていた女の子を助け、家に帰りたくないと言った女の子を慰めた。
もしかしたら、ノコと出逢わなくても、静樹の性格ならこの道を歩んでいたかもしれない。だけど、今の静樹が今の静樹になれたのは、ノコとの約束があったからだ。
静樹は、ツカサもみのりも好きだ。でも、静樹はノコが大切だった。
今の自分はノコと共にある。
「俺……ノコの所に行ってくる」
「昼休みは後三十分。ノコなら、家庭科部が連れて行ったよ」
「サンキュー」
静樹が顔を持ち上げる。その表情にもう迷いはない。力強く一歩を踏み出した静樹は、資料室の扉に手を掛けると、押さえきれない笑いと共に振り返った。
「京介」
「なんだよ、ニヤニヤして気持ち悪い」
「俺、お前が幼馴染で本当によかったわ。んじゃ、行ってくるっ!」
大腕を振って、静樹が扉の向こうへと消えていく。
京介はキョトンとした表情を浮かべてその後ろ姿を見送ると。心底呆れたように、そしてどこか悔しそうに微笑んだ。
「いい幼馴染だね。羨ましいよ」
「おかげで、こっちはタダ働きですよ」
京介はそう言ってポケットから携帯を取り出すと、すぐにどこかへとメールをし始めた。




