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第一章(1) 約束の女の子×3!?

「なぁ、ノコ」

「…………」

「ノコさん」

「………………」

「ノコ様」

「……………………」

「のっち」

「なんだ?」

「何でおんぶなんだ?」

 努めて冷静に問いかけると、ギュッと首にしがみ付いたノコは少しムスッとした顔で静樹のほっぺたを掴んだ。

「逃がさないため」

 サイデスカ……

 まぁ、ノコは小柄なのでけっして重いというわけじゃないのだが……。女性経験の比較的乏しい静樹にしたら、なかなかハードルの高い状況だった。森で女の子を背負って歩く。しかも、その女の子は自分の嫁になると言っているのだ。意識しない方がどうかしている。

 ノコは自分から話しかけようとしないので、なかなか会話が続かない。しかも、ヘタなことを聞けば、いきなり――バンッ!――と言うこともある。なんとなくノコには、そんな凄味があった。

 女の子を背負って歩く獣道、か……。あれ、前もこんなこと……。

 ふと、子供の頃の光景が静樹の頭を過った。昔も、こんな風に女の子を背負って山を下りたことがあったような気がする。確か、その子は足を怪我して動けなかったんじゃなかったっけ?

 記憶の中のその子はやはり帽子を被っていた。でも、あの時の女の子はノコみたいなタヌキ帽子じゃなくて、もっと普通の帽子じゃなかったっけ?

 いや、ノコだって昔からこの帽子をかぶっていたわけじゃないだろう。もしかしたら、昔は普通の帽子を被っていたのかも……。いや、きっとそうだろう。

 よかった、話題が見つかった。

「そう言えば、昔こうやっておぶって帰ったことがあったな。ほら、ノコが足を怪我し……」

 ――バスンッ――。鋭い空気の刃が静樹の頬を撫ぜ、打ち出されたBB弾が柔らかな腐葉土の地面に風穴を開けた。

「静樹」

 さっきよりも不機嫌そうな声が静樹の耳を撫ぜる。ついでに言えば、うなじに何か冷たいものが当たっている。ついでのついでに、その首筋に当たる先端は細く丸い。

「黙って歩け」

「はいっ! すいませんっ!」

 軍隊並みに背筋を伸ばして返事をした静樹は、もはや一言も口にすまいと心に誓った。

 ようやく銃口が静樹の首筋から離れる。代わってノコの腕が静樹の首に巻き付いた。肩に乗せた小さな顎。深々と被ったタヌキの帽子の毛が、さわさわと頬をくすぐる。

 横目で見ると、ノコは改めて可愛い子だった。いや、可愛いというよりは愛らしい。そんな物騒な物さえ持たなければ。

 背中の支配権は、家に帰るまで返ってこなかった。いくら軽いとはいえ、山道を歩き続ければ静樹も疲れる。そのうえ、今日は晴れ晴れとした青空のおかげで気温も高い。もっと言えば、女の子の身体は思った以上に温かい。

 結果、静樹の背中はすでに隙間がないほど汗ばんでいた。

 汗臭くないのだろうか? さすがに静樹が気にした、その時。

「あ、おーい。やっと戻ってきたなー」

 太陽に向かって力強く咲くヒマワリを思わせる晴れやかな声が、静樹の耳に届いた。

「ん、誰だ?」

 静樹が視線を持ち上げると、家の玄関先に誰かが腕を振って待っていた。春先には少し早いタンクトップに色の濃いジーンズ。「酒」と書かれた前掛け。そして頭には地元球団の野球帽。遠目には野球少年に見えるが、さっきの声と、タンクトップを押し上げるものを見れば、間違いなく女の子だ。いや、というかアレは本物か?

 帽子の下に覗く顔つきは、もう『元気』という文字をそのまま顔にした感じ。目元が鋭いんだけど、恐い感じじゃなくて、むしろ快活さがにじみ出ている体育会系。遠目にもサバサバっとした性格なんだなーと感じられる、程よく肌の焼けた女の子。

 でも、誰?

 自分に向って手を振っているんだから、子供の頃の友達だろう。でも、残念ながら名前と顔が思い出せない。失礼だと自分でも分かっているが、静樹は病的に人の顔と名前が覚えられないのだ。

とはいえ、ここにきて気付かないふりは出来ない。

 静樹は覚悟を決めて、曖昧な笑みを浮かべながら手を振り返した。ここまできたら、秘技を使うしかない。

 すなわち、会話の流れで相手が誰か突きとめる!

「あ、ノコもいるー。おーい、ノコー」

「ツカサ、五月蠅い」

 ナイス、ノコ。情報ゲット。名前はツカサと言うらしい。残念、記憶に該当者ゼロ。

 攻められては不利。静樹は自ら声を掛ける手段に出た。

「よぉ、久しぶりだな」

「ほんっと、久しぶりじゃんね―。えっと、小1のときからだから……9年ぶりか―」

 指折り数えるツカサ。小1、つまり小学校の時の同級生か。

 静樹はすぐさま思い出せる限りの小学校の時の同級生を思い出した。だが、悲しきかな、小学校の時から人の顔と名前は覚えられなかったらしい。該当者、ゼロ。

「静樹は、今、部活何かやってんの?」

「え、俺か? 前の高校では弓道やってたけど。えっと、そっちは?」

「あたし? あはははは、なに言ってんの? あたしがやるって言ったら、野球に決ってんじゃん」

 ――ブンッ――とツカサがバットを振る真似をする。そのフォームは様になっていて、素振りにも関わらず凄い音がした。

 野球……野球……。ダメだ、思い出せねぇ。

「まっ。サッカー部とかいろんな部の助っ人によく行くけどね~」

 白い歯を見せて、ツカサが得意げに笑う。その笑顔には、どこか見覚えがあった。でも、肝心な記憶は、完全に蚊帳の外。おいコラ、脳味噌。もうちょっと真面目に記録しろよ。

 後は何だ? 家族構成? あだ名? 生年月日?

 どれも、あまり期待できそうにない。

 そんな静樹に、ツカサは何か期待に満ちた視線を向けてくる。

 ヤバいっ。何か話さないと。

「えっと、ツカサは……」

「あはははは。ツカサなんて呼ばないでよ、気恥ずかしい。昔みたいに呼べばいいじゃん?」

「え? 昔みたいにって……?」

「何とぼけてんの。照れない照れない。昔と同じ『のっち』でいいからさ」

「ふぇ?」

 ツカサが何を言っているか、静樹は一瞬理解できなかった。

 『のっち』? ええっ、『のっち』?

「ちょっと待て。俺、昔本当に『のっち』なんて読んでたのか? てか、ツカサだろ、名前。どこにも『の』なんて入って」

「もう、子供の頃から会ってなかったからって、忘れての? 私の苗字。『野々市』でしょ」

「あいぃ?」

 静樹の表情が固まった。野々市、ののいち……のっち。あー、はいはい。そうですね。のっちですね。

 え、じゃあ、まさか……。

 不吉と言うか、幸せと言うか。いろんな感情が入り混じった予感が静樹の脳裏を掛ける。

 そんな静樹の内心など露知らず、ツカサはこちらまで気持ちよくなるような晴れ晴れとした表情で言った。

「んじゃ、静樹。帰って来たなら、約束通りあたしをお嫁さんにしてよね」

 あ、そうだな。お約束だよな。

 ツカサがその言葉を放った途端、静樹の首筋で――ジャキン――と不吉な音がした。いや、こっちのお約束はいらないんですけど。お代わりしてませんから。

「静樹」

「はいっ!」

 かつてないほど、自分の名前が冷たく感じた。いや、でも待て。おかしいぞ。よく考えろ。

 静樹がかつて遊んでいた帽子の女の子は一人だ。のっちと呼んだ子も一人だ。そして、『お嫁さんにすると』約束した子も一人だ。

 それが何で二人も名乗り出てくる?

 よく考えろ、深山みやま静樹。こんなことがあるのか? 品行方正、剛毅果断、日本男児。髪は短髪。染めてもいなければ、もちろんピアスなんて空けてない。話し始めて5分で相手が「深山って、公務員とかに向いてそうだよな~」と判断するほど、真面目さがにじみ出ている顔つきとスタイル。

 自分は誰よりも正しく、男らしく。そうやって生きてきただろ。それが、お前の子供の頃からの目標だろ。

 そんな静樹が、そんな静樹が、子供の頃とは言え別々の女の子から、こんな約束をすると思うか。いや、思うまい。きっと、先に約束してきた子を優先するはずだ。そうに違いない。

 じゃあ、何で二人も現れた。考えられる事は一つ。どちらかが静樹と誰か別の人間を勘違いしているんだ。

 早く誤解を解き、真相を解明せねば。

「ノコ。まずは話しあ……」

「いいわけ、聞きたくない」

 緊急事態。脂肪フラグ……じゃなかった、死亡フラグ発生。

 首筋から後頭部に銃口が移動。え、予想以上にノコってデンジャラス? 見た目の可愛さに惑わされた。ノコは本物の狩人だ。

「とと、そんなの向けたら危ないっしょ。ノコ」

「ふぁぃあっ。こらっ、ツカサ。止めろ」

「やめてほしかったら、その物騒な物を放すんだ」

「なふぃふぉ。ふひゃ!」

 ノコの口からなんとも妙な声が漏れた。同時に、ノコの猟銃が地面に落下。とりあえず、死亡フラグは回避したらしい。しかし、ツカサは一体どうやってノコを止めたんだ?

 静樹が首を回して視線を背後に向けると、ツカサがノコに向って手を伸ばしているのが見えた。場所からして、後頭部辺り。髪でも掴んでいるのだろうか?

 いや、違った。ツカサが握っているのは、ノコの被るタヌキの帽子の尻尾だ。

「あ、静樹。ノコはこうやって尻尾を掴んだら大人しくなるから、憶えてた方がいいよ」

「こら、ふぁらすな」

 ノコが涙目……というよりは、顔を弛緩させながらツカサに抗議の視線を送る。しかし、ツカサが「えいっ」とタヌキの尻尾を引っ張った途端、ノコは「みひゃっ!」と高い声と共に、静樹の背中からずり落ちた。

「すげぇ、あんだけ言っても離れなかったのに」

「ノコの本体はあの帽子だからね」

「そ、そんなわけ、あるかっ!」

 地面に落ちたノコは最後の力を振り絞ってツカサの手を振り払うと、猟銃を掴み取りながら大きく飛び退いた。

「あはははは、ほんと可愛いよね。ノコって」

「笑うなっ!」

 鋭い声で威嚇しながら、ノコが猟銃を構える。しかし、その銃口は定まらない。ふるふると涙目で震える姿は、まるで水を被ったネコのようだ。

 と、ともかく窮地は脱したらしい。

 大きく息をついた静樹は、ノコよりも話しが通じそうなツカサと話し合うことにした。


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