第四章 ファイナルミッション(1)
――ザクザクザク――と、地面を掘るスコップの音が、静かな森の中に響く。
木々が生い茂り、零れ日がどこか神秘的に地面を照らす山道から少し外れた山の中。止めどなく噴き出す汗に学校指定のジャージを腰に巻いて作業していた静樹は、手に持ったスコップを高く盛られた土の山に突き刺し、「ふぅ」っと大きく息をついた。
「さすがに、三日目となると疲れが溜まるな」
顎に滴る汗を軍手を嵌めた手で拭い、曲げ続けていた腰を伸ばす。掘った穴は、もう静樹の腰元に達していた。1メートルは堀っただろうか。
「ここにもなさそうだな」
落胆気味に呟き、静樹が自分の掘った穴から地上へと体を持ち上げる。見える範囲だけでも、十数個のクレーターが山の地面を抉っていた。少し場所を移せば、一度掘って埋めた柔らかい地面がある場所が五つは見つかるだろう。
疲労の表情を見せながら、静樹は片手の軍手を外し、ズボンのポケットからよれよれになった地図を取り出した。地図はこの山を示したもので、今静樹が穴を掘っている辺りには宝のマークが書いてある。
地図を睨み続ける静樹だが、いくら睨んでも地図や宝のマークは動いたりしない。諦めて地図をポケットに戻し、作業に戻ろうと軍手を嵌めようとした、その時。
「静樹ーっ! 見つかったかいーっ?」
チリンチリーンという自転車のベルの音と共に、聞き慣れた声が静樹の耳に届く。振り返ると、木々の隙間から、白いビニール袋を掲げる京介の姿が見えた。
「いーんや。まだだーっ」
「あはは。だろうねー」
軽快に笑う京介は、山道の脇に自転車を停めると、ビニール袋を携えて静樹の所まで近づいてきた。
「はいよ、差し入れ。三百円ね」
「お金を請求される差し入れなんて斬新だよな」
「いらないならいいさ。但し、この先三キロ圏内には自動販売機はないよ」
しれっと答える京介に、静樹の顔が引きつる。さすが『八斗高校の守銭奴』だ。足下を見てきやがる。とは言え、冷えた差し入れの誘惑は何とも断ち切りがたい。
静樹は「わかったよ」と心底悔しそうに答えると、近くに置いておいたカバンから財布を取り出し、京介に差し入れの代金を支払った。
「まいどあり~」
「こんのぉ。嬉しそうな顔しやがって」
憎々しい笑みを浮かべる京介から、ビニール袋を受け取る。袋の中身は、水滴を付けたスポーツ飲料のペットボトルとアイスキャンディー。静樹は迷わずアイスを選ぶと、袋をひっぺがしキンキンに冷えた塊を口に咥えた。
「んふふふふー。冷てぇー。うめぇ~」
「それは良かったよ。にしても……よくもたった一人でこれだけ掘ったね。しかも、三日間もさ」
呆れているのか、感心しているのか微妙な表情を浮かべる京介は、静樹が掘り返した山の地面を見つめながら言った。
「これは俺の課題だからな、仕方ねぇよ」
「ツカサとみのりは部活。ノコも家庭科部に引っ張りだこだしね」
京介の言うように、ツカサとみのりは明日に部活の大会があり忙しくて手伝いに来れないらしい。ノコに至っては、静樹を手伝いに行けないように、家庭科部がお菓子の城を作って幽閉しているとか。何とも信じにくい情報だが、静樹がちゃんとお金を払わされて買った情報だ、まず間違いない。
結局、静樹は一人で最後の課題に立ち向かっていた。
「校長も、また大変な課題を思い付いたもんだ」
「だな」
肩を竦める京介に、静樹は同意しながら緑が青々しい森の天井を見上げ、ゴールデンウィークが始まる週末のことを思い出した。
「ほっほっほ、深山二年生。まさか、ワシの課題をあっさりと突破するとは。いや~、恐れ入ったのである」
「は、はぁ……」
八斗高校に正式入学するための最後の課題を聞きに来た静樹は、今までとはまるで違う大道寺校長の態度を前に、戸惑いの表情を浮かべていた。
あれほど敵愾心を強く持っていた校長が、今日は茶菓子と冷茶準備して静樹を迎え入れた。まさか、毒でも入ってるんじゃないだろうな?
困惑する静樹に、校長は笑いを納めると、突然申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「ワシが誤解していたのである。深山二年生、貴殿は知力・人格共に優れた生徒であった。どうか、今までの日礼を許してほしいのである」
「うわわわわ。ちょっと、校長。そんな、頭なんか下げないでください。別に、俺はそんな気にしてませんから」
「本当であるか」
「あ、いや……。さすがにちょっと大変でしたけど、いい経験になりましたし。誤解が解けたのなら、いいですよ」
「ふむ、貴殿はさらに度量の大きい人間であるな。ますます持って気に入った」
豪快な笑みを浮かべて頭を上げた校長は、「そこでだ」と肘を立てて組んだ両手に顎を乗せて、推し量るように静樹に言った。
「最後の課題なのだが、これはワシのお願いとして聞いてほしいのである」
「お願い……ですか?」
「うむ。実はのぉ……これ何じゃが」
ギラっとなにやら妖しい光を目に浮かべた校長は、引き出しから古びた地図を取り出した。
「校長先生、これは?」
「これはのぉ。ワシらの青春の地図なのじゃ」
「言っている意味がよくわかりません」
思わず反射的に答えてしまった静樹に、校長は肩を揺らして笑いながら「ほっほっほ、すまんすまん。実はであるな」と詳しい内容を話し始めた。
「ワシはこの八斗高校OBなのである。そして、ワシらの代は卒業記念としてクラス全員でタイムカプセルを作り、裏山に埋めたのであるが。全員が四〇歳になって掘り返したところ、どうしてもタイムカプセルが見つからなかったのである。地図はこうしてあるのであるが」
「つまり、そのタイムカプセルを見つけるのが最後の課題ということですか?」
「物分かりがよくて助かるのである。だが、今回は課題なんて難しく考えなくてよい。ワシの個人的な頼みごととして受け取っておしいのである」
「ああ、そういうことなら喜んで」
静樹が表情を崩す。静樹は基本、困っている人の頼まれたことは断らない。それが男として当り前のことだから。むしろ、喜んで手伝う。それは、大道寺校長が一番初めに京介から買った情報に記されていたものだった。
案の定頷いた静樹に、校長はニヤリと笑って机の下で小さくガッツポーズをした。
「おお、引き受けてくれるのであるか。では、頼んだのである。ああ、一応最後の課題の体裁を守るために、期限はゴールデンウィーク中ということにしておくので、そのつもりで頼むのである」
「了解です。ああ、この地図はお借りしてもいいですか」
「うむ、もちろん。では、よろしく頼んだのである」
「はい」
静樹はやる気に満ちた笑みを浮かべて、校長室から去っていった。
「だから静樹。甘い話には裏があるって事を、君はもっと意識すべきなんだよ。ただでさえ、君は騙しやすい人間なんだから」
「ほっといてくれるか……って言いたいところだけど、さすがにな」
残り少なくなったアイスをしゃぶりながら、静樹が自嘲気味に零す。確かに、今回の件は安易だったとしか言いようがない。そもそも、校長たちが四〇歳ということは、それから一四年間も見つかっていない代物を探し出せということだ。
「それに、そう言う話なら、ちゃんとこっちのメリットを確認するべきだね。第一に、失敗した場合も合格にするぐらいの約束をするべきだ。これは『校長の頼み』っていう課題なら、なおさらね」
「く、確かに」
「はぁ……その場に僕を呼べば、もっと優位になったって言うのに。君は」
「ん? なんか言ったか?」
「何でもない」
自分の分のアイスを食べ切った京介が、指先でアイスの棒を弄びながら呆れ気味に答える。珍しく歯切れの悪い幼馴染の姿に静樹は不思議そうな表情を浮かべたが、今は深く追求する時間も惜しい。
静樹は「さてと、そろそろやるか」と立ち上がりながら最後の一口を口の中に収めると、軽くストレッチして採掘を再開した。
先ほど掘った穴から3メートルほど離れたところに目ぼしを付け、スコップで山の地面を切りつける。場所にもよるが木の根が張っていない地面なら、かなり簡単に掘り進められることが、ここ二・三日の採掘で判明した。――ザクザクザク――と規則正しい音が、静かな山に浸みていく。
京介は近くにあった切り株に腰掛け、そんな静樹を見守っていた。
「なぁ、京介。見てるだけなら手伝ってくれよ」
「いいよ。時給1350円だけどね」
「微妙にリアルな金額を出すなよ」
悪態をつく静樹だが、その表情は楽しげだった。やっぱり、一人で作業するよりも、誰かが近くにいた方が気が紛れる。別に会話がなくてもいい。ただ、そこにいてくれることがありがたいのだ。
しばし静樹が黙々と穴を掘り続けていると、不意に京介の方から話しかけてきた。
「それで、静樹。約束の女の子――のっちは見つかったのかい?」
――ガキャン――とそれまで規則正しく地面を掘っていたスコップから、不自然な不協和音が響いた。
「なるほど、まだ見つかっていないのか」
「いや、見つかったは……見つかったんだけどな。また、コレがどうにもおかしくてさ。どうも、俺は昔、ノコとツカサとみのりの三人と遊んでたみたいなんだよ。んで、その三人とも、帽子を被ってたみたいなんだ……けど」
「けど?」
「けど……結局、俺が約束した女の子も、のっちって呼んでいた女の子も一人だけなんだよ。それは間違いないんだ。何度も約束に来たから、忘れるはずがない。で、それが誰なのかが、どうしても思い出せない――って、どうした京介。変な顔して」
穴を掘る手を休め、静樹が京介に目を向ける。京介はズレた眼鏡を直そうともせず、普段は細い眼を大きく広げていた。まるで、珍種の生き物でも発見したかのような驚きようだ。
京介はようやくずり落ちた眼鏡を直すと、溜息を着きながら細い双眸を町の方へと向けた。
「本当に、あの三人が気の毒でしょうがないよ。まさか、ここまでバカだったなんて」
「バカとはなんだ。バカとは。俺は、真剣に考え……」
「どうした? 静樹」
不自然に言葉を切った静樹に、京介が怪訝な視線を送る。静樹は穴を掘る手も止めると、何か探すようにじっと耳を澄ましていた。
「京介。何か今、悲鳴みたいな声が聞こえなかったか?」
「悲鳴? ううん、全然。空耳じゃないのかい?」
「いや、空耳じゃない。ほらっ。今も呻き声みたいなのが聞こえる。こっちかっ!」
「ちょっ、静樹」
突然森の中を走り出す静樹に、慌てて切り株から立ち上がった京介がその後を追う。
「もう、僕は、肉体労働派、じゃ、ないん、だぞ」
早々と息を切らす京介が必至に静樹が消えて行った方向へ走ると、林の奥から声が上がった。
「京介―っ。タヌキー。タヌキだーっ!」
「タヌキ?」
タヌキという単語に、京介はすぐにノコの帽子を思い浮かべた。
まさか、あの家庭科部の包囲網を突破してきたというのかい?
京介が自分の持つ情報に疑問を抱く。だが、その疑問はすぐに解消した。
タヌキはタヌキでも、静樹が言っていたタヌキは信楽焼きのタヌキだった。
「大野先生!?」
京介が見たのは、なだらかな斜面を静樹に担がれて上ってくる、目を回した大野先生の姿だった。
「そうそう、大野先生大野先生」
思い出したように名前を連呼する静樹に、京介は呆れたように言った。
「あのなぁ、静樹。君もいい加減に名前覚えなよ。この前、資料整理手伝わされたばっかりだろ」
「説教はいいから。それより、俺のカバンに入ってるタオルを濡らしといてくれ。たぶん、軽い脳しんとうだと思うから」
「滑って転げ落ちたってわけね。でも、そっちは手伝わなくていいのかい」
大野先生の体重は、軽く見積もっても百キロはいっているだろう。とてもじゃないが、一人で担ぎあげられるレベルではない。
だが、そんな常識をモノともせず、静樹は涼しい顔で答えた。
「前にも坂から落ちた人を助けたことがあってな。それから、次はもっと簡単に助けられるように、身体を鍛え続けてきたんだよ。当然の結果だ」
「そういうところは、本当に相変わらずだね。君は」
やっぱり呆れ気味に、そしてどこか嬉しげな笑みを零した京介は、静樹の言うとおり一足先に先ほどの場所に戻ると、荷物からタオルと水を取り出し準備を始めた。
少し遅れて到着した静樹が、京介からタオルを受け取り大野先生の額に置く。
そのまましばらく様子を見ると、少し戸惑いながらのそっとした動きで大野先生が目を覚ました。
「あれ、君たちは……?」
「よかった、大した怪我がなくて」
「坂から落ちたみたいですよ、大野先生」
静樹と京介の言葉に、「ああっ、そうだった」と思い出したように大野先生が声を上げる。本当に大きな怪我はなく、意識もしっかりしていることに、静樹は胸を撫で下ろした。
「君たちが助けてくれたのかい?」
「というか、主に静樹がですけどね」
「いやいや、当り前のことをしただけですよ」
「そうか。いや~、本当にすまない。助かったよ。ありがとう」
身を起して頭を下げる大野先生に、静樹が頭に手を当てながら嬉しそうに微笑む。
「それにしても、君たちはここで何を?」
「ああ、それは……」
「静樹が校長先生に言い渡された課題ですよ。校長先生が昔に埋めたタイムカプセルを掘り起こせだそうです」
どこか揶揄するような口調の京介に、静樹が「どうした?」と不思議そうに訊ねる。「いや、別に」とすぐさま返事をする京介の向かいでは、大野先生がその大きな体を小さくしていた。
静樹は知らないが、大野先生は校長に脅迫されて静樹を嵌めようとしていたのだ。その負い目があるのだろう。
だが、そんなことなど露も知らないし疑おうとも思わない静樹は、いつもどおりの調子で大野先生に話しかけた。
「それより、大野先生はどうしてここに」
「ぼ、ぼぼぼぼっぼぼ、僕かい?」
「どうしたんですか? そんなに動揺して」
「いいい、いや。なんでもない。ゴホン――、僕はちょっと地理のフィールドワークにね。まぁ、ほとんど趣味なんだけど、山の地形調査をしていたんだよ」
「そうか、大野先生は地理担当ですからね」
大野先生の担当教科を改めて思い出した、次の瞬間。静樹の頭に電流が走った。
――そうだっ! さっきの地図!
静樹は慌ててポケットにしまったタイムカプセルの場所が描かれた地図を取り出すと、縋るように大野先生に向って地図を広げた。
「大野先生、ちょっと相談なんですけど。この地図に書いてあるタイムカプセルの位置を、もうちょっと特定できませんか? たぶんこの当たりだと考えてずっと掘ってるんですけど、全然見つからなくって」
「ん、どれどれ。……おや?」
地図を受け取った途端、大野先生は眉を顰め怪訝そうに呟いた。
「どうしました?」
「この地図、随分古いものだね。これじゃあ、あてにならないよ」
「え、どういうことですかっ?」
驚く静樹と京介に、大野先生は「ちょっとまってなさい」といって自分の荷物を開くと、中から真新しい地図を広げてタイムカプセルの地図を並べた。
「ほら、見てみなさい。この地図は、山の斜面線が今とだいぶ違うだろう」
「本当だ……でもなんで」
「もう、二十年くらい前かな。ここいら一体で大規模な地盤沈下があってね、それで山の形が少し変わったんだ。だから、タイムカプセルがあるのはもっと山の下の方だろう」
「それって、もっと詳しい位置が分かりませんか。お願いです。大野先生」
必至に頭を下げる静樹に、大野先生は優しげな笑みを浮かべて大きなお腹を撫ぜながら答えた。
「深山君、この地図を一日貸してくれたまえ。そうすれば、明日までに場所を特定してあげるから」
「本当ですかっ!」
「ああ。この間、資料整理を手伝ってくれたお礼だよ。だから、今日はもう帰ってゆっくり休むといい。天気予報だと、明後日のゴールデンウィーク最終日は雨らしいから、チャンスは明日しかないぞ」
「はいっ。分かりました。ありがとうございます。オッシャーッ! 待ってろよーっ、タイムカプセル―ッ!」
大腕を振って今日掘った穴の後始末を始める静樹。
その姿を視界に収めながら、京介は大野先生にそっと耳打ちした。
「どういう風の吹きまわしですか?」
「なーに。この前の件で、校長への借金がなくなったからね。これはお詫びだよ。それに……」
「それに……」
「どうにも、彼が気に入ってしまってね。資料整理を押し付けた僕を、なりふり構わず助けに来てくれるなんてさ」
「……くす。結局、先生もですか」
大野先生の言葉にどこか誇らしげな笑みを零した京介は、余っていた軍手を嵌め、今日は無料で静樹の作業を手伝った。




