(7)
黄昏の学校に、どこか不吉な予感を孕んだ風が吹く。そう、例えばホラー物の映画で吹いてきそうな、そんな生温かい風。温かいはずなのに、体の芯が寒い。
静樹の喉が、生温かい唾を飲み込み大きく動く。
そんな静樹に、みのりは相変わらず慎ましやかな笑みを浮かべた。麦わら帽子で影になっている目元が、なんだか怖い。
「静樹。私はてっきり、静樹は私のメッセージに気付いて待っていてくれたんだと思ったんだけど。まさか、他の娘と逢引きしてるなんて」
あ、嘘を言ったら殺される。
そう直感した静樹は、慌てて両手を顔の前で振って弁解した。
「逢引きって。違う違う、誤解するな。須藤にはたまたまさっき会って、今は部活の事を頼んだだけだ。みのりの言うとおり、俺はメッセージを見て待ってたんだよ。ほら」
制服のポケットから静樹が小さく折り畳まれた半紙を取り出す。みのりが、部活の最中にこっそりと静樹のポケットに忍ばせたものだ。『先に正門で待っていてください』。それは、二人になるのが難しいと悟ったみのりの、精いっぱいのメッセージだった。静樹が無下に扱うわけがない。
みのりの目が半紙に滑り、数秒眺めると再び静樹に戻る。静樹の背中に氷の電流が走った。
静樹に視線を戻したみのりは、その双眸を麦わら帽子のつばに隠しながら、酷薄とした笑みを浮かべていた。背中に流れる黒髪が、気のせいかわなわなと生き物のように揺れている
「ツカサ、ノコだけならいざ知らず。沢木部長や須藤さんにまで手を伸ばすなんて……」
「いや、ちょっとまて。落ち付くんだ、みのり。部長さんは明らかに俺のこと敵視してるし、須藤だって部活の事を頼ん……」
「静樹っ!」
「は、はいっ!」
名前を呼ばれた静樹が、訓練された兵隊のように背筋を伸ばす。スッスッスっとまるで滑るように静樹へ迫るみのり。近づくにつれみのりの顔が、さらに麦わら帽子のつばに隠れる。見えなくなる表情に、静樹に恐怖は頂点に達した。
あ、俺死ぬんだ。
死を覚悟した静樹の頬に、みのりの手があてられる。冷たい指先。冷え症なのかな~、と死をマジかに静樹の脳細胞はどうでもいいことを考える。
静樹の頬に手をあてたまま、みのりはスッと顎を持ち上げる。恐怖が勝った静樹はみのりの目を直視できず、帽子のつばと同じように天を仰ぐ。全身の水という水が汗になって流れ出るのを感じていると、静樹の顕わになった喉に、みのりの息が掛かった。形の良い唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「静樹……いいです。許しましょう」
イイデス、ユルスマショウ?
一瞬その言葉の意味が分からなかった静樹だが、その意味を理解するや否や、見開いた目をみのりの顔に定めた。驚き過ぎて言葉が出てこない。
パクパクと酸欠の金魚のように口を開閉する静樹に、みのりは満足そうに微笑みながら言った。
「どうです。私、器量が大きいですよね。凄いと思いません? こんなに虐げられても、静樹のことを想ってるんですよ」
「あ、う、うん。凄い凄い。ありがとう」
「最高ですか?」
「ああ、最高だ。文句無し」
ガクガクと静樹が折れんばかりに首を縦に振る。その言葉が聞けて満足したのか、みのりは静樹から一歩後退し、くるりと体を反転。ふわりと彼女の長い髪とスカートが、夕暮れの赤に染まりながら靡く。
幻想的な光景と、恐怖からの回帰に胸を撫でおろす静樹。だから、その後に聞こえたどこか猟奇的な声は、本当に気のせいであって欲しかった。
「でもね静樹。次また同じようなことしたら……」
「したら?」
「殺しちゃうかも」
顔半分だけ振り返り、にこやかに下された処刑予告。
静樹は、もちろん満面の笑みで返した。
「うん、俺、絶対にしない、約束する」
「オーケーです。じゃあ、帰りましょうか」
ともすればスキップでも始めそうなほど上機嫌で、みのりが帰り道を歩み始める。静樹はこの時、世の中にはけして怒らせてはいけない者がいると言うことを魂の芯まで理解した。そしてもう一つ、これからはみのりが暴走しないように、ノコやツカサも一緒に帰るようにしようと心に誓うのだった。




