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 読み過ぎてよれよれになった部活動一覧を片手に、静樹は文化系の部活が多く活動する実技塔へと足を向けた。普通科の教室がある南校舎から一度一階に下り、西の渡り廊下を経由。最終の掛け声が絶えないグランドとは対照的に、実技塔はわりかと静かだった。とは言え、各教室からは生徒たちの声が絶えない。

「いいな~、楽しそうで」

 聞こえてくる声に、静樹は思わず泣きそうになった。改めて考えてみれば、なんて理不尽な話だ。「これは無理だろう」と高笑いする大道寺校長の顔が目に浮かび、自然と拳が硬くなる。

 そんな苛立った静樹の心を解したのは、なんとも食欲をそそる甘い香りだった。

「スンスン、スンスン。お~っ! いい匂い! えっと、これは……家庭科部か」

 調理実習室から洩れる香りを確かめながら、静樹が一覧に視線を落とす。基本的に静樹は食べる専門。料理だって、母親に呼ばれた時に少し手伝う程度。

 ――でも、この匂いは反則だよな~

 自然と緩ませながら、静樹が廊下の窓から調理自習室を覗き込む。

 濃密な甘い芳香を漂わせる窓の向こう、そこは……戦場だった。

「はいっ! 次、薄力粉300グラム、重曹15グラム。無塩バター7グラム持ってこいやー」

「ほらほら、オーブンが焼けてるよ。さっさと中身を入れ替えるっ!」

「苺のヘタとり、マンゴーの皮むきまだ終わらないの? 目標、1個0・5秒!」

「そこ、それじゃダメでしょ! ホイップクリームの泡立ては力こそすべて。もっと、憎しみと愛情を込めて一気に混ぜなさいっ!」

 エプロン姿の女子たちが調理実習室の端から端へとかけずり回る。静樹が想像した、きゃっきゃわいわい楽しく料理作りの雰囲気など微塵もない。というか、ここは本当に学校の調理実習室か? 傍から見てもオーブンはプロ仕様で、冷蔵庫なんか業務用のメチャクチャでっかいやつ使ってるぞ?

「ココは本当に学校の調理室か?」

 隠れるようにして窓から中を覗き込んでいると、調理室の奥に静樹の良く見知った自分物が見えた。

 タヌキの帽子、小さな体に背負った猟銃。

 見間違うはずもないシルエットのノコは、調理自習室の奥に造られた王様でも座るような何やら仰々しい椅子に座らされていた。

「何やってんだ? あいつ」

 とりあえず、料理を作っているようには見えない。ノコの周りでは数人の女子が、旧ローマの侍女のような格好をして葉っぱの団扇――あんなもんどこに売ってんだ?――でノコのことを煽いでいる。

 まるで王族や神様のように奉られるノコ。

 そうこうしていると、今しがた部員たちによって作られていたお菓子が次々と焼き上がり、ノコの前に押し並べられていった。広い机に収まらんばかりに並べられる、クッキー、ケーキ、アイス、プリン、パフェといった数えきれないお菓子。

 少なくなる机の表面の面積に反比例して、ノコの表情が柔らかくなっていく。

 出来あがったお菓子を全て机に並び終えた部員たちは、ノコに傅いて頭を垂れた。

「ノコ様。どうぞお召し上がりください」

「――うむ」

 鷹揚に頷くノコ。

お前はどこのお姫様だ?

 思わず窓の外から苦笑していると、ノコはその手で近くにあったプリンを取り、ゆっくりとその黄金の欠片をスプーンですくい上げて口へ運んだ。小さな口を上げ、甘露の貢ぎモノを咀嚼する。

 息を飲み、ノコの反応を伺う部員達。物々しい雰囲気に、窓の外にいる静樹も思わず緊張する。

 そして部員+静樹の視線を一身に受けたノコは、ゆっくりと口の中のモノを飲み込むと……

 パァァっと無垢な赤ん坊のような笑みを浮かべて微笑んだ。

「美味しい」

 そのたった一言、たった一笑に部員達から歓声が上がる。それからノコは、一心不乱にお菓子を食べ始めた。部員たちは食べない。もう、ノコの笑顔だけでお腹いっぱいなのだろう。

 ――それにしても……

 お菓子を食べている間のノコは本当に無邪気だった。その小さな体と相まって、ますます幼く見える。

 そう言う意味では、ツカサはノコと正反対だった。出るところは凶悪なほどに出ていて、正直こっちが困ってしまう。性格も、何を考えているか分からないノコと違って直情型。たぶん、静樹が一番好きな性格だ。

 ノコとツカサ。二人の帽子の子。

 もし、あの別れの時の約束がなく、二人のうちから一人を静樹が選ぶとしたら、静樹が選ぶのは果たして……

「あら、静樹。こんなところで何をしているの?」

「うおっ!?」

 雑念が浮かんでいた所に不意に声を掛けられ、静樹の心臓が大きく跳ねる。手足を硬直させて振り返ると、そこには数人の女子を引き連れたみのりがいた。

「み、みのり」

 動揺を隠せない静樹が、目を見開きながら今は麦わら帽子を被っていない少女の名を呼ぶ。

両手を上げて変な格好で硬直する静樹に、みのりは一瞬驚いた表情を見せると、その眼を細めて可笑しそうに小さく笑った。

「何をそんなに驚いているんですか、静樹?」

 小首を傾げて微笑むみのり。その仕草一つ一つが、驚くほど絵になる。

「あ、いや。その、なぁ」

 まさか「ノコとツカサのどっちが好みか考えていた」なんて言えず、曖昧な笑みを浮かべる静樹。

 そんな静樹の様子にみのりは不可思議そうに再び首を傾げたが、すぐ傍の窓から覗く光景に「あぁ」と納得したように声を上げた。

「なるほど。ノコ、相変わらずみたいですね」

 何やら勘違いしたらしいが、結果オーライ。静樹は心の中でガッツポーズをすると、みのりの言葉に「ん?」と眉をひそめた。

「相変わらずって、あれ毎日か?」

「はい」

 静樹が再びノコに目を向ける。すでに、机に並べられたお菓子の半分は皿だけになっていた。あの小さな体の一体どこにあの量の糖分が入るんだ?

「えっと。アレも、もしかしてファンクラブってヤツか?」

「そうですね。たしか家庭科部のほとんどは『ノコちゃんの食を守る会』のメンバーでしたから」

「食を守る? アレがか」

 どう見ても偏食の勧めにしか見えないが……

 とは言え、今の会話で家庭科部に入れないことだけは確定した。大半がファンクラブのメンバーとなれば、静樹は文字通り煮るか焼かれるか分かったものじゃない。

 さて、次はどの部活を見に行くか。そう考えた時、不意にみのりが期待を込めた声を掛けた。

「ところで、静樹。もう、入る部活は決めたんですか?」

「え、いや。ちょうど探している最中だけど」

「じゃあ、私たちと一緒に行きましょう。書道部の見学に来てください」

「「野永お姉さまっ!」」

 静樹を誘うみのりに、それまで何やら剣呑な眼差しで静樹のことを睨んでいた女子たちが強張った声を上げた。

「こんな男、私たちの書道室に誘うなんていけません」

「あら、何でですか?」

「何でも何も、この男がみのりお姉さまの純潔を狙っているからです」

「まぁ!」

 ドン、と床を踏みつけてとんでもないことを言う女子に、みのりは驚いたように口に手を当て、ほんのりと顔を上気させて恥ずかしそうに首を横に振った。

「静樹。やっぱり私に決めてくれたんですね」

「お姉さまっ! 乙女チックになってる場合ではないです。眼を覚まして」

 必至に懇願する書道部の女子。しかし、みのりにはその声がまったく聞こえていなかった。

「うふふふ。でも、私はいずれ家を継がないといけないから。静樹には婿養子になってもらって。朝はおはようの接吻で起こして……ああ、だめですよ静樹。こんなところで……あぁん」

「お姉さま、戻ってきて。お姉さまっ!」

 完全に向こうの世界に行ってしまったみのりに、書道部の女子は自分の持っていた段ボールを友人に預け、みのりの体を大きく揺さぶりはじめる。ガクンガクンとちょっと危ないレベルで首を大きく前後に振ったみのりは、十数回目でようやく「ハッ!」と正気に戻った。

「私、今何を……」

「よかった、お姉さま。戻ってきてくださったんですね」

 戻ってきたみのりに、肩を揺さぶっていた女子がへなへなと床に腰を落とす。

 そんな女子を不思議そうに見降ろしたみのりは、改めて静樹に目を向けると、にこやかに笑って宣言した。

「では、静樹。書道室に行きましょうか」

「お姉さま」

 一瞬まで疲労困憊だった女子が、再び窮地に追い込まれる。彼女は信じられないとばかりに目を見開くと、みのりの両肩を強く掴んだ。

「だから、この男を書道室に招いては……」

「ダメ……ですの?」

「ぅっ……」

 悲しそうな表情を浮かべるみのりに、肩を掴んでいた女子の顔が強張る。みのりのその表情は、まるで女の憂いの美を結晶にしたかのような、抗えない“何か”を放っていた。ほんの少しでも押してしまっては、その美は崩れてします。大切に、大切に抱えなけらば儚く消える、そんな幻のような表情。

 女子が折れるのは、もはや宇宙の摂理だった。断腸の思いで、女子はゆっくりと頷く。

「わかり、ました」

「本当ですか。ありがとうございます、沢木部長」

「部長っ!?」

 みのりが放った一言に、静樹が思わず声を上げる。

 そんな静樹に、みのりの肩からゆっくりと手を話した沢木部長は、まるで親の仇でも見るような鬼の形相で睨みつけた。

「私が部長で、何か問題でも?」

「え、いや。さっきからみのりのことを『お姉さま』って」

「野永みのりは私たち全員の『お姉さま』だっ! 文句あるか?」

 言葉一つ一つに殺気を滲ませる沢木部長に、静樹は慌てて首を横に振る。

「何してるんですか? 早く行きましょう」

 そんな二人を無視して、みのりは胸をくすぐるような笑みを浮かべて歩き出していた。

 深い溜息を着き、友人に渡した段ボールを受け取る沢木部長。

 そんな沢木部長に、静樹はよせばいいのに声を掛けた。

「あの、部長さん」

「なんだ?」

 威圧感たっぷりに返事をする沢木部長。さすがの静樹も怯んだ様子を見せたが、すぐに姿勢を戻すと沢木部長に手を差し伸べた。

「段ボール、俺持っていきますよ」

「な、何をっ? ご機嫌取りのつもりか?」

 突然の静樹の申し出に、沢木部長が声を荒げて警戒する。

 静樹自身お節介は分かっていたが、自分の性分には逆らえず、苦笑しながら言った。

「いや、ただ重そうだし。そういうの持つのって、男として当り前のことですよ。別に、ご機嫌取りとかじゃ……あれ?」

 弁解する静樹が小首を傾げる。なぜか沢木部長の顔が真っ赤になっていくのだ。

「『男として』? よ、よくそんな恥ずかしいこと。 バッカじゃない」

 震える声で静樹を罵倒する沢木部長。

 ――ヤバい、怒らせた?

 にわかに静樹が焦ると、沢木部長は「ふんっ」と大きく鼻を鳴らすやいなや、手に持っていた段ボールを静樹に押し付けた。中身は書道用の半紙らしい。意外とずっしりくる。

「じゃ、じゃあ。持ってもらおうじゃない」

「あ、はい。あ、他の人も、良かったら持ちますよ」

 突然声を掛けられ、沢木部長の後ろにいた数名の女子がビクッとする。

「ほら、あなたたちも渡しなさい。せっかく持ってくれるって言ってるんだから、こき使えばいいの。早くッ、お姉さまを待たせるつもり?」

「は、はい。じゃあ……おねがいします」

「おう」

 おずおずと差し出された荷物全てを持った静樹は、その後、何やら微妙な空気に包まれながら書道室へと案内されたのだった。


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