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(3)

「これで終わりっと」

「あ、あの。ありがとうございました」

 最後のボックスを積み上げる静樹に、手伝っていた女子たちが頭を下げる。静樹にしては当り前なことなのだが、こう素直に頭を下げられると、何ともこそばゆい。

 静樹は照れたように視線を泳がせると、活気づくグランドを指差して口早に言った。

「当り前のことをしただけだろ。ほら、そんなことよりさっさと戻った方がいいぞ。恐い先輩にどやされる前に」

「えへへ、そうですね。じゃあ、失礼します」

 何が面白かったのか、女子たちは楽しそうな笑みを浮かべてグランドへと戻っていく。その後ろ姿を見送っていると、次はどこか歯切れの悪い声が横手から掛かった。

「お、おい」

「はい? なんですか先輩」

 どこか様子のおかしい三年生に静樹が視線を流すと、彼らは「チッ」と舌を打ちながら、明後日の方向を向いて呟いた。

「…………サンキューな」

「え? すみません、声が小さくて。もう一回おねが……」

「う、うるせぇ。なんでもねぇーよ。いくぞッ!」

 何が癇に障ったのか、三年生が顔を真っ赤にすると、そそくさとその場から去っていた。

 ぽつん、と一人残される静樹。その背中に忍び寄る影。

「し、ず、きっ!」

「いてっ。いきなり何すんだよ、ツカサ」

 突然背中を思いっ切り叩かれた静樹が、意味が分からずツカサに非難の眼を向ける。

 肩越しにツカサはニマ~っと嬉しそうな笑みを浮かべると、そのまま静樹の首に腕を回し、ヘッドロックを掛けてきた。

「ななな、なにすんだ!?」

 頭を抱えられた静樹が、目を丸くして腕を振り回す。ツカサは部活後なのか、体操服がしっとりと汗ばんでいた。首に巻いた手ぬぐいは、もうびしょびしょだ。汗臭い……とは言えない別の香りが静樹の鼻孔をくすぐり、思考を弛緩させる。やばい、何かがとてつもなくヤバい。静樹の溶けかけた理性がツカサ警報を発動する。

 そんな静樹の葛藤など露知らず、ツカサはさらに腕に力を込めツカサの頭を胸に引きこむと、心底嬉しそうに笑い始めた。

「あはははは。この~、しずき~。カッコいいじゃないかよ~、こんチキショー」

「言ってることとやってることが無茶苦茶だぞ! つか、早く放せっ!」

「あうっ!」

 左手でツカサを押し退け、静樹が自分の体を庇うように身構える。

 そんな静樹に、ツカサはからかうように人差し指を唇に添えて笑った。

「んもう、つれないなぁ。 こんなの、スキンシップでしょ」

「ココは日本だ。そう言うスキンシップはオープンなアメリカでやってくれ」

「静樹って本当にお堅いね―。体育会系なら、日本でも当たり前っしょ」

「同性同士ならなっ!」

 いくら体育会系のノリと言っても、ツカサのヘッドロックは酷だ。あの凶悪な胸に押し付けられて、しかもあんな匂いまで嗅がされて平然としていられるほど、静樹は人間を諦めてはいない。

 隙あらばと体を揺らすツカサは、まるで獲物を前にしたネコだ。いや、舌舐めずりをするあたり、虎と言った方が近い。獰猛で、悪戯好きで、手に負えない。

「で、なんのようなんだ?」

「何の用だはないっしょ。昔、あんな約束をした仲なのに」

 まるで女の子をからかう男子のように笑うツカサに、静樹は「あっ……」と小さく声を漏らした。

そうだ、最近面と向かって話しが出来なくてすっかりと忘れていた。

 約束の子はノコだった。静樹は思い出したのだ、あのときノコと遊んでいた思い出を。つまり、ツカサやみのりの言う約束の男の子は静樹じゃない。どうしてそうなったのかは分からないが、静樹が約束した帽子の女の子は一人だけで、それがノコである以上、ツカサとみのりが言っていることは勘違いだ。

 テストや新しい課題のゴタゴタで結局話せないままだったが、ようやくチャンスが来た。

 ――これ以上誤解が膨らむ前に、ちゃんと言わねぇと。

 静樹は自分にささやかな気合いを入れ、ツカサに話しを切り出した。

「なぁ、ツカサ。俺さぁ、実は……」

「ほら、ボサってしてないで。行くよっ!」

「え? 行くって? お、おいっ。いきなり何だよ?」

 意気揚々と静樹の手を引いて歩き出すツカサに、静樹が困惑の声を漏らす。

 ツカサは「ぜーんぶ、お見通しだよ」と言わんばかりに、にこやかに目を細めて振り返ると、余った手で静樹の右肩をギュッと握った。

「つっ」

 肩を握られた途端、静樹が顔を歪めながら声を漏らす。その隙にツカサが静樹の制服の襟を引っ張ると、赤く腫れた右肩が服の下から現れた。

「さっき、あの三年生が掴んだ棒がぶつかったんだよね。」

「大したことな……ィイッ!」

「はい、痛いね。はい、保健室行こ」

 急所をしっかりと押さえたツカサは、どこか嬉しげに手を引くと、そのまま有無を言わさず保健室へと静樹を引っ張り込んだ。しかも、タイミングがいいのか悪いのか、保険医の先生は不在中。

「ちょっと、そこ座ってて」

 長椅子に静樹を座らせたツカサが、慣れた手つきで保健室の棚を物色し、勝手に湿布やタオル、包帯なんかを次々に取り出していく。

「おいおい、勝手に漁っていいのかよ?」

「平気平気。だって、あたし保健委員だもん」

「えっ!? マジで?」

「なに? その反応は?」

 氷水を作るツカサが、静樹の反応に不服そうな表情を浮かべる。

 静樹は「あ、悪い」と慌てて顔を前で手を横に振ると、それでも意外そうな表情を浮かべたまま答えた。

「いや、でも。ツカサはなんとなく体育委員とか、イベントなんかの実行委員が似合ってそうだったからさ」

「あ~、まぁ、どっちも好きだよ。体動かすのも好きだし、イベントか盛り上げるのももちろん好き。でも、やっぱりやるなら保健委員だって決めてたから。……と、そうだっ! 忘れるとこだった」

 氷水とその他一式をトレイに乗せたツカサが、慌てた様子で声を上げる。トレイを近くにあった台に下ろしたツカサは再び棚に駆け寄ると、棚の中から純白の生地が眩しいナースキャップを取り出して、今まで被っていた野球帽の代わりに装着した。

「どうだっ!」

「いや、『どうだ』と聞かれても」

 胸を張って訊いてくるツカサに、静樹が困惑した面持ちで首を捻る。

 体操服にナースキャップ。こんな異色の組み合わせが、かつて存在しただろうか?

 余りに反応の鈍い静樹に、さすがのツカサも「はぁ~」と重い溜息を吐きだした。

「静樹ぃ~。そのリアクションはないでしょ。ナースキャップだよ! 男の夢でしょ。それに、ナースキャップを被った女子は、戦闘力が1000ポイント増加するんだよ」

「どこのカードゲームの設定だよっ? たく、ナースキャップ一つで、そんな変わるわけ……」

 呆れ気味に肩を落とした静樹の言葉が途切れる。

 さっきまで、野球帽を被っていたツカサ。そして、いまナースキャップを被ったツカサ。

 いや、いやいやいやいやいやいやいやいや。違う違う違う違う違う違う。

 認めん。認めて堪るか!

 そんな、帽子一つでこんなにツカサが可愛く見えるなんて。いや、もともとツカサは十分に可愛い分類に入るんだが、それは、どちらかというと男性的で健康的な可愛さであって。こんな、こんな、こんな包容力のある可愛さは微塵もなかったはずなのに。はずなのにっ!

「どうしたの、静樹。顔赤いよ」

 心配そうな顔をして、ツカサが額に手を差し伸べる。氷水を作っていた手は冷たくて、火照った顔にはちょうどいい。あぁ~……、癒される。――――じゃなくてっ!

 何でだ何でだ何でだ? 何でこうも変わるんだ? これがツカサの言う戦闘力アップだとでも言うのか?

「え、ちょっと。熱っ! 静樹、本当に大丈夫? 熱あるんじゃない?」

 額の熱さに驚いたツカサが、もう一度確かめようと今度はその広いおでこを突き出してくる。いや、待て。その体勢は色々危険だ。というか本当になんなんだ? その献身的な態度は? これもナースキャップの効果なのか? そんな、帽子一つで性格が変わるなんて、そしてこんなにも惑わされるなんて。

 ――そんなバカな? 認めない。俺は認めない!

「ハットトリックなんて言わせないっ!」

「……は? 何言ってんの? 静樹?」

「え……?」

 気が付くと、静樹は長椅子の上に立ち上がり叫んでいた。キョトンとするツカサ。恥ずかしさが一気に込み上げ、静樹は慌てて椅子に座り直す。

「な、何でもないっ!?」

 口早に言った静樹が、もはや氷水が一瞬で沸騰しそうなほど真っ赤になった顔をツカサから背ける。

「んふふふふ。そういうとこ、静樹って本当に可愛いよね」

「か、可愛い? 俺がっ?」

「うん」

 ツカサは出来の悪い弟でも見るように微笑むと、楽しげに鼻歌なんか歌いながら静樹の肩の処置をし始めた。濡らしたタオルを患部に当て、湿布を張る。静樹も、それで終わりと思ったのだが……ツカサの眼は誤魔化せなかった。

「はい、次は左足ね」

「よく、わかったな」

 少し驚きながら、静樹は素直に左足の裾をめくる。すると、若干腫れた足首が顕わになった。三年生を受け止めた時、こちらも少々捻ってしまったのだ。でも、まさかこっちにも気が付くとは。

「歩き方変だったし、伊達に保健委員はやってないよ」

 得意げに笑いながら、ツカサは引きよせた椅子に静樹の足を乗せ、再び患部を冷やしたタオルで覆う。少し熱を持った足首に、冷たいタオルが何とも心地いい。それだけで、痛みが全部引いていきそうだ。

 足を冷やす傍らで、ツカサが包帯を準備する。

「おいおい、そこまでしなくても」

「ダメ。ねんざは癖になるからね。ちゃんと直すこと」

 嗜めるような口調で、ツカサが微笑みながら静樹の額にデコピンを送り込む。

 そんなツカサの表情が、唐突に変わった。嬉しそうで、どこか夢を見ているかのような不思議な笑み。

「ツカ……」

「やっと、あの時の借りを返せたよ」

 ともすれば涙さえ流しそうな声でツカサが囁く。

 ――あの時? 借り?

 そんなツカサの言葉が静樹の脳裏に浸透し、唐突に弾けたかと思うと、遥か昔の記憶を呼び起こした。


 前日に雨が降った森は蒸し暑く、足下が悪かった。苔の生えた岩、倒れた木の表面は滑りやすい。

 でも、子供にはそんなこと関係ない。子供の頃は誰しも恐いもの知らずだ。むしろ、恐いからこそ、危ないからこそ試したくなる。

 静樹もそんな子供の一人だった。

 いつもと違う森の中を駆けまわる静樹。

 そのとき、どこからともなく小さな泣き声が聞こえてきた。

 静樹が声の方へ向かうと、あの女の子、帽子を被った女の子が足を抱えて泣いていた。

「ひっく。あし……ひっく……くじいた」

 しゃっくりを上げ、縋るような眼差しで静樹を見上げる帽子の少女。

 静樹は持っていた手ぬぐいを、彼女の足に巻いてあげた。拙い拙い応急処置。

 その日、静樹はその子をおんぶして、二人で家に帰っていった。


「静樹、どうした? ボーっとして」

「あ、いや。少し昔を思い出した。そうか、俺、あの時ツカサを」

 零れるように言葉を漏らす静樹。

 ツカサは先ほどのように淡く微笑むと、処置を終えた静樹の足から手を放し、自分の首に巻いていた手ぬぐいを解いた。手ぬぐいを大切そうに抱え込むと、ツカサがその端を静樹に差し出す。

 『みやましずき』

 手ぬぐいの端には、静樹の名が可愛らしくひらがなでしっかりと刺繍されていた。

 呆然とする静樹。頭が上手く動かない。

「これ、あたしの宝物なんだよね」

 そんな静樹をよそに、首に手ぬぐいを巻き直したツカサが真っ直ぐな眼差しで囁く。

「静樹。あたしの夢、聞いてよ」

「あ、ああ」

 半ば放心状態で答える静樹に、ツカサは恥ずかしそうに笑って言った。

「あたしね、看護婦さんになるのが夢なん。あの時から。そんで、いつか静樹に恩返ししてやんなきゃって、ずっと思ってたんだ。今、やっと目標の一つが叶った。でも、もう一つの方がまだ叶ってないんだよね」

 いったん言葉を区切り、ツカサがくるりと反転して静樹に背中を向ける。

 そして、大きく息を吸い込むと、再び体を反転させ、太陽に向かって大輪の花を咲かせるヒマワリのように笑って宣言した。

「静樹。あたし、絶対に静樹のお嫁さんになってやるから。覚悟しときなよ」

 自分を信じて疑わないツカサの言葉が、徐々に徐々に静樹の耳に溶けていく。

 お嫁さん……お嫁さん……お嫁さんっ!?

 その言葉に、ようやく静樹の思考のギアが回転し始めた。

 そうだ! いや、どういうことなんだ?

 先日の一件で、静樹は自分が約束した帽子の子はノコだと思っていた。けど、静樹はツカサとも子供の頃に出逢った思い出があった。ふりだし? いや、しっかりとした記憶が蘇った分、余計に分からない。

 ――俺が約束した帽子の子は誰なんだ?

 唸り声を上げながら、静樹が頭を抱え込む。

「まぁ、あたしはノコとみのりと一緒にハーレムエンドでもいいんだけどね」

 そんな思い悩む静樹とは対照的に、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべたツカサはあっけらかんととんでもないことを言い始める。

「何言ってんだ、そんな不誠実なこと出来るか」

「うわ~、どこまで堅いだよ、静樹は。綾おばさんも、浮気は男の甲斐性だって言ってるのに」

「綾ばぁを持ちだすなっ! あーもう」

 ツカサのペースに巻き込まれ、余計に考えがまとまらない。

 そんな静樹を見たツカサは、突然悪戯な小悪魔のような微笑を浮かべると、


 静樹の頬にそっとキスをした。


「な、ななななななななななななな。何すんだぁあああっ!?」

 静樹、びっくり仰天。余りに驚き過ぎて、勢い余った後頭部を背後の壁に強打。保健室に――ゴン――と人体から聞こえるには危険すぎる音が響く。

 頭を押さえて今度は呻き声を上げる静樹に、ツカサは唇を指先で押さえながら、楽しげに答えた。

「何って、やっぱりハーレムでも本命でいたいからさ。先に唾付けておこうと思って」

「行動が生々しすぎるわっ!」

「あはははは、ごめーん」

 軽快な笑い声を上げたツカサが、憤慨する静樹をよそに使った備品を片づけ始める。そして、これ以上怒られるのはごめんとばかりに、そそくさと保健室の戸を開けた。

「あ、そうそう。ねんざはホントに癖になるから、二、三日は無理したらダメだよ。これ、約束ね。んじゃ」

 敬礼のポーズを最後に取ったツカサが、保健室から猛スピードで退散する。

 ぽつんと一人残された静樹の手が、無意識に頬に伸びる。

「俺……今キスされたのか?」

 数瞬前のことを改めて思い出した静樹が、――ボン――と頭から湯気を立ち上らせる。

 その後、静樹は帰ってきた保健室の先生に発見されるまで、長椅子で気絶し続けたのだった。


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