(2)
「いよぉっ! 静樹、ようやく来たか! 待っとったぞっ!」
「源じい、痛てぇ。痛てぇって」
都会ならまずあり得ない両開きの扉を開けるなり、祖父の源じぃは静樹の肩をその無骨な手の平で何度も叩いて再会を喜んだ。まさに痛いほどの喜びだ。一撃一撃に骨が軋む音がする。
農作業で鍛えた力はこれほどのものか。改めて静樹は祖父を尊敬した。
「お帰り、静ちゃん。おじいちゃんたら、五時からずっと待ってたのよ」
「五時って……。綾ばぁ、まさか昨日の夕方とか言わないよな」
「ううん。ちゃんと朝の五時よ。昨日のだけどね」
うふふふ、と祖母はその年齢からは考えられないほど艶のある笑みを浮かべた。さすが、未だホストへ遊びに行くだけのことはある。笑う姿は乙女そのものだ。
いろんな面でまだまだ現役の祖父母に再会し、静樹はなんとなく疲れながらも「帰ってきた」気がした。
「ただいま。源じい、綾ばぁ。今日からよろしく」
「応よっ!」
「こちらこそ、こんなバカなじいちゃんと綺麗なばあちゃんの所に来てくれてありがとうね」
自分のことを負い目もなく――いや、実際その通りなのだが――「綺麗」という綾ばぁに、静樹は思わず苦笑する。確かに、この二人は父の親だ。間違いない。そう言う意味で愚直真面目な自分は、若くして企業し、真摯な経営からグローバル企業の社長になった母親似なのだろう。
自分に受け継がれた母方の遺伝子に感謝しつつ静樹は案内されるままに、用意された自分の部屋へと向かった。
八畳の畳部屋。ほのかに鼻をくすぐる畳の香りが堪らない。段ボールが幾つか詰まれているというのに、大の字になって眠れる。そして何より静樹が嬉しいのは、念願の畳に布団というスタイルで眠れることだ。
やったぜ、和式万歳!
「だぁぁぁ――っ! 我慢出来るかっ!」
静樹は押し入れに駆け寄り、きちっと畳まれた布団を引っ張り出した。目標は部屋のど真ん中。陣地はすでに占領したっ!
白いシーツが眩しい敷布団と、ふわっふわの羽毛布団で温か毛布をサンドイッチ。蕎麦ガラまくら投入。静樹の聖地ここに完成。ああ、黄金比率の長方形。
準備運動OK。静樹は心を落ち着かせ、偉大なる一歩を踏……
「静ちゃーん。ご神木に挨拶行ってきなさいなー」
「あ、はーい。わかったー」
残念、聖地面着陸失敗。
でも、ご神木の挨拶を先延ばしにするわけにもいかない。礼儀は大切。自分の欲を優先させるなんて……
「優先させるなんて……俺には」
目の前に広がる真っ白な処女地が静樹を呼ぶ。
ほーら、ほーら。あったかいぞ~、ふわふわだぞ~。
「ま、惑わされるか!」
嘘か真か、布団の声が聞こえてきた。これが噂に聞く九十九神だろうか。まぁ、今さらこの家に妖怪がいた所で、静樹は驚きはしないが。
「そこで待ってろ、必ず戻ってくる!」
静樹は断腸の思いで決断を下すと、目に涙を溜めながら踵を返し、家の裏山へと向かった。
静樹の実家、深山家はその裏手にある山をまるまる所有していた。樹齢300年と噂のご神木は、その山間の中腹にある。子供の頃の足では1時間は掛かる道だが、今の静樹の足なら普通に登っても30分と経たずに着くだろう。
手つかずの自然が残る山は深い緑の匂いがした。都会にいた頃は見ることの少なかった自然の色が、静樹の眼を潤す。踏む土は足裏を柔らかく包み込み、歩くたびに足が喜んでいる気がした。
風が吹けば若葉が擦れ、――ざわざわ、ざわざわ――とまるで波の満ち引きのような音を立てて静樹の耳を楽しませる。車の音や人の雑踏もない。無駄のない音は静樹を森の奥へと導いた。
もはや完全に道順など忘れた静樹だが、獣道がご神木までの道を教えてくれる。まるで、某有名アニメ映画のワンシーンだ。この森は、どんな不思議な冒険を初めてくれるのだろう?
残念ながら雨傘を差したずぶ濡れお化けや、行き先自由なネコの乗り物などには逢えなかったが、静樹は迷うことなくご神木へとたどり着けた。
「は~ぁ。太っとい」
大きな溜息と共に、素直な感想が口から飛び出した。
子供の頃の思い出だから高校二年生になった今なら、などという思い込みは真っ向から弾き飛ばされた。幹はおそらく静樹1ダース分が手を繋いでようやく一周。木の葉が付いている枝は、一番下の層でさえ見上げていると首が痛くなる。
こんなのを見せられれば、自分の小ささが改めてよく分かった。
ほとんど無意識のうちに、静樹が両掌を合わせる。別に何かを祈ろうとか、そういうことも思ったわけじゃない。ただ、自分より遥かに大きな存在に、自然と両手のシワとシワがくっついたのだ。
「ふぅ」
無言の挨拶を終え、静樹が静かに息を着く。
「さて、帰るかぁぁぁっぁーあれれれぇえええ!?」
突如、森の静寂を静樹の悲鳴が引き裂いた。ひっくり返る森の緑。日光をたっぷりと吸った青々しい木々の葉っぱは下に、大地の潤いをたっぷりと吸った草の瑞々しい緑が上に。
ぶらんぶらーんと、足をロープに獲られた静樹は、ご神木の近くに生えていたこれまた立派な木に宙づりになってしまった。吊り上げられた反動がまだ残っていて、かなり揺れる。そんでもって、物凄く気持ち悪い。
ああ、罠に掛かった動物ってこんな気持ちなんだな~っと、静樹はどこか冷静に思った。
ガサッガサガサ
「な、今度は何だ?」
近くの藪がざわめく。そう言えば、最近この辺りで熊が出てちょっとした騒ぎらしい。
「なるほど、最近の熊は罠まで張るようになったのか」
そこまで知能があるなら、もしかしたら話しあえば分かり合えるかも……。
熊のご機嫌を取るためのお世辞を20個ほど考えていると、いよいよ藪が二つに分かれ、音の正体が顔を出した。
「え……タヌキ?」
宙づり状態の静樹が、目に飛び込んできた物体に思わず素っ頓狂な声を漏らす。藪を割って現れたのは、チャーミングな尻尾を揺らすタヌキ……なわけがなかった。
藪を割って現れたのは、タヌキの帽子――あの、狩人が被るヤツ――をダボッと目深まで被った、小柄な少女だった。
なぜ少女? なぜタヌキ?
静樹が困惑していると、視線を持ち上げた少女と目が合った。小顔の割に大きな眼。ちっちゃな鼻と、ちっちゃな口。なんだかムスッとしていて機嫌が悪そうだが、それが逆に愛らしい。
なんか、むしょーに撫でたくなる。変な意味じゃなくて!
「えっと、まぁ、あ~」
とりあえず何をツッコめばいいだろうか。要点整理。
この罠、君が張ったの?
なんでタヌキの帽子?
えっと、その俺に向けて構えている立派な猟銃……?
「猟銃っ!?」
今さらながら、静樹は少女が自分に向けている猟銃に声を上げた。猟銃だから猟をするための銃だ。つまり、獲物をしとめるための武器だ。でだ、この場で獲物と言えば誰だ? ぶらんぶらーんと宙づりですよ俺。まさに恰好の的。
ダラダラダラと、静樹の額から大粒の汗が滴り落ちる、何、これ。俺なんかご神木を怒らせるようなことした?
いや、待て。よく考えるんだ静樹。相手は女の子だぞ。それも、猟銃なんかよりう○い棒を持ってる方が断然似合う。あ~、そうか。最近の駄菓子屋は、ここまで精巧な銀玉でっぽうを作るようになったか。
「質問。それって、本物?」
「残念だけど、これはエアガン。ノコはまだ本物を持たせてもらえない」
見た目通りの可愛い声が帰ってきた。それに、持ってるって言ってもエアガンならまだ可愛いほう……
「でも、これは改造したから、熊ぐらいなら倒せる」
全然可愛くないっ!
ああ、俺ここで撃たれるんだ……
静樹は再び静かに目を閉じた。人間、どうしようもなくなったら祈るしかない。ずっと万歳していた手が、今度は合掌の形をとる。ナンマイダ~ナンマイダ~。
静樹が念仏を心の中で唱えていると、妙に顔のそばがこそばゆくなってきた。何か小さな風が当たるというか、吸われてる?
恐る恐る静樹が瞼を開けてみると、自分の目のすぐ傍に先ほどの少女の唇があった。
「んなっ!」
あまりの衝撃的光景に、宙づりにされた静樹の身体が海老反る。
「動くなっ!」
「うわ、待て。撃つなっ!」
再び銃口を静樹に突きつける少女。静樹は自然と万歳の体勢になって硬直。
謎の少女は、再び静樹の匂いを嗅ぎ始めた。近づく少女の顔に、静樹の身体がさらに硬直する。そろそろ頭に上ってきた血が限界だというのに、出るのは冷や汗ばかりだ。ついでに言えば、少女が被るタヌキの帽子の毛が首筋辺りを撫でて、くすぐったいことこの上ない。
入念な匂い検査を済ませた少女は、一歩後ずさると、何か挑むような強い眼差しで問いかけた。
「お前……静樹、だな」
「え、あ、ああ」
自分の名を呼ばれ、静樹はうろたえながら頷く。なんで、この娘は自分の名を……。
いや、待て。
さっき。この娘、自分のことをノコって。それに、帽子……。
「もしかして、のっち。なのか?」
自分の今置かれている状況すら忘れ静樹が問いかけると、少女は無言のまま、しかし感極まった表情で静樹の顔を抱き寄せた。
「待ってた。遅い、バカ」
「あ、ああ。ごめん」
感動の対面……とはほど遠いが、なかなか衝撃な再会だった。
ところで、そろそろ限界になって来たものがある。
静樹の鼻から垂れる紅い雫。女子に対して免疫が薄いから、と言うわけではない。誰だって、宙づりにされた状態で5分以上も経てばこうなるさ。
「の……っち。降ろしてくれ……。ヤバい……から」
「あ、忘れてた」
悪気もなく言ったノコは、すっとその細い手を持ち上げ引き金を引いた。特製エアガン猟銃の。
――バスンッ――とエアガンにしては強い発砲音が木霊し、同時に荒縄が――ブチ――と小気味の良い音を立てて切れる。その音に続いたのは、静樹が地面に落下する音だ。叫ぶ暇すらない。
ギリギリで身体を捻って受け身を取ったものの、静樹は全身を強かに地面に打ちつけた。
「イテぇー。もうちょっと、丁寧に頼むよ」
身体を鍛えていたこと、ついでに地面が腐葉土で柔らかかったこともあって静樹は腰をさすりながらも自力で立ち上がった。
改めて、今度は天地がノーマルな状態で静樹はノコと向かい合う。
「ひさ……」
「約束、憶えてるか?」
静樹の言葉を遮ったノコは、猟銃を落とし静樹の襟元を掴んだ。静樹よりもノコはかなり小柄で、少し背伸びをする体勢になる。自然と顔が上を向き、上目使いなうえに、小さく瑞々しい口が静樹の両目を捉えて離さない。
「約束、憶えてるか?」
もう一度、ノコが静樹の問いかける。強い瞳が、すこし怯えるように震えていた。
「お嫁さんにして、って約束。だよな」
「そうだっ!」
静樹の返答に、ノコは飛び上がらんばかりに頷いた。
本気の眼。表情はまだ少し無表情だが、その喜びを代弁するようにタヌキの帽子の尻尾がピーンと立った。
「えっと……、俺は男として約束は守る。でも、いいんだな」
「当り前。それに、嫌だって言っても逃がさない。また、罠作る」
なるほど、さっきの罠は逃がさないためだったのか。
なんとも背筋に寒いものが走った気がしたが、何はともあれ約束の相手が現れたのだ。
それも、可愛い子。ご神木は、確かにご利益をもたらしたみたいだ。
「じゃあ、よろしく頼む」
「ん」
ハッキリと頷くノコ。
だが、静樹は知らなかった。
ご神木のご利益は、これだけで留まらないということに。




