(8)
「静樹、ちょっと待て」
「ノコ。どうした?」
ゴミ袋を片手に階段を降りていたら、ノコがひょこひょこと階段を駆け下りてきた。
「静樹、ゴミ捨て場の場所知らないだろ」
「ん。確か、部室塔と体育館を抜けたと……」
「知らないだろ?」
「いや、だから部活塔と……」
「知らないだろ?」
「ノコ、何言ってるん……」
――バシュンッ!――
「知らないだろ?」
「はい、知りません」
「しょうがない。ノコが案内してやる」
ノコは猟銃を肩に担ぎ直すと、再びタヌキの尻尾を揺らしながら階段を降りはじめた。
脅しじゃんっ!
階段の踊り場にめり込んだBB弾を見ながら、静樹が心の中でつっこむ。けど、心なしか楽しそうなノコの顔を見ると、声に出そう思えなかった。断じて、ノコが担ぐ猟銃が恐いわけじゃないぞ。
生徒玄関で靴を履き替え、校舎を横目に見ながらゴミ捨て場へと向かう。
やっぱり、小さいよな……
タヌキの帽子を足しても、肩ほどしかないノコの身長。平坦な道で並ぶと、その小柄さを思い知らされる。
これで、銃さえ持ってなきゃなぁ……
小さな肩から、ノコの持つ猟銃に視線が滑る。先ほどまでは肩に担いでいたが、今は胸に抱くようにしてノコは猟銃を持っていた。
そんな静樹の視線に気が付いたノコが、その大きな眼を静樹に向ける。
ノコは物凄く不機嫌そうな表情を浮かべると、ギュッと猟銃をその小さな胸に抱き寄せた。
「どこ見てる」
剣呑な眼差しで、ノコが静樹を睨みつける。静樹は慌てて片手を横に振った。
「ノコ、誤解するな。俺はただ、銃を見てただけだからな。銃を」
「おっぱい星人」
「いや、だから誤解だって」
必至に弁解する静樹に、ノコは「ふんっ」と鼻を鳴らすと口早に言った。
「相手を油断させるのは狩人の基本だ」
油断? というか、その理屈だと俺は獲物か?
笑えばいいのか、呆れればいいのか、困ればいいのか。とりあえず、撃たれなかったことを静樹が喜んでいると、程なくしてゴミ小屋が見えてきた。ノコを少し手前で待たせ扉を開けると、ツンとした酸っぱい匂いが鼻を刺す。
静樹は悪臭に顔を顰めながら、燃えるごみの一角に手に持ったゴミ袋を下ろした。それにしても、臭い。ついでにどんよりと空気も悪い。
さっさとノコを連れて帰ろう。
そう、静樹が踵を返した、その時だった。
「ふひゃっ!」
ゴミ小屋の外から、ノコとは思えない弱弱しい悲鳴が響いた。
「ノコっ!? どうした?」
静樹が慌ててゴミ小屋を飛び出すと、そこには地面にへたりこんだノコがいた。スカートを地面に広げ、ペタンとお尻を付いている。小さな肩は小刻みに震え、まるで雨に濡れた子猫のようだ。
いったい、何があったんだ?
「おい、ノコ。大丈夫、うおっ!?」
声を掛けながら静樹がノコに手を差し伸べると、ノコはその手に掴むどころか、静樹の身体に飛びついてきた。猟銃まで放りだして、小さな身体で静樹にしがみ付く。トレードマークのタヌキ帽の尻尾は、怯えるように丸まっていた。
これはタダごとじゃない。
「どうしたんだよ、ノコ。何があった?」
「へ、へひぃ。あそこ」
ノコが静樹の背中にずりずりと体を移動させながら、ゴミ小屋のとなりにある藪の手前を指差す。なるほど、確かにノコの言うとおり、そこには茶色に黒の斑点があるヘビがとぐろを巻いていた。
それにしても、まさかノコがこんなに蛇に怯えるなんて。
「静樹、なんとかしろっ!」
強い口調で命令するノコが、ずいずいと静樹をヘビの方へと押しやる。
「こら、押すなよ。今どけてやるから、ちょっと待ってろ」
ノコの頭、正確にはタヌキの帽子を撫ぜながら静樹が近くに合った棒きれを手に掴む。都会には慣れてたとは言え、元は山っ子の静樹だ。ヘビはそれほど怖くない。
「ほ~ら、ほら。さっさと藪へ帰れ~。早くしないと穴だらけになっちまうぞ~」
棒先で軽く突きながら、蛇を藪へと誘導する。実際のところ、ヘビとて身体の大きな人間は怖いのだ。「ごめんよ~」とばかりに体をくねらせると、すぐに藪の中へ消えてい……
「あれ……、なんか前にもこんなことあったような」
ヘビの尾っぽを見送った静樹の脳裏に、過去の光景がフラッシュバックした。
緑深い山。葉の隙間を縫って降り注ぐ木漏れ日。茂った雑草。耳をくすぐる森のざわめき。
あのときもそうだった。
あの女の子、帽子を被った女の子は、岩の隙間から現れたヘビに動けなくなっていた。
でも、その時は静樹もまだヘビが怖かった。なかなかヘビに近づけなくて、遠くから石ころを投げて、やっとヘビを追っ払った。
帽子の女の子はいっぱい泣いていた。静樹は悔しかった。すぐに助けられなかった自分が悔しかった。
女の子は泣き止まない。静樹がどれだけ小さなほっぺたを撫でても、女の子は泣きやまない。
女の子が泣きやんでくれたのは、それからだいぶ経ってからだった。
「……今の」
静樹の意識が今に帰ってくる。ツンとした匂い。「ああそうだ、ゴミ捨てに来たんだっけ」とどこか他人事のように思い出す。
思い出の女の子。やっぱり顔は思い出せない。思い出したはずなのに、どんな顔で、どんな声で、どんな帽子を被っていたかが思い出せない。
ただ、思い出のあの子はヘビを怖がって震えていた。ついさっきの、ノコのように。
ゆっくりと振り返る静樹の胸がざわめく。
「ノコ……やっぱりお前が」
半ば無意識に、静樹がその小さな頬へと手を差し伸べる。ノコは逃げない。何か挑むような眼差しで、静樹を睨んでいる。
つん、と静樹の指先が微かに触れた瞬間、ノコは――びくんっ――と大きく飛び跳ねた。
「あっ。わ、わるい!」
ようやく我を取り戻した静樹が、慌てて手を引っ込める。途端、ノコの眼差しが一気に不機嫌になった。
ずいっと、ノコが無言のまま頬を静樹の方へ押し出してくる。どうやら、もう一度撫でろと言ってるらしい。
ゴクンと、静樹は大きく唾を飲み込んだ。一応、了承は得られた(?)ようだが、なんだかとてつもなくイケない事をしている気分になる。
イヤ、静樹。お前は断じて変なことをしようとはしていない。怯えたノコを落ち着かせようとしているだけだ。
自分自身に言い聞かせ、静樹が躊躇いがちにノコへと手を伸ばした、その次の瞬間。
「ごるぅあぁぁーっ! 何をしているであるかーっ」
全身黄色タイツに身を包んだ大道寺校長が、杖を構えながら全力疾走で走ってきた。
「うわっ。校長先生!」
「違う。ワシはただの通りすがりのサンダ―ロード親衛隊であるぅー」
「いや、どこをどう見ても校長先生でしょうが」
「だまらっしゃい。貴様、またノコにえっちぃことしたであるな。現行犯であ……ウギョバッ」
凄まじい速度で前進していた大道寺校長が、真正面から放たれた銃弾に体をくの字の折れて吹き飛んだ。もちろん、狙撃手はノコだ。激怒という言葉ですら余りある怒りを静かに両目に湛えながら、ノコが再び猟銃を大道寺校長に向けて構える。
「いや、ノコ。それ以上は……」
聞く耳持たず。連続して銃声が響いたかと思うと、両手足に弾丸を撃ち込まれた校長がダンスでも踊るように体をくねらせながら、排水溝へと落下した。
実は大道寺校長の後にも十数名の親衛隊が控えていたのだが、出てくるものはもちろん皆無。
「隊長、どうか安らかにお眠りください」
隊員たちは静かに敬礼しながら、排水溝を流れてゆく大道寺校長を見送った。
「台無しだ、ばか。……静樹、帰るぞ」
ふてくされながら歩き出すノコ。静樹は慌ててその背中に声を掛けた。
「ノコ。やっぱりお前が」
「ノコじゃない。のっちって呼べ」
静樹の声に、ノコは振り向かずに答えた。