(7)
「みっやっまっ! 一緒に昼飯食わねぇか!」
「えっと…………久保田だっけ?」
「ちがーう。三条だよ。み、じょ、うぅ~。――あ、机借りるな~」
新学期二日目のお昼時間。売店の袋を持って現れた三条が手近にあった机を引きよせ、静樹の机とドッキングする。
静樹はその様子を、曖昧な笑みを浮かべながら眺めていた。
「あ、あ~あぁ。ああ……。三条ね、あ、うん」
「なんだ、その曖昧な返答は。 まさか、もう忘れたのかよ。ほら、昨日帽子っ子について熱く語ってやっただろ」
「ああーっ。あのときのっ!」
「うわ~、すげぇショック。俺、一発で覚えてもらえなかったなんて、初めての経験だわ。深山って、そぉ~とぉ~変わってるって言われるだろ」
さすがに反論できず、静樹の顔に苦笑いが浮かぶ。
そんな二人のもとに、パソコンと弁当を持った京介が呆れた顔で加わってきた。
「僕に言わせれば、二人とも十二分に変人だろ」
「お、戸口! 珍しいじゃん、お前が誰かと飯食うなんて」
「情報収集だ。三条の方こそどうしたんだ? いつもの君なら、この時間は弁当女子の写真を取りに学校中を駆け回ってるはずだろ」
「ふっ、『情報と金の亡者』と呼ばれる戸口もまだまだだな。俺がここに来た理由なんて、決ってるだろ。ずばり、深山のもとに集まってくる八斗高校の秘宝の三人を激写するためだ!」
学生服の胸ポケットからデジタルカメラを取り出し、三条が清々しい笑顔でシャッターを切る。
そのあまりに清々しい笑みに、静樹は残念なモノを見る表情で申し訳なさそうに首を横に振った。
「なぁ、三条。言いにくいんだけど、あの三人はこないと思うぞ。絶対に、例のファンクラブが阻止するだろからさ」
「はぁ? 深山、何言ってんだよ。もう隣に来てんじゃん。なぁ、雷道ちゃん」
「はぁ、何言って……、んなっ!? ノコっ、いつの間にっ!」
「もごもご」
静樹が思わず声を上げる。隣をみると、そこにはすっかりおなじみとなったタヌキの帽子が揺れていた。本体と言えば、あんパンを両手で持ちながらすでに昼食の真っ最中である。いつの間に移動したんだ?
「ぜんっぜん気が付かなかった」
「もごもご……ごくん。気配を断つのは狩人の基本」
「あ、なるほど」
いや、それでいいのか?
「ま、まあ。ノコは同じクラスだから何とかなったとしても、さすがに残りの二人は……」
「静樹ぃー! 一緒にご飯食べよーっ!」
「静樹。お昼御、よかったら飯一緒に食べましょう」
「うそぉーっ?」
静樹の予想を見事に覆し、教室の前からは溌剌とした笑みを浮かべるツカサが、教室の後ろからは少し恥ずかしそうな表情のみのりが、それぞれ自分の弁当箱を手に現れた。
「え、いや? なんで?」
「ほら、言った通りだろ」
「なるほどね。いや~、さすがというかなんというか。あれか、バカと天才は紙一重」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「いや、だからどういうことだよ」
何事もないように自分たちの席を作り始めるツカサとみのりを横目に見ながら、静樹が納得したように頷く京介に耳打ちする。
京介は早速シャッターを連射している三条に視線を流すと、めんどくさそうに説明した。
「静樹。昨日も言ったように、今はこの学校のファンクラブは危うい状態にある。自分たちのアイドルが君に取られるんじゃないかってね。だから、自分たちのアイドルをなんとか君に接触させないっていうのは、まぁ考えられる話しだ。でも、それ以上に手っ取り早い作戦がある」
「つまり、どういうことだ」
「自分たちのアイドル以外が君とくっつけばいいってことだよ。つまり、今回は潰し合いがあったんだろうね。その間に、彼女たちはここに来れたってわけ。ほら、廊下をちょっと見てみなよ」
京介に促され、静樹が教室の扉の窓から覗く廊下に目を向ける。廊下では数人の男子の取っ組み合いが始まっていた。少し離れた所にいる女子は、隙を見ては自軍の男子の援護攻撃に回っている。あ、いま男子に向かって投げられた人体模型が、内臓の模型をバラバラにして吹き飛んだ。おいおいおい、容赦ないな。
「静樹ぃー。なにしてんの、早くご飯食べようよ」
そんなことをしていると、静樹の机を中心としたお昼テーブルで自分の弁当を広げたツカサから催促の声が上がった。
「ああ、わるいわるい。んじゃ、いただきます」
丁寧に手を合わせる静樹。ようやくのお昼ご飯だ。綾ばぁが作ってくれた弁当は全部手作りだった。山菜の煮付けがいい味を出してるし、何よりお米が美味しい。派手なおかずは無いが、静樹には十分すぎるお弁当だった。
「それにしても、みんな凄い意気込みですね」
「そうそう。静樹、勉強大丈夫そう?」
「まぁ、やるだけのことはやってるよ」
「それにしても、まるで受験シーズンだよな。静樹の影響力ってすげーよ」
感動したように言う三条に、静樹はどう答えていいか分からず渋面を作る。
言い得て妙だ。三条の言うとおり、教室は新学期とは思えないほどの物々しい雰囲気に包まれていた。言うまでもなく、これは大道寺校長の出した課題によるものだ。
普通ならば、新学期始まって早々の学生はまだ春休み気分が抜けないものだ。授業だって、これからの先の進行速度なんかの説明で大したことはしない。だが、二年生にそんな間の抜けた雰囲気は一切なかった。先生の説明が終わるなり、参考書を開いて一斉に勉強モード突入。都心の学生だって、もっとのんびりするだろう。そこまでして、静樹を転校させたくないのか?
「静樹、大丈夫か? もし落ちたら、ノコ、許さないぞ」
「いや……さすがに自信なくなってきたな。まぁ、やれるだけのことはやるけど」
「なにか、いい方法はないんですかね?」
頬に手を当てながら思案するみのりに、となりで唐揚げ飲み込んだツカサが「そうだ!」っと人差し指を立てた。
「戸口がいるじゃん。ねぇねえ、答案とか手に入れられないの?」
「出来ないこともないが、それで静樹が納得するのか?」
さらっと凄いことを言う京介に、静樹は厳しい口調で「そんなことは出来ない」と言い切った。
「だよね」
「じゃあさ、じゃあさ。あれは? 八斗高校七伝説の一つ。伝説の学習帳!」
「伝説の学習帳? なんだそれ?」
なんとも胡散臭い響きに静樹が首を傾げると、お腹が膨れてこっくりこっくりと船をこぎ始めたノコを激写する三条が、容量いっぱいになったデジカメのメモリーを交換しながら答えた。
「数年前、全国模試でNO1を取って最終的に東大に行った学生が残したノートだろ。この学校のどこかに寄付されて、それを参考書にすれば学年トップになれるっていうヤツ」
「眉唾ものじゃないのか?」
「いや、存外そうも言い切れなかったりするよ」
まさか~、と笑みを浮かべる静樹の言葉を遮ったのは、一番この手の話しを否定しそうな京介だった。
意外そうな表情を浮かべる静樹に、弁当箱の代わりにパソコンを開いた京介が話しを続ける。
「確かに、過去この学校に全国模試でNO1になった生徒はいるし、しかも数年ごとにいきなり番数が跳ね上がった生徒が現れてる。あ~、この規模なら静樹も大丈夫じゃない。まぁ、この参考書を見つけ出す時間があるかどうか、だけどね」
ぱたりと京介がパソコンを閉じる。確かにその通りだ、伝説というからにはそう簡単に見つかる代物じゃないだろう。それなら、このまま地道に勉強をした方が得策だろう。
例え、京介の言うとおり万の一つの可能性だとしてもだ。
「んじゃ、俺も真面目勉強するか」
京介にならい、静樹も弁当箱を片づけ代わりに勉強道具を机に持ち上げる。
そのとき、どこか怯えるような声が静樹の背中に掛けられた。
「あ、あの。深山君。ちょっといいですか?」
「ん? えっと……ごめん、まだ顔と名前覚えてないんだ」
「副委員長の須藤さんだよ。静樹」
頭を下げる静樹に、京介が説明を加える。
「須藤さんね。あ、はいはい。どうしたんだ?」
「あのっ。深山君、庶務係だったよね」
ベージュのヘアバンドをした須藤と呼ばれた女子が、控えめな口調で静樹に訊ねる。彼女の言うとおり、今日の二限目に決められたクラス委員で、静樹は委員長と副委員長を支える庶務係に任命されたのだ。
もちろん、転校二日目の静樹が庶務係に任命されたのにはわけがある。すなわり、少しでも静樹の時間を削ろうと、なにかと雑用の仕事の多い庶務係になるように、ファンクラブのメンバーが票を操作したのだ。
「ああ、そうだけど。どうかしたのか」
「あの、それでお願いがあるんだけど……」
須藤は本当に申し訳なさそうな表情を浮かべると、教室の後ろにあるゴミ箱を指差した。
「ゴミがいっぱいになっちゃったから、お昼休みのうちにゴミ捨て場に捨ててきてほしいの。あれじゃあ、もう掃除の時間に溢れちゃうから」
「それはちょっとおかしいんじゃないかい、須藤さん」
静樹が返事をする前に、京介がその頼みごとに待ったを掛ける。須藤の小さな肩が、京介の声に飛び跳ねた。
「教室のゴミの片づけは、美化委員の仕事だろ。静樹の仕事じゃないと思うんだけど」
「そ、それは……」
「はぁ、いいよ。だいたい見当はつくから。須藤さんは無所属だからね。大方、ファンクラブのメンバーに頼まれたんだろうね。静樹、別に君がすることじゃ……。て、静樹っ!」
落ち着いた口調で話していた京介が、突然席から立ち上がる。その視線の先には、ゴミが零れないように袋のふちをきつく縛る静樹の姿があった。
「静樹、僕の話しを聞いてなかったのかい?」
「聞いてたけどさ、そんなカリカリすんなよ。このくらいで。ちょっと行ってくれば済むことだろ。あ、須藤さん気にしなくていいからな~。んじゃ、行ってくる」
「あ、静樹。はぁ、相変わらずだな。もう」
「まぁまぁ、戸口。あれが、静樹のいいところなんだからさ」
「そうです。そうです」
溜息を零す京介とは対照的に、ツカサとみのりがどこか誇らしい視線を静樹の消えて行った扉に向ける。
その二人をきっちりと写真に収めていた三条が、「あれっ?」と突然声を漏らし、空席となった二つ並ぶ席に目を向けた。
「雷道のヤツ、どこいったんだ?」
「「「え?」」」
三条の言うとおり、先ほどまでお昼寝に入っていたノコはいつの間にか忽然とその姿を消していた。