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校長室を出た静樹は先ほどの女性教師、担任の岡町先生に先導され自分の教室に向っていた。
「さっき顔合わせしたけど、みんないい子ですよ~」
間延びした口調で後ろを振り返る岡町先生が微笑む。実は、岡町先生とは静樹はすでに面識があったのだ。
まぁ、相変わらず当の本人は、涙ながらに「事前面談であってますよ~」と言われるまで完全に忘れていたのだが……。
「友達もすぐ出来ると思うよ~」
疑いなくオーバーアクションで腕を回す岡町先生に、静樹は登校シーンを思い出しながら思わず苦笑した。
「でき、ますかね~」
「できるよっ。だって深山君、今朝も大人気だったでしょ? あんなに二年生のみんなに歓迎されてたもの」
「いや。アレは歓迎されたんじゃなくて、待ち伏せされただけで……」
「そぉ~れぇ~にぃ~。ノコちゃんや、ツカサちゃんや、みのりちゃんの彼氏なんでしょ。いいな~、青春だな~。先生なんて、先生なんてぇ~。ふぇ~ん、先生も彼氏欲しいよ~」
「彼女じゃないですよっ! って、泣かないでくださいっ!」
「びぃえーん」
大口を開けて泣き始める岡町先生に、静樹がどう接したらいいのか分からず頭を掻く。こんな先生、今までの学校にはいなかった。
「と、ともかく先生、早く行きましょう。確か、二年二組でしたよね」
「ぐすんぐすん。ふぁ~い……」
前後入れ替わって、今度は静樹が深町先生の手を引く。これでは、どっちが案内役か分かったものではない。
不安だ、とてつもなく先行き不安だ。
そしてついに、運命の扉(どこにでもある普通の学校のドア)が静樹の前に現れた。耳を打つ喧騒。このドアの向こうに待ちかまえているのは、歓迎の拍手か、それとも『帰れコール』か……。
静樹が――ごくり――と音を立てて唾を飲む。あまりあてになりそうもないが『今日から君も転校生』38ページ。初めての自己紹介編に書いてあったキーワードを頭の中に押し並べる。
「では、レッツオ―プン」
「え、ちょっと。まだ心の準備が……」
いつの間にか笑顔に戻っていた岡町先生が軽いノリで運命の扉に手を掛けた。教室と廊下を遮って板が横にスライドし、喧騒が直に静樹の耳に突き刺さる。しかし、その喧騒はすぐに収まった。代わりに、痛いほどの視線が静樹に突き刺さる。
「静樹君はちょっとここで待っててね。主役は遅れて登場するものだから」
いえ、もう完全に丸見えですけど。こんな晒しモノの主役がいますか?
静樹の訴える視線に岡町先生はまったく気付かない。何が楽しいのか鼻歌交じりに凶弾まで歩いて行くと、すでに全員着席した生徒たちに向かった意気揚々と言った。
「はーい、みんなー。席についてね」
「先生。もう、全員座ってますから」
「あれ? えへへへへ、失敗失敗~。じゃあ、改めて。みなさん、その様子だともう知ってると思いますが。今日はこの教室に新しいお友達が来ました~。――キャハ、言っちゃった言っちゃった。先生、コレ言うの夢だったんだ~」
「先生、心の声が漏れてます」
「それでは。静樹君どうぞ~」
「これは何の罰ゲームだっ?」
この空気で入れってか?
「こんな空気変えられるのはチャールズ・チャップリンぐらいだろ。喜劇王を連れてこい、喜劇王を。聖杯戦争起こして英霊召喚してこい!」
はぁはぁと、静樹が肩を大きく上下させ荒い息を吐く。すでに『今日から君も転校生』を参考にすることは完全に諦めていた。つーか、参考なるかっ!
ええい。もう、どうにでもなれっ!
もはや軽い開き直りモードに突入した静樹は、大股で教室に踏み入ると、チョークを手に取り黒板に大きく『深山静樹』の名前を刻み込んだ。
「初めまして。今日、この学校に転校することになりました深山静樹です。好きな四字熟語は堅忍不抜。今日からよろしくお願いします」
もはや勢いのみで、静樹が自己紹介を敢行する。口調が丁寧なだけに、かえって迫力があった。かつてこんな転校生がいただろうか。挨拶・即・撃退を目論んでいた過激派ファンクラブのメンバーも、そのあまりの勢いに押し黙る。
沈黙する教室に、静樹は少し冷静になりながら知った顔がないかと見渡した。
いた!
探しだしたと言うより、引き寄せられたといった方が正しい。この教室で、あのタヌキ帽は目立ち過ぎる。というか、教室では帽子を取れよ。ノコ。
相変わらずタヌキの帽子を被ったノコは、机に乗せた両腕に顎を乗せ、例の通り無表情に、でもどこか嬉しげに静樹のことを睨みつけていた。ツカサとみのりの姿は無い。帽子を被っていないから見つけられないと言うわけではなく、別々のクラスのようだ。
ノコのほかには、後ろの方でパソコンをいじっている京介の姿も見つかった。こちらは静樹に一瞥もくれずに、情報の整理に精を出している。
ともかく、見知った顔が二人もいるのは静樹にとって幸いだった。心の余裕が全然違う。
「え~っと、じゃあ深山君に質問ある人~、手を上げて~」
微妙な緊張感が漂う教室に、岡町先生の間延びした声が響く。
だが、ファンクラブのメンバーは互いにけん制し合い、すぐには手を上げられない。
「はいはいはい、はーい。俺、質問ありまーす」
そんな中、妙にひょうきんな声が上がり、一人の男子生徒が飛び上がらんばかりに右手を突き上げた。どこからともなく「あのバカ」という呟きが漏れる。
「はーい。じゃあ、三条君。どうぞ~」
「おっしゃーっ!」
岡町先生の指名を受けた三条という男子生徒は、ガッツポーズをして元気よく立ちあがった。
「なぁ、深山。俺は、俺はお前を待っていたっ!」
「「「……はぁ?」」」
熱い、熱い言葉を吐く三条に、教室の天井が?マークで埋め尽くされる。
まさか、コイツ。
静樹の背中におぞけが走った。女子と好きあったことのない静樹だが、けっして、断固として、そっちの趣味があるわけじゃない。
だが、その不安は完全な取り越し苦労だった。
「ああ、深山。やっと、やっと俺と同じ。帽子っ子萌えが分かる奴が現れたか」
「はい? 何言ってんだ?」
「なんだ、隠すことはないだろ。我が心の友よ。むしろ、世界はもっと帽子っ子を崇拝すべきだと俺は思う。そもそも、なんで帽子っ子が萌えるのか、深山は理解しているか?」
「いや。だから、ちょっとま」
「そうだよな。やっぱりちゃんと理解してないよな。いや、いいよいいよ。そんなの当たり前だ。そのくらい、帽子っ子は神秘に満ちているから。でも、俺が思うに、帽子っ子の萌えのルーツはミロのビーナスに通じるところがあると思うんだ」
おいおいおい、なんか世界的な名作を持ち出してきたぞ?
「なんで帽子っ子は萌えるのか? それはつまり、隠匿性が想像力を掻きたててるんだな、コレが! 帽子に隠れて見えない部分が、俺たちの想像をかき立てる! ミロのビーナスの失われた腕を、誰もが考えるようにだ! ああ、めくるめく帽子っ子たち。深山、お前はその帽子っ子萌えに目覚めたんだ。まさにネオ人類。やったねラッキー!」
「岡町せんせーい。三条君の例の病気が始まったので、とっとと家に追い返してくださーい」
「え? あ、ちょっと待って。今、メモ取ってるから。うふふふふ、これでやっと彼氏ゲットだ」
カオスだ……。カオス過ぎる。
静樹が天を仰いでいると、更なるカオスがスピーカーから漏れ出した。
「ピーッ。え~、本日は晴天である。本日は晴天である。ただいまマイクのテスト中である」
今度はなんだ?
静樹だけでなく、突然スピーカーから漏れ出した大道寺校長の声に、教室中が注目する。
たっぷりとマイクテストを行った大道寺校長は、マイクに音が漏れるほど大きく息を吸い込むと、空気がはち切れんばかりの大声を吐きだした。
「八斗高校二年生諸君に緊急連絡である。本日、君たちの学年に深山静樹という生徒が転校した。だが、諸事情により、彼の転校は現在保留状態である。彼が転校するには三つの課題をクリアしなければならないのである。いまから、君たちにもその第一の課題内容を発表する。ずばり、一週間後の新学期おめでとうテストで、番数が10番以内に入ることである。私の言いたいことは分かるであるな。二年生諸君、一致団結して、何としてでも深山転校生の野望を阻止するのである。以上!」
嵐のような大道寺校長の声が終わる。途端、生徒たちの目つきが一転した。あるものは仲間と連絡を取り合い、あるものは参考書を机に開き、テスト勉強を開始する。
この日。町の全ての書店から、高校生の参考書が消滅した。




