プロローグ
プロローグ
荷物の大半は引っ越し業者が運んだおかげで、手荷物は小さなリュック一つ。都心から地方へと走る列車は、この春に上京する若者を乗せた新幹線と何度もすれ違った。
母親の海外転勤。専業主夫の父と前々から海外に憧れていた姉は、もちろん母に付いて行った。でも、静樹は日本、しかも故郷の祖父母の家に残ることを選択した。
海外に不安があると言うより、静樹は日本が好きなのだ。それも、今までいた都心よりは、自然の匂いが残る故郷が。帰ると言った時には、祖父母から二つ返事でOKが出た。嬉しそうな声が、今も耳に残る。
揺れる列車はコンクリートジャングルから脱出し、田園が広がる田舎へとのんびり走行で向って行く。変わる景色と共に、車窓の窓ガラスに移る静樹の表情も柔和になっていった。「カッコいい?」と聞かれれば、「ん~、悪くはないよね~」とそこそこの評価がもらえる顔が、どこか少年のように緩む。
旅の楽しみと言えば駅弁。故郷へ帰る楽しみからか興奮した腹は、何か食わせろと12時前に大合唱。下のヒモを引くと加熱される弁当を購入し、温かいご飯に舌鼓を打ちながら、静樹は今から向う故郷のことを思い出した。
静樹は小学校1年生までは、その町で暮らしていた。無理な開発をせず、山と野と共存する町。町の中心部へ行けばそこそこの店はあるが、田舎と呼ぶに些かの躊躇もない。ゲーセンなんかで遊んだ記憶なんてない。いつも、野山を駆け回っていた。
「そういや、あの子どうしてっかな?」
子供の頃、一緒に野山を駆け回っていた女の子のことを思い出す。いつも帽子を被っていたその子とは、本当に毎日遊んでいた。今思えば、よくもまぁ飽きずに同じ子とばかり遊んでいたと思う。
だから、自分が都会に転校すると知ったときは、その子は物凄く泣いた。「じぶんは長男だから、いつかちゃんとかえってくるよ」と生意気なことを言った自分。子供のくせに、あのときから自分はそんなふうに、男の子は家を継ぐのが当り前だと思っていた。
正直、海外に付いて行かなかったのも、その辺が大きい部分もある。静樹の父親は、静樹とは正反対の破天荒な人で「実家のことは祖父母が切り盛りしてるから、俺は好き勝手するんだよ」といつも言っていた。まぁ、祖父母もそんな父の親なわけで「ああ、お前らの好きなように生きればいいさ」と言っているが、静樹はやっぱり男なら実家を継ぐべきだと思う。だから、こうして故郷に戻っているわけだ。
少し話しが逸れた。そう、女の子のことだ。
自分がいつか戻ってくると約束したら、その女の子は帽子をギュッと掴み、小さな身体を振るわせて言った。
「じゃあ。じゃあ、じゃあ。帰ってきたら、のっちをおよめさんにして」
静樹は女の子のことを「のっち」と呼んでいた。そのせいか、女の子も自分のことを「のっち」と呼ぶようになった。のっちは一回だけじゃ満足できなかったのか、一度別れてもまたやってきて、何度も何度も静樹と約束した。
時間は記憶を風化させてしまう。それに静樹は昔から人の名前と顔を覚えるのがとことん苦手だった。転向前の高校だって、最後の最後までクラスの女子の名前と顔を全部覚えることが出来なかった。男子でさえ、曖昧なところがある。
今も紙に名前と顔をメモしたりして覚えようと努力しているが、どうにも神様は静樹に「人の顔を覚える」という能力を与え忘れたらしい。
のっちの顔は思い出せない。名前も、のっちと呼んでいたことしか思い出せない。
もし、帰って彼女に再会したら、自分は彼女だと分かるだろうか? いや、それ以上に彼女は自分のことを覚えているだろうか。それに、あの約束も……
もし約束も覚えていて、彼女にその気があるのなら、静樹は約束を果たす覚悟がある。約束を守るのは、人間として、男として当り前だ。二言は無い。例え、相手がどんな子になっていても。
「…………」
二言は……ない。
ただ、可愛い子ならなおいいなぁ、と思ってしまった静樹は、自分の不謹慎さに頭をガラス窓へ叩きつけた。




