「わたくし、幼い頃は病弱で本当に大変でしたのよ?」
逃した魚は大きかった系に挑戦。
「お前とは婚約破棄したいんだ、ミリエル」
「え……」
婚約者のフリード・マーコットに婚約破棄を言われたのは、学園に入学してたった三ヶ月だった。
卒業まで三ヶ月ではなく、入学してからわずか三ヶ月である。
婚約者となってから三年間。学園に入学するまで、自分たちはそれなりに仲の良い婚約者同士だと思っていた。祖父同士が友人で自分たちの孫同士を――という、話から始まって。自分たちの子の代にそれがかなわなかったのは、互いに息子しか産まれなかったから。
母が「今どきそんな親のしがらみを……」をと渋ったために、それはミリエルが十ニ歳になるまで本決まりにはならなかったが、祖父の中ではすでにまとまった話になっていた。けっきょくは嫁である母が強く出られず、決まってしまった。
ミリエルの上には兄と姉がそれぞれ一人ずつ。あちらが一人息子ならば年が合うミリエルが選ばれたのは当然なところか。
学園に入学する前に決まっていた方が良いだろうなどまで言われて。
それで三年間ほど、幼馴染にして婚約者であったのだが。
というのも、同じ男爵家で対等なやりとりに思われても。
ミリエルのシーナカイン家に嫁いできた母のエリーゼは、また同じように田舎の男爵家産まれ。
だがマーコット家の嫁であるフリードの母は王都に近い子爵家と、わずかながらに高い家格に長年何かとマウントを取られていたのだ。
「ミリエルがマーコット家に嫁いだらあのひとがお姑さんになるのよねぇ……」と。やはり母として常々心配していた。
母が渋った通りやっぱり婚約をやめておけば良かったと、ミリエルはその瞬間に思い出して。
フリードの祖父は確かに善い人かもしれない
けれどもそれが真っ直ぐ遺伝するとは限らないわけで。
フリードはミリエルが、この学園に入学してから色褪せてみえた。
フリードも同じ田舎者であるというのに。
王都の少女たちのなんて華やかなことか。
栗色といえば良いかもだが、土色の髪に同じ色の瞳のミリエルは確かに顔立ちは愛らしいかもしれないが、彼女たちに比べたら。髪型や全体的な雰囲気が。
素朴で癒されるという優しい言い方はできようが。
何せ金の髪や銀の髪、キラキラとその髪自体も価値がありそうな少女たちが。
フリードに美しく微笑みかけてくる。
フリード自身は田舎者にしては小綺麗な少年であったことも。黒髪に青い瞳で父母の良い所取りで顔立ちも良い。田舎育ちだからか騎士の訓練をしていたわけではないが、領地の仕事を手伝っていたおかげで自動的に引き締まった身体もしている。
彼の見た目が良いのは、彼の母がそれとなく整えていたからだ。都会育ちのセンスで。
同じように田舎者のミリエルの母ではこうはいかない。
そうしてたった三ヶ月で。
フリードは自分にミリエルは釣り合わないと――見限った。
それにフリードは。
同じクラスの令嬢と親しくなった。
金の髪に水色の瞳をしたそのハリエット嬢は、シューリー伯爵家の三女。
そう伯爵家、だ。
爺さんの代からの約束とはいえ、政略もなんの旨味もない田舎の男爵家のミリエルの家と繋がるより、よっぽど。
王都文官で領地なしとはいえ伯爵家の方が。王都での人と人の繋がりも力だ。
ハリエットも田舎者にしては小綺麗で、しかも男爵家の跡継ぎのフリードを気に入ったから。
男爵家と家格は劣るが、同世代の家格ある相手たちはすでに婚約者がいたり、政略を控えて水面下であれこれなさっていたり、だ。
そうした政略の怖さをハリエットはきちんと理解していた。
だが。
伯爵家ではあるが領地無しの王都の文官家系のシューリー家にはなかなかお話が無い。姉二人はなんとか見つかり、長女がもうすぐ婿と共に家を継ぐことになって。
ハリエットは学園に入ってなんとか相手を見つけなければならなかったという、焦りもあり。
そんな三女であり爵位も持参できないハリエットにとって、田舎ではあるが爵位と領地持ちのフリードは狙い目だった。
あとは平民か年が離れたり後妻だったりになりそうで。
しかも話を聞けばフリードとミリエルは政略などでなにか提携事業もしているわけでもない婚約だ。
割って入っても慰謝料程度で許されるだろう。
買い手のつかなかった三女が男爵家とはいえ爵位持ちをつかまえたのなら、親たちも喜んでくれるだろう。政略に関わらないならば慰謝料もわずかだろう。それくらいなら持参金とあわせて払ってくれるはず。
かわりにこれから婚約者を見つけなければならないミリエルには、ちょっとだけ申しわけなく思うけど――自分の幸せの方が大事。優先させてもらう。
ハリエットとフリードは、実に似合いの恋人同士だ。その自分勝手な中身まで。
フリードは家格が上で自分好みな見目良いハリエットを選び、ハリエットは同じく見目良く、領地と爵位を持っているフリード選ぶ。
――本当にお似合いだ。
フリードが母に連絡をしたら父や祖父を説得してくれると、むしろ喜ばれた。
フリードの母は昔から何だかんだミリエルのことが気に入らなかったのもあるだろう。
ミリエルは田舎者だが、裕福な実家で教師などをちゃんと雇えた母親の教育がきちんとしていたから。決して礼儀知らずでなく、本当にきちんとした子供だったのだけれど――むしろ、そこが。
実のところ、王都住まいだったのに家が貧しくてろくな教育を受けられなかったフリードの母は、ミリエルたちと並ぶと自分の粗が出るみたいで嫌だったのだ。
自分は貧しかったから、こんな田舎の男爵家にしか嫁げなかったのに。
それなら同じように王都住まいで落ちぶれてくる伯爵家の娘の方が気が合う気がする、と。
彼女の誤算は決してシューリー家は落ちぶれてなどおらず、ハリエットは確かに成績は良くないかもだが学園には通えていて。
自分とはまったく違うことをフリードの母が知るのは、それはまた後のお話。
今は、フリードは学園のカフェテラスなんかで婚約破棄を言い出したところ。
「えっと……」
今日はフリードと会う約束をしていなかったからミリエルはいきなり現れた婚約者に驚いた。何より学園に入ってからはフリードはミリエルとは距離をとっていたし。
実際、クラスも分かれたから距離も物理的にあくのは仕方ないしと、ミリエルものんびりとクラスメイトや新しくできた友人たちと過ごしていたし。
だからカフェでフリードに話かけられてびっくりした。
カフェでは違うひとたちと待ち合わせをしていたからだ。予約もそのひとたちが取ってくれていたし。
そこに、ミリエルがカフェに入ってくるのをみたフリードは――さては自分に会いに来たかと先手を打ったのだ。
フリードとハリエットはカフェでデート中だった。
ここは学園併設のカフェで、予約もできるけれど別に空いている席に座れないわけでもない。
今もフリードたちの他にも読書の傍らお茶を飲んでいた教師や、同じように婚約者とデート中の方々も。
この三ヶ月――フリードが一緒にいたのがミリエルではなくハリエットだったために、フリードとミリエルが婚約していたと初めて知られた瞬間でもあった。
しかも――婚約破棄、である。
お茶を飲んでいた教師は本に栞を挟み、さて、とそちらに集中した。
居合わせた責任感で。
同じように居合わせた、きちんと婚約者同士の皆様も、何かあれば証人にならねばと顔を見合せうなずきあう。
きちんとしている方々は、またきちんと――貴族として。
「ミリエル、俺はお前との婚約を破棄する」
「えっと……フリード……?」
「いや、お前に悪いところはない。ただ、悪いのは……その芋っぽいところが……」
さすがに祖父同士仲良く、学園に入学するまで自分たちも仲良くしていたのだから、あんまり悪くいうのは可哀想だよなと……フリードはそんな目でミリエルを。
「芋……?」
ミリエルは「なるほど」と、彼の隣に座っていたハリエットを。
金の髪に明るい水色の瞳の鮮やかな色あいの少女に、芋が植わっていそうな土色の自分は、確かにそうかも。同じ制服でも確かに、自分は「芋」かも?
おっとりと――そんなことを考えてしまう。
見ていた他の方々の方が「何おぅ!」と怒りかけたほど。
茶色のひとは、決して少なくないので。今ここにいる己の婚約者も茶色だと眉をひそめたひともいた。そのひとたちはひっそりとフリードの名前を心や頭の片隅のどこかに書いた。減点な方で。
「お芋……」
まあ芋とは、色あいのことではなく、田舎者とバカにしたのだが。
それならフリードのお家も同じなのになぁ、と。
ミリエルは嫁ぐことになる前からお祖父様同士のことがあって交流があり、きちんとフリードのマーコット家を知っていた。
領地の特産こそ、まさに芋。
だがまぁ、それはきっと違う意味だろう。うん。ミリエルはフリードが自分ではなくそちらの明るい色彩の女性と婚約し直したいのだときちんと理解して。
「うん、わかったフリード。それなら今度の休日にでも二人で――」
――それぞれ実家に帰って親に、とくに祖父様たちに話そう。ミリエルはそう提案しようとしたのだが。
「ああ、お前には申しわけないと思っている。だが俺たちは祖父同士が決めた婚約者だ。幼い頃から勝手に決められて。お前はもしかしたら俺を好いてくれていたかもしれないが、俺はどうしてもお前を幼馴染としか」
「あ、うん。私も幼馴染――」
「だが!」
「と――」
話、聞いてほしい。
「学園に入学するまで、俺は祖父様たちの言うまま、お前と婚約して、いつかは結婚してマーコット家を継いでいくのだと思っていた。お前が母について学んでくれていたのにも感謝している」
「うん、おばさまは――」
「だが!」
「……あー……」
もう、全部話してもらおう。
ミリエルはそっとしておくコマンドを選んだ。
「俺は王都に来て、自分の本当の気持ちに気がついたんだ! そう、お前が決して悪いわけじゃないんだ。俺にとってはお前はやはり親に決め、いや祖父に決められた婚約者でしかなくて、本当に好きにはなれなくて!」
同じなんだよなぁ、とミリエルは「うんうん」とうなずいて。
彼女の様子に周りの皆様も察したようだ。たぶんフリードと一緒にいるハリエットも。
「そんなところに俺は出会ってしまった。このハリエットに。彼女は俺の理想なんだ! 彼女のような美しい女性、俺は……」
そこで自分を出されて。
察しなければ「嬉しい」と頬を染めて抱きつくくらいはしたかもしれなかったが。現状をミリエルに突きつけマウントを取るために。
けれどハリエットはそこまでお花畑で考えなしではなかった。彼女が取る行動は――これだ。
ハリエットは黙って頭を下げた。
伯爵位の令嬢が男爵位の令嬢に頭を下げるのは本来ならばありえない。だが、ここは学園だし――悪いのは自分たち。
ハリエットの行動に教師が「ふむ」と、うなずき。周りの皆様も小さくうなずいた。
もしもハリエットがここで見た目に関して何か斜め上にミリエルを貶したり見下したりとしたことを言ったとしていたら、教師は手帳に言動をすべて記入して然るべきところに提出しなければならなかったし、周りの皆様も眉を寄せて各派閥に知らさなければならなかった。
ちなみに、フリードははじめから減点だ。
「だから! 頼む! 婚約を破棄してくれ! 俺の心変わりと責めてくれていい!」
「良いですよ」
「もちろん慰謝料も――え?」
だからはじめから了承していたのに。
「今度の休日にでも、お互いの家で話合いしましょうね。あ、うちに来てもらう方が礼にかないますね」
そうミリエルが言いかけていたのだとハリエットに耳打ちされてフリードは――頭を下げた。
けれども、双方円満な婚約破棄で。政略でもなく、なにもしがらみ……ちょっと祖父たちの友情が微妙になるだけだ。
フリードが責任を取るべくと、そのあたりもすべて。
自分たちが周りに説明するまでもなく明らかになったのは、これでこれで良かったのかしらと――手間がかからなかったのは良かったかしらと、ミリエルはちょっとだけ気楽に。
ミリエルは幼い頃からこういう、おっとりとしながらもしっかりとした子だった。
幼い頃から。
だから――彼女はミリエルを気に入っていて。
「あらミリー! 婚約破棄されたの!?」
「いえ、たぶん解消……あ、でも、フリードの浮気からですから、破棄で慰謝料コースでしょうか?」
きちんとしてる。本当にきちんとしている。
皆がそんなことを思いながら、それとは違うことに驚いて言葉を失っていた。
ミリエルが気軽に話しているそのお方。
それはミリエルが本来このカフェで待ち合わせしていたひとであるが。
彼女は田舎の男爵家の娘がこんなに気軽に話をして良い方ではない。
彼女こそ、サーフィル公爵家のアビゲイル嬢だからだ。
しかも彼女は――……。
「アビゲイル、その子が君のミリーちゃんかい?」
「そうなの! やっと紹介できるわ!」
サーフィル公爵家のご令嬢が連れてきたその人に、カフェの皆は慌てて礼をとった。
「あぁ皆、気楽に。今日は私も一学生としてここに来たから」
学園併設のカフェでわざわざ身分を掲げるつもりはないと、彼は慣れた様子で皆の頭を上げさせた。
彼こそこの国の――セドリック王太子殿下である。
そしてアビゲイル公爵令嬢はその婚約者。学園を卒業したらすぐに王太子妃となる準備も進められている。
その方々が、何故?
アビゲイルは予約してあった席に案内させながら、セドリックにミリエルを嬉しそうに紹介する。
そう、とても嬉しそうに――内心でミリエルのしがらみか外れた、と。
「この子が以前から話してましたミリー、あ、ミリエルですの。わたくしの幼馴染でしてよ!」
「うん、療養地でお世話になったんだってねえ。アビゲイルは小さなころは本当に病弱で大変だったから」
「お世話だなんて。私が遊んでいただいていたようなものです」
「そういうのがありがたかったのよぅ!」
公爵令嬢のアビゲイルと田舎の男爵家の娘に過ぎないミリエルが。
幼馴染。
え、聞いたことない、と。また別口の幼馴染であるフリードはハリエットの驚愕に見開かれた目に首を横に振った。その顔が青いのはしょうがないだろう。
まさか、自分が今婚約破棄を告げたばかりの相手が。
まさかこんな大物――高位貴族どころか王族と。
それはミリエルの母、エリーゼの実家が関わっていた。
そちらもミリエルやフリードの実家とそれほど変わらないど田舎の男爵家なのだが。
そのリーベルト男爵領は。
十数年前から、少しばかり変わり始めていた。
その長閑さを。自然の美しさを。
水の、空気の良さを、活かして。
王家が計画し、当時王太子妃の実家であった裕福な侯爵家に委託し療養施設を造られたのだ。
病気の人間が集まると忌避されてなかなか誘致場所が決まらなかったのだが、リーベルト男爵家に縁のある人間が――こう言うのもなんだがタイミング良くも悪くも難病にかかり。彼女を優先的に入所させることを約束に造られた。
それは約束通り。
彼女は最期は穏やかに天へと向かった。
リーベルト男爵家はその選択が良かったのだと、今では。
誘致の話を受け入れたことで王都からも行き来しやすいよう道も整えられたし、領地の村の端にちょろっと出ていた小さな温泉を、新たに掘ってももらえ。それは病院の入院の方々にも役に立ち。
病気の療養だけでなく、気を休めたいための休養地方面でも。温泉のあった村を村ぐるみで貸し別荘に。静かに休むためだから若い方々にはそれほど知られず、騒ぐもの厳禁な知る人ぞ知る休養地として上流会で。
それらを侯爵家のお金で。
エリーゼの実家は感謝ばかりだ。おかげでエリーゼは良い家庭教師に教えてもらえることができたことだし。
そしてエリーゼは。
彼女は幼い頃、件の女性――従姉妹に、優しくできなかったことを後悔してた。
従姉妹は本当に身体が弱くてかわいそうだったのに。
幼い自分はそういうのがまだ良くわからなくて、リボンやぬいぐるみなどを彼女に奪われるのを理不尽と思っていた。
いや、確かに理不尽だが、先がない人間が多少はわがままを言ってしまうのは仕方がないだろう。
末期になり、息も絶え絶えになって帰ってきた彼女をみて、エリーゼは哀れみを感じた。優しくできなかった幼かった自分へ後悔もした。
療養施設の大切さを学んだ。
そして成長したエリーゼはその施設で働き始め。
男爵家の娘など、ヘタをしたら平民とさほど変わらない。そうした働き口が自領にあったことにも感謝だ。領地のお嬢様と持ち上げずにエリーゼが得意な事務方に配置してくださった施設長や医師様たちは実は爵位持ちな方々もいらしたし。
そして入所している方々も高位貴族だ。
やがてエリーゼは併設の薬の研究所で働いていた男性と結婚した。所長同士がお見合いをセッティングしてくれたのだが、思いやりある真面目なエリーゼを彼はいたく気に入って。
それがシーナカイン男爵家の跡取りで、自領の薬草を研究している旦那様だった。
そういうことがあり。
母の実家であり、両親の職場であったその施設に。
ミリエルも幼いころから馴染みがあり。子供でもできることをと、入所してきた方の話し相手や薬草園の草抜きや、そうしたお手伝いをしたりしていた。とくに話し相手は喜ばれた。ミリエルに読んであげようと絵本を持って来る御年配の方も。
長く入所しているとそうした娯楽も必要で。
そんな折に部屋から脱走してきたアビゲイルと知り合い、友人となったのだ。
公爵令嬢は――とある理由で――病弱で。そのためにちょくちょくこの施設に来ていたのだ。
いかに公爵という家に産まれても幼い頃はお転婆で、同じ年頃の友人に飢えていたアビゲイルは田舎の気風かのんびりとしながらもしっかりとしている一つ年下のミリエルを大層気に入った。
公爵家ももちろん調べた。ミリエルがきちんと貴族であり、施設の関係者の子で身分もしっかりしているところに――これは、と思った。
アビゲイルの相手にちょうどどころか、とても良い。
何よりそのおっとりしながらもきちんとしているところを気に入られた。お転婆もミリエルという妹分がいたら少しばかりはセーブされて。
何よりミリエルは施設に通ってそこがどういうところか良く理解していたため、高位貴族への礼儀も幼いながらに学んでいたし――入所していたおじいちゃんおばあちゃんたちも、それとなく教えてくれていたし。
アビゲイルが騒いだ時にはそれとなく止めたり――アビゲイルの体調を良くみて、悪そうな日はそれとなく室内にいようと誘導してくれたり。
どちらが妹かわからないと、周りの大人たちは微笑ましく。公爵家の皆様は感謝をし。
そうして公爵家のお眼鏡にも適ったミリエルだ。
アビゲイルがもう施設に来なくなっても手紙のやり取りはしていたし、長い休みには休養名目で遊びに来たりも。王太子妃勉強もたまには、いや、本当に息抜きが必要で。
先に学園に入学したアビゲイルは、わくわくとしながらミリエルと逢えるのを楽しみにしていた。
けれども王太子の婚約者である自分は何かと忙しいし、入学してきたばかりのミリエルもまだまだ学園に馴染むまで何かとあるだろうと――ようやく、今日。
王太子殿下はおまけで連れてきた。
まさかミリエルの母の実家が、そんな大きな療養地であったとは。母親が見下していたせいで知らなかったフリードだ。ミリエルはきちんとマーコット家の特産などまで勉強してくれていたというのに。
「あの、リーベルト男爵家の関係者だったの……」
今では王都でも有名な療養施設だ。王家の肝入だし、ルカリーリス侯爵家という大きな後ろ盾もある。
ハリエットは何の政略もないと安心していたら、とんでもない相手だったと震えるしかない。慰謝料どんだけ。
けれどもそんなフリードやハリエットに目もくれないでアビゲイルは嬉しそうに。
「ミリエルがお嫁さんに行っちゃうから諦めていたけど、婚約破棄されたならわたくしの侍女になってもらえるわよね! ミリエルったら成績もAクラスで優秀なのだから! 問題なし! 偉いわ!」
同じ男爵家では旨みがないと、王都に人脈がある伯爵家のハリエットを選んだはずのフリードは。
王都どころか王家に御縁のミリエルに。
しかもクラスも。Aクラスは男爵位が入れる最上位だ。自分たちは……。
「ええ、まだあきらめてなかったんですかぁ?」
ミリエルは公爵令嬢のアビゲイルに、こうした砕けた場ならそうした口調も許される存在であった、なんて……。
「私、男爵家ですから……あきらめてくださいな? ね?」
「えー……どうにかなりませんの、殿下?」
さすがに王太子妃の侍女となると男爵令嬢では身分が少々足りない。例え王太子妃の幼馴染としても。
けれども。
「ああ、それなら。お家が許可してくれたらならだけど、私の叔母様のアンゲール伯爵家の養子になればいいよ」
「殿下! それは良い考えですわ! アンゲール伯爵家ならば後見人にぴったり!」
「叔母様も昔から女の子が欲しいって言っていたし……」
「まあ、うちは上に兄も姉もいますから、私一人養子に出てもきっと大丈夫ですけど……そもそも嫁に行くはずでしたし」
それはつまり、王妃の妹、である。
とんでもない人脈。
フリードは自分が婚約破棄してからミリエルの状況がずんずん上に上がって行くことに。
自分という足枷――錨が外れたようだと、もはや撃沈。
そしてミリエルは。
養子に入るはずがそのアンゲール伯爵家の一人息子に気に入られて嫁入りすることになった。
ハリエットが知っていたように、貴族の水面下であれこれしていたことで、アンゲール伯爵子息には婚約者がいなかった。
それは王妃の甥であり、王太子には従兄弟という立場であったためだ。
そこに王太子妃のお気に入りで、政治には関わらないが王家の縁のある施設に関わりある令嬢がフリーになった。
「でも、ミリエルみたいなかわいくて優しい子がうちに来てくれたのは嬉しい」
嬉しい嬉しい。
そう、青みある銀髪に同じ青い瞳の美形にそう言われては。さすがにおっとりミリエルも顔が赤くなった。
ちなみに彼の父親やお祖父さんも同じ色目でそっくり。
「むしろミリエルさんの方がうちみたいな血筋だけのお家で良いのかしら?」
そうお義母様のほうが心配してしまうほど。
「もちろんうちは大歓迎よ!」
息子のときに難産で死の淵を彷徨って。彼女の死を恐れた愛深い旦那様の要望で一人しか子をもうけられなかった伯爵夫人は、ミリエルが養子になる話にそれはもう喜んで。
けれども話合いの途中で息子の恋に気がついて。
「……養子じゃなくて嫁入りの方がずっと家にいてくれるわ」
そこにも気がついて。
シーナカイン家の両親にしてみても、祖父の友情より娘を大切にして歓迎してくれるお義母さんのいるところの方が、親としてはありがたい。
そうしてミリエルは伯爵家に嫁入りして後見人を得た。
そして王太子妃の侍女として王城にも上がったが、どこからも文句はなかった。その後ろ盾だけでなく。
実はミリエルは――その父親は、王家も認めた毒消しを作ったほどの人物。
ミリエルの父は領地の薬草の研究から、実はかなりの権威を持っていたのだ。次期所長でもある。
アビゲイルが施設にいた理由は。
ミリエルの父が理由でもあった。
「わたくし、幼い頃は病弱で本当に大変でしたのよ?」
彼女は公爵令嬢として。次期王太子妃と決まったことにより、毒に慣れるために――少量ずつ、身体に含んで慣らしていたのだ。すべては毒殺に遭ったときのために。何事も構えておくのが必要なために。
病弱だから――病気療養という、偽りの理由で。
本当に、大変。
そしてミリエルは高位貴族顔負けの礼儀作法を何故か身につけており。
彼女が侍女となったときにはあちこちの高位貴族の御隠居様たちからお言葉があったほど。
フリードは実に逃した魚は大きいと、あちらこちらに言われたが。
もしもあの日、婚約破棄をしないで。もう少し婚約者のことを知ろうとしていたら。その友人や家族や、つながりを。
けれども「自分にはミリエルはもったいなかった」と、省みることができた。
大きすぎる魚は自分という水槽ではさぞかし窮屈だっただろう。
ハリエットも、また。
自分がひっそりと狙っていた高位貴族の場に、自分が狙って奪ったせいでミリエルが。
なんとも因果応報な。
けれどもハリエットも自分には田舎の方が合ってはいたのだと――癖のある義母と渡り合いながら。
「私にはここで十分」
何だかんだぎりぎりで難を避けたハリエットである。政略から逃れたつもりで、実は全く見えていなかった自分には、王都で貴族の中で渡り歩くのはきっと向いていない。
ミリエルをゲットできたアビゲイルのおかげでか、慰謝料も目玉が飛び出る程ではなかったし。ミリエルのシーナカイン家には親と一緒に頭は下げまくったが。
それぞれの祖父ががっかりしたのは――もともと、無理があったのだと彼らは反省したらしい。
フリードの祖父はミリエルのことは残念ではあったがハリエットのことも歓迎した。一緒にやらかした孫を見捨てないでこんな田舎まで嫁いできてくれたのだから。
「逃した魚は大きかったけど、これくらいほどほどが私には」
そんなハリエットも義母をあしらえるのだから、十分大きな魚である。
そんな逃れた魚ミリエルは。
そうして気がつけば婚約破棄。
そうして別な婚約者。
そのアンゲール伯爵家の先代、そのお姑さんは母がかつて療養施設で働く理由となった――件の従姉妹の母であったのも、また。
優しく貴族女性としてきちんとしていたその方を母は覚えていて。安心して娘を任せられるとほっとした。爵位が上で王家に関わりある伯爵家に嫁入りで、やはり心配していたのだ。自分にも優しくしてくれたあの伯母様がいるなら、きっと大丈夫。
そして彼女は義理とはいえ孫の嫁によってかつての婚家であったリーベルト家に再び縁ができたことを喜んでくれた。ミリエルのことも良くしてくださる。
「これが御縁なのかしら……?」
おっとりとつぶやきながら、ミリエルは何故か嫁入りして就職先が王宮になったことに。
世の中とは。いろいろと巡って廻るものなのである。
わかる人にはその「芋っぽさ」が「穏やかでおっとりしている」とわかるのです。癒やしとわからないのはお子ちゃまだからです。きちんと向き合っていたらちゃんとわかったことなのに。
それでも逃した魚は大きかったけれど、なんだかんだそれぞれ釣り合うところに収まりました。
自業自得。そして因果応報。
よろしければこちらにつながる
「病気だなんて、本当にお気の毒」
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「病弱だなんて、本当にお気の毒……すぎる!?」
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こちらも読んでいただけると一層楽しんでいただけますかと。
これにてひっそりと、三部作終了です。お付き合いありがとうございました。




