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婚約破棄で離宮軟禁と言われましたが、前世が社畜だったので天国にしか見えません

作者: 夢見叶
掲載日:2026/02/17

「——リディア・フォン・エルヴィレット。君との婚約は、本日をもって破棄する」


 王城の謁見の間に、アレクシス・フォン・アルトリア第一王太子の声が響いた。


 周囲を埋め尽くす貴族たちが、一斉に息を呑む。私——リディア・フォン・エルヴィレットは、その言葉を無表情で聞いていた。


「理由を述べよう」


 アレクシスは、まるで演説でもするかのように胸を張る。


「君は確かに、三年間私の婚約者として尽くしてくれた。学園入学の手配、社交界での根回し、政務書類の整理……感謝している」


 ああ、そう。感謝はしているのね。


「だが——」


 来た。


「実を言うと、私は君を『利用していた』のだ」


 周囲がざわめく。私は相変わらず無表情だった。


「君は地味で目立たない。だが、有能だ。だから、私の補佐役として『使える』と判断した。学園に入るため、社交界で地盤を固めるため、政務の実務を任せるため——全て計画的だった」


(……やっぱりね)


 私は内心で小さく溜息をついた。


(前世のブラック企業の上司と、全く同じタイプだわ)


 そう。私には前世の記憶がある。過労死したブラック企業の経理職。月残業二百時間、手取り十八万円、ワンルーム六畳。あの地獄のような日々を思えば、この程度の裏切りなど——。


「そして今、私には新しい婚約者がいる。フローラ・ド・ラヴァレット伯爵令嬢だ。彼女は美しく、社交界の華だ。王太子妃にふさわしい」


 フローラが、アレクシスの隣で得意げに微笑む。


(ああ、見た目だけは確かに華やかね)


「よって、君との婚約は本日をもって解消する。君には離宮での生活を命じる。王城への出入りは禁止だ」


 要するに、軟禁。


 周囲の貴族たちが「かわいそうに」「酷い仕打ちだ」とひそひそ囁く。


 けれど、私は——。


「……承知いたしました」


 淡々と、頭を下げた。


「え?」


 アレクシスが、明らかに驚いた顔をする。泣き崩れるとでも思ったのだろうか。


「では、失礼いたします」


 私は踵を返し、謁見の間を後にした。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 廊下を歩きながら、私は懐から小さな魔石を取り出した。


 これは記録魔石。この三年間、私が行った全ての業務を日報形式で記録したものだ。


「XX年X月X日、予算案作成八時間。王太子殿下は社交会にて不在」

「XX年X月X日、外交文書翻訳十二時間。王太子殿下は狩猟にて不在」


 前世で身につけた習慣——業務記録を残すこと——が、こんな形で役立つとは。


「リディア様……」


 廊下の隅で、老齢の大臣が声をかけてきた。王国の財務を統括するグレン大臣だ。


「大臣閣下」


「その……お気の毒なことで……」


「いえ。これも運命かと」


 私は記録魔石を、そっと大臣の手に滑り込ませた。


「これは?」


「三年間の業務記録です。もし、必要になったら——お使いください」


「……!」


 大臣は、魔石を握りしめて深く頷いた。


「……分かりました」


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 離宮に到着した私は、部屋に入るなり——。


「……っ、最高!」


 思わず声を上げた。


 広い。明るい。豪華。専属メイドまでいる。


(これが、罰……?)


 前世を思い出す。


 手取り十八万円。家賃六万円のワンルーム六畳。隙間風が入る古いアパート。月残業二百時間。上司のパワハラ。取引先のクレーム。そして——過労死。


 それに比べたら。


「定時退社! 残業なし! 衣食住無料! 天国じゃないですか!」


 思わずベッドに倒れ込む。ふかふかだ。前世の煎餅布団とは大違いだ。


「リディア様、お食事の準備が整いました」


 メイドが声をかけてくる。


「ありがとう。すぐ行くわ」


 食堂に向かうと、豪華な料理が並んでいた。


(これ、全部私一人で?)


 前世では、スーパーの見切り品弁当が定番だった。たまに食べる牛丼が最高のご馳走だった。


 それが今は——。


「いただきます」


 幸せだった。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 離宮での生活が始まって一週間。


 暇だった。


(やることが、ない)


 前世では、毎日が嵐のように忙しかった。書類の山。電話の嵐。上司の罵声。それが今は——何もない。


(……退屈ね)


 ふと、執務室の棚に目が留まった。離宮の家計簿が並んでいる。


(見てもいいかしら)


 手に取って開いてみる。


 ——瞬間、違和感。


「……これ、おかしいわ」


 食材費が、明らかに高すぎる。市場価格の一・五倍。しかも、実際の食事内容と帳簿が合わない。


(これは……横領ね)


 前世の経理職としての勘が働く。


「具体的に調べてみましょう」


 私は本格的な監査を開始した。


 三日後。


「……やっぱり」


 使用人の一人が、食材費を水増しして差額を着服していた。総額は金貨三十枚。離宮の年間予算の一割だ。


「どうしましょう」


 告発すれば、その使用人は処刑されるかもしれない。でも——。


(面倒ね)


 前世の経験から学んだことがある。問題は、穏便に処理した方が後腐れがない。


 私は使用人を呼び出した。


「これ、見覚えは?」


 帳簿を見せる。使用人は青ざめた。


「も、申し訳ございません! 家族の病気で、どうしても……!」


「分かったわ。解雇はしない。その代わり、月々少しずつ返済してちょうだい。それと——」


 私は契約書を差し出した。


「今後、食材の調達は市場価格で統一。差額は離宮の改修費に回す。これで同意できる?」


「……! あ、ありがとうございます!」


 使用人は涙を流して頭を下げた。


(これで、離宮の運営も改善されるわね)


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 それから二週間後。


 離宮に、客人が訪れた。


「失礼する」


 低く、冷たい声。


 振り返ると、そこには——セバスチャン・フォン・レーヴェンシュタイン宰相が立っていた。


「宰相閣下……?」


「定期視察だ。問題はないか」


「はい。特には」


 セバスチャンは、執務室を見回す。そして——棚に並ぶ、整理された帳簿に目を留めた。


「……これは?」


「ああ、離宮の会計記録です。少し整理しまして」


「整理?」


 セバスチャンは帳簿を手に取り、ページをめくる。


 その表情が——変わった。


「……これを、君が?」


「はい。暇だったので」


「暇、だと……?」


 セバスチャンは、信じられないという顔で私を見た。


「この精度の監査を、『暇つぶし』でやったのか?」


「え、ええ。前世——いえ、以前から数字を扱うのは得意でしたので」


(危ない、前世って言いそうになった)


 セバスチャンはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「……リディア・フォン・エルヴィレット。一つ、頼みたいことがある」


「はい?」


「国の会計も、見てもらえないか」


「……は?」


「王国の財政には、問題が山積している。だが、信頼できる監査人材がいない。君なら——」


 セバスチャンは、真剣な目で私を見た。


「——できる」


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 それから、セバスチャンは週に一度、離宮を訪れるようになった。


 持ち込まれる書類は、国家予算、貴族の会計報告、軍事費の内訳……膨大だった。


「これ、明らかにおかしいわね」


「何か見つけたか」


「ええ。この軍事費、実際の支出と合わない。差額は——」


 私は計算する。


「金貨五万枚。年間でいえば——」


「五十万枚か」


 セバスチャンの声が、低く沈む。


「国家予算の一割だ」


「しかも、支出先が——」


 私は書類を指差す。


「王太子周辺に集中しています」


「……そうか」


 セバスチャンは、険しい表情で頷いた。


「証拠を固めろ。徹底的に」


「承知しました」


 私は、前世の経理スキルを総動員して監査を続けた。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 ある日の夕暮れ。


 執務を終えた私とセバスチャンは、窓辺で紅茶を飲んでいた。


「……なぜ、そこまで冷静でいられる?」


 セバスチャンが、唐突に尋ねてきた。


「え?」


「婚約を破棄され、利用されていたと公言され、軟禁された。普通なら、泣き崩れるか、怒り狂うはずだ」


「ああ……」


 私は紅茶を一口飲んで、答えた。


「前世——いえ、以前の私は、もっと酷い環境にいましたから」


「もっと酷い?」


「ええ。毎日深夜まで働かされ、休日もなく、罵声を浴びせられ——それでも、生きるために耐えるしかなかった」


 セバスチャンは、黙って聞いていた。


「それに比べたら、この離宮は天国です。定時で終わる仕事、快適な住居、美味しい食事。そして——」


 私は、セバスチャンを見た。


「——私の仕事を、評価してくれる人がいる」


「……」


 セバスチャンは、何か言いかけて——黙った。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 三ヶ月後。


 王城の評議会が開かれた。


 私は出席できないが、セバスチャンが全てを報告してくれた。


「グレン大臣が、記録魔石を提出しました」


「私の?」


「ああ。三年間の業務記録だ」


 セバスチャンは、苦い顔をした。


「会議室が、凍りついた」


「そうでしょうね」


「『XX年X月X日、予算案作成八時間、王太子殿下は社交会にて不在』——この記録が、延々と続く」


「事実ですから」


「貴族たちは激怒した。『王太子は、婚約者に全てを押し付けていたのか』と」


「当然の反応ですね」


「そして——」


 セバスチャンは、書類を広げた。


「君の監査結果も、提出された」


「……!」


「王太子周辺の不正。総額、金貨五十万枚」


「証拠は完璧です」


「ああ。完璧すぎて、弁護の余地がない」


 セバスチャンは、私を見た。


「王太子は、王太子位を剥奪される。おそらく、平民に降格だ」


「……そうですか」


「君は——後悔していないか?」


「後悔?」


 私は首を傾げた。


「どうして?」


「君が愛した男が——」


「愛してなんかいませんよ」


 きっぱりと答える。


「最初から、『利用されている』と分かっていました。だから——感情なんて、動かしませんでした」


「……そうか」


 セバスチャンは、何か安堵したような顔をした。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 それから一週間後。


 セバスチャンが、いつもより早い時間に離宮を訪れた。


「どうかしましたか?」


「……リディア」


 セバスチャンは、珍しく緊張した面持ちだった。


「私の宰相補佐になってくれないか」


「……は?」


「いや、違う——」


 セバスチャンは、深呼吸して。


「——妻になってほしい」


「……え?」


 私は、思考が停止した。


「君のような人材を、二度と手放すつもりはない」


 セバスチャンは、一歩近づく。


「君がいない政務は、もう考えられない」


「あの、宰相閣下——」


「——いや、政務だけじゃない」


 セバスチャンは、私の手を取った。


「君のいない生活が、だ」


「……っ」


「この三ヶ月、君と過ごした時間が——私にとって、唯一の安らぎだった」


 セバスチャンの声が、震えている。


「君は冷静で、有能で、そして——誰よりも強い」


「強い……?」


「ああ。裏切られても、軟禁されても、君は折れなかった。それどころか、この国を救った」


 セバスチャンは、私の目を見た。


「だから——頼む。私の隣にいてほしい」


 私は——。


(前世では、誰も私を評価してくれなかった)


(『お前の代わりはいくらでもいる』と言われた)


(でも、今は——)


「……本当に、私でいいんですか?」


「君以外にいない」


 その言葉に、私は——。


「……では、お言葉に甘えます」


 初めて、笑顔を見せた。


 セバスチャンは、驚いたように目を見開いて——。


「……ああ、やっと笑ったな」


 そう言って、私を抱きしめた。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 その後の展開は、あっという間だった。


 アレクシスは王太子位を剥奪され、平民に降格。


 フローラも共犯として、社交界から追放された。


 横領に関わった側近たちは、全財産を没収された。


 そして——私とセバスチャンの婚約が発表された。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 三年後。


 私は宰相夫人として、王国の財政を管理していた。


 定時——十七時になると、退庁の鐘が鳴る。


(この鐘、前世では夢だったわね)


「リディア、帰るぞ」


 セバスチャンが、執務室に迎えに来る。


「はい」


 私たちは、馬車に乗り込んだ。


「今日は、どうだった?」


「順調です。新しい税制も、貴族たちに受け入れられました」


「さすがだな」


 セバスチャンは、嬉しそうに笑う。


「君がいなければ、この国はとっくに破綻していた」


「大げさですよ」


 馬車が、宰相府邸に到着——する直前。


「……あ」


 門の前に、見覚えのある人物がいた。


 アレクシス。


 平民の服を着て、やつれた姿で立っている。


「リディア……!」


 アレクシスが、こちらに駆け寄ろうとする。


 セバスチャンが、冷たい声で制止する。


「下がれ」


「頼む、話だけでも——!」


「リディア様は、もう君の婚約者ではない。私の妻だ」


「分かっている! だが——!」


 アレクシスは、必死の形相で私を見た。


「もう一度、やり直させてくれ! あの時の僕が間違っていた! 君がどれだけ大切な存在だったか、今なら分かる!」


「……」


 私は、馬車から降りた。


 そして——微笑んだ。


「ええ、私は貴方を許しますよ」


「……! 本当か!?」


「ですが——」


 私の背後から、セバスチャンが腕を回す。


「——私は許さん」


「え……?」


「私の妻を、三年間も利用した罪。忘れたとは言わせない」


 そして、もう一つ。


「それに——」


 馬車の中から、私の父——エルヴィレット侯爵が顔を出した。


「娘を侮辱した罪、法廷で争わせてもらう」


「そ、そんな……!」


 アレクシスは、絶望の表情で崩れ落ちた。


「も、もう遅いのか……?」


「ええ」


 私は、変わらぬ笑顔で答えた。


「——もう、遅いのです」


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 馬車は、宰相府邸に到着した。


「ただいま」


「お帰りなさいませ」


 メイドたちが出迎える。


 私とセバスチャンは、執務室でゆっくりと紅茶を飲んだ。


「……今日も、美味しいな」


「ええ」


 窓の外には、夕日が沈んでいく。


(前世では、誰も私を評価してくれなかった)


(残業の嵐で、紅茶を飲む余裕もなかった)


(でも今は——)


 私は、隣で微笑む夫を見た。


(評価してくれる人がいる)


(幸せな時間がある)


(そして——)


「リディア」


「はい?」


「愛している」


 セバスチャンが、そっと私の手を握った。


「……私も、愛しています」


 私は、静かに幸せを噛み締めた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

社畜の皆様、お疲れ様です。リディアのように「価値を認めてくれる場所」に出会えますように。


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