第六話
夜の学園は、昼とはまるで別の顔をしていた。
灯りは少なく、
石畳に落ちる影がやけに濃い。
風が吹くたび、塔のどこかで金属音が鳴る。
それが鐘なのか、魔導具なのか、分からない。
「……出歩くな、か」
ミーシャさんの言葉を思い出しながら、
それでも僕は寮を出ていた。
理由は、眠れなかったからだ。
姉と再会してから、
頭の中が、ずっとざわついている。
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中庭に出る。
昼間は穏やかだった噴水は、
今は水を止め、ただの石の塊になっていた。
月明かりだけが、白く照らしている。
「……」
そのとき。
空気が、変わった。
ぴり、と肌が痺れる。
「……来る」
何が、とは分からない。
でも、確実に“何か”が近づいていた。
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背後で、足音。
振り返るより早く、
黒い影が視界を横切った。
「――っ」
次の瞬間、
胸を押され、地面に倒れる。
息が詰まる。
「……やっぱり、外に出てきたか」
低い声。
顔は、フードの奥で見えない。
黒ローブ。
街で見た影と、同じだ。
「誰だ……!」
声が、震える。
相手は答えず、
ゆっくりと手を掲げた。
空気が歪む。
「……っ!」
反射的に、身構える。
だが、
魔法の使い方なんて、分からない。
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次の瞬間。
頭の奥で、何かが弾けた。
――だめだ、開くな。
誰かの声がした気がした。
でも、
それを無視するように、
胸の奥が熱くなる。
「……!」
相手が、僅かに身を引いた。
「……反応した?」
黒ローブの声が、初めて揺れた。
「閉じてるはずなのに……」
⸻
そのとき。
風が、吹いた。
いや、
“吹かされた”。
黒ローブの身体が、横に弾き飛ばされる。
「――なっ!」
僕の前に、
誰かが立っていた。
銀色に近い髪。
長いローブ。
月明かりに照らされた横顔を見て、
胸が締め付けられる。
――姉さん。
⸻
「ここは、学園内部」
彼女の声は、冷静だった。
「許可なき侵入は、即刻排除対象よ」
黒ローブが、舌打ちする。
「……噂通りだな」
「完全封鎖型の“鍵”を連れてくるとは」
「余計なことを」
「余計なのは、あなた」
姉は一歩、前に出る。
それだけで、
場の魔力が、完全に彼女に従った。
「これ以上、彼に近づかないで」
「彼?」
黒ローブが、笑う。
「まだ“彼”なのか?」
その瞬間。
姉の指が、僅かに震えた。
「……帰りなさい」
「今日は、引く」
黒ローブは後退しながら言った。
「でも、いずれ――」
「“思い出したら”、終わりだ」
そう言い残し、
闇に溶けるように消えた。
⸻
静寂。
僕は、立ち上がることもできず、
ただその場に座り込んでいた。
「……怪我は?」
姉が、こちらを見ないまま訊く。
「……ない、です」
声が、情けないほど小さい。
「そう」
それだけ。
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少しの沈黙。
耐えきれず、口を開く。
「……あの人、誰ですか」
「関係ない」
即答だった。
「あなたは、まだ知らなくていい」
「でも……!」
「善太郎」
名前を呼ばれ、
胸が跳ねる。
姉は、初めてこちらを見た。
「夜は、外に出ないで」
「次は、私が間に合うとは限らない」
それだけ言って、
彼女は背を向けた。
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姉が去った後。
僕は、しばらく動けなかった。
黒ローブの言葉が、頭から離れない。
――思い出したら、終わり。
「……何を、だよ」
答えは、ない。
でも一つだけ、はっきりした。
この学園での生活は、
もう“安全な日常”じゃない。
そして。
姉は、
僕が思っている以上に、
危険な場所に立っている。




