第十六話
翌朝、学園に着くと空気がいつもと違った。
教官たちが表情を硬くして、廊下で小声で話している。
耳をすませば、断片的に聞こえてくる。
「……昨日の揺らぎ……誰だ」
「特別クラス……榊か?」
心臓が跳ねた。
俺の存在が、昨日の事故の原因として疑われ始めている。
だが、それよりも重いのは、姉の名前が一緒に出ていることだった。
「……ミーシャ……?」
放課後、資料室の入口で見かけたのは、厳しい顔をした局員たち。
いつも穏やかな姉の姿はない。
背筋がピンと伸び、黒衣の裾がわずかに揺れる。
その視線には警戒と緊張が混ざっていた。
「姉さん、どうしたんだ……」
小さく呟く俺に、誰も答えない。
むしろ、視線を逸らされる。
局員たちの存在は、日常の空気を一瞬で変える。
姉は資料室の奥から出てきて、俺に気づくと微かに眉をひそめた。
でも、声はいつも通り静かだ。
「榊、今日は気をつけて」
それだけだった。
でも、言葉の奥には警告が含まれていた。
自分が守られているだけではなく、今は姉も危険に晒されているということを意味する。
午後の授業中、教官の表情は終始硬いままだった。
黒板に書かれた魔法陣の講義も、どこか冷たく見える。
集中しようとしても、胸の奥に冷たい不安が広がる。
授業が終わると、補助教員が俺を呼び止めた。
「放課後、局からの連絡があります」
局とは……つまり、過去編纂局だ。
心臓が一瞬止まった気がした。
廊下を進むと、黒衣の局員が待っていた。
姉も一緒にいる。
でも、普段の柔らかさはなく、戦闘態勢のように凛としていた。
「榊・善太郎君、あなたは昨日の事故について知っているか」
声は穏やかだが、針のように鋭い。
「はい……」
正直に答えるしかなかった。
何も隠せない。
昨日、俺が踏み出した一歩で、世界に影響が出たことを知っている。
「そして、あなたのそばにいたミーシャ・ハロルド……」
局員は続ける。
「彼女が結界を補助したことも知っているな」
胸が締めつけられる。
そうだ、昨日のあの瞬間、姉は規則を破って俺を守った。
それが、今、全て局の目に触れようとしている。
「……姉さんがやったんです。俺のせいで」
言葉を飲み込もうとしたけど、出てしまった。
姉は俺を見つめ、口元をわずかに歪めたが、何も言わない。
局員はしばらく沈黙した後、資料を差し出す。
そこには昨日の揺らぎの記録と、姉の介入の痕跡が詳細に映し出されていた。
「これは……」
息が詰まる。
普段は完璧に制御されている映像が、昨日だけ揺れている。
姉の手が、結界の歪みを抑えているのが分かる。
局員の視線は厳しかった。
「規則違反だ。あなたは監査官として、処分される可能性がある」
姉の肩がわずかに震える。
でも、顔は冷静だ。
「あなたは、善太郎を守るために必要だった」
局員は一瞬、唇を噛んだ。
「だが……規則は規則だ」
俺は何も言えなかった。
姉を守るために、自分の存在がどれほど周囲を危険にしているかを知っているからだ。
そして、姉が規則を破ることで、さらに大きなリスクを背負っていることも。
その日、学園の屋上で姉と二人きりになる。
夕日が街を赤く染める中、姉は静かに言った。
「あなたは、ゼロでも立っている。
だから、私は手を貸した」
俺は言葉を探す。
「でも、姉さん……危ないだろ」
「私は大丈夫」
その答えは揺るぎない。
でも、心のどこかで、姉が規則違反で処罰される未来がちらつく。
夜、部屋に戻っても、胸の奥の重さは消えない。
自分の存在が事故を生むことを知り、
姉がそれを守ろうとして規則違反をしたことを知ったからだ。
魔力ゼロの魔法使いは、
昨日よりも、少しだけ大きな責任を背負った。
明日も、世界を壊さないために、
そして姉を守るために、
考え続けなければならない。




