第十五話
事故の翌日から、俺は自分の行動を一つずつ疑うようになった。
歩く速度。
呼吸の間。
立ち止まる位置。
誰かとすれ違う時の距離。
これまで無意識でやっていたことが、すべて「世界に触れている行為」だと知ってしまったからだ。
演習場に向かう途中、廊下の魔法灯が微かに揺れる。
昨日よりは小さい。
それでも、確実に俺の存在に反応している。
「……姉さんの補助があるから、か」
昨日、ミーシャが裏で介入していたことを思い出す。
あの時は、結界の揺れが不自然なほど早く収まった。
あれは、偶然じゃない。
守られている。
それはありがたいことだ。
でも同時に、胸の奥に重くのしかかる。
姉は規則を破った。
俺のために。
その事実が、頭から離れなかった。
午前の座学は、魔法理論の応用だった。
魔力の“出力”ではなく、“存在による影響”についての講義。
皮肉なことに、今の俺に一番関係のある内容だ。
「魔力とは、使うものだけではない」
教官が黒板に円を描く。
「そこに“ある”だけで、周囲に影響を与える場合もある。
強大な魔力保持者ほど、無意識の干渉は大きくなる」
俺はその言葉を聞きながら、ノートを取る手を止めた。
強大な魔力保持者。
俺は、その真逆だ。
それなのに、結果だけ見れば、やっていることは似ている。
無意識に、周囲を揺らしている。
「……なら、逆もできるんじゃないか?」
ふと、そんな考えが浮かんだ。
魔力が“ある”から影響を与えるなら、
俺は魔力が“ない”。
なら、その“ない”状態を、意図的に固定できないだろうか。
昼休み、誰もいない中庭に向かう。
魔法植物が育つ区域だが、今は管理結界が弱く、比較的安全だ。
ベンチに座り、目を閉じる。
何かを出そうとしない。
何かを止めようともしない。
ただ、自分がそこにいる事実だけを認識する。
心臓の音。
呼吸。
地面の冷たさ。
「……世界に触れるな」
誰に向けた言葉でもなく、静かに呟く。
すると、周囲の空気が、わずかに変わった気がした。
魔法植物の葉が揺れる。
だが、昨日のような乱れはない。
「今の……」
偶然かもしれない。
それでも、何もしないよりは確かだ。
午後の実技では、あえて人の少ない端の位置を選んだ。
白線の内側に立ち、足の位置を固定する。
呼吸を浅く、一定に保つ。
結界は、揺れない。
小さく息を吐く。
「……いける、か?」
だが次の瞬間、集中が切れた。
教官の視線を感じた瞬間、意識が外に向く。
結界が、わずかに歪んだ。
「……っ」
すぐに戻る。
大事にはならない。
それでも、冷や汗が背中を伝った。
まだだ。
全然、足りない。
放課後、資料室に向かう。
姉の姿はない。
それが、少しだけ寂しくて、少しだけ安心した。
自分でやらなければならない。
古い文献を漁る。
魔法体系外存在。
魔力反転。
魔法空白域。
どれも、俺に当てはまりそうで、当てはまらない。
ページをめくる手が止まる。
「……結局、俺は例外なんだな」
例外には、マニュアルがない。
夕方、屋上に出る。
風が冷たい。
街の灯りが一つずつ点いていく。
昨日より、揺れは少ない。
それは事実だ。
「姉さんがいなくても……少しは、抑えられてる」
それが分かって、胸の奥が少しだけ軽くなる。
完全じゃない。
でも、方向は間違っていない。
魔力ゼロの魔法使いは、
魔法を使えない代わりに、
世界との距離を必死に測り続ける。
壊さないために。
ここに居続けるために。
夜、寮の部屋でベッドに倒れ込む。
疲労は溜まっている。
でも、昨日とは違う。
守られているだけじゃない。
自分で、一歩だけ前に進めた。
「……明日も、やるか」
小さく呟き、目を閉じる。
魔力ゼロの魔法使いは、
まだ答えを知らない。
それでも、考えることだけは、やめなかった。




