第十話
私は講義室の天井を見上げていた。
古い石造りの天井には、魔法陣の装飾が刻まれている。
この国では、魔法は装飾であり、信仰であり、空気だ。
——そして、私の弟にとっては異物。
「本日は、理論実技を行います」
私は淡々と告げる。
生徒たちの視線が集まる。
だが、その中にある一つの視線だけは、決して見ないようにしている。
榊善太郎。
私の弟。
彼はこの国に来た時から、
魔力測定水晶を沈黙させ、
結界を停止させ、
術式を成立前に“否定”した。
魔力ゼロ。
異常。
例外。
そして——
過去編纂局が最も恐れる存在。
私は過去編纂局の監査官だ。
弟ではない。
姉でもない。
少なくとも、この学園では。
⸻
■魔法が拒否されるという概念
「魔法とは、魔力と世界の合意によって成立します」
私は黒板に理論式を書きながら説明する。
生徒たちは理解したふりをする。
だが、彼らは決定的に理解していない。
——世界は、魔法を許しているだけだ。
許可がなければ、どんな術式も存在しない。
弟は、その許可に干渉できてしまう。
「世界が、魔法を拒否した場合。
術式はどうなると思いますか?」
誰も答えられない。
当然だ。
拒否という概念自体、教えられていないのだから。
⸻
■実技開始
生徒たちは詠唱を始める。
魔力が循環し、術式が構築される。
私はただ、弟の位置を“視界に入れないように”していた。
見れば、情が揺れる。
揺れれば、判断が鈍る。
監査官にとって、それは死を意味する。
弟が結界内に足を踏み入れた瞬間、
術式は音もなく止まった。
破壊ではない。
拒否だ。
世界が、魔法を“成立させない”という選択をした。
教室は静まり返る。
私は、結果が出ることを知っていた。
だから驚かない。
「記録してください」
補助教員に告げる。
私の声は、完璧に冷静だった。
「これは事故ではありません。
観測された、正しい結果です」
——観測。
それは裁定前の段階。
だが、観測された瞬間から、
彼は“処分対象”に一歩近づく。
⸻
■弟という例外
弟は、魔法の外側にいる。
魔力がない。
契約をしない。
世界の許可を受け取らない。
なのに、
世界に干渉できる。
理論上あり得ない。
だが現実に存在している。
過去編纂局の古文書には、
こう書かれている。
魔法体系外存在は、歴史そのものを上書きする。
発見次第、隔離、監視、もしくは抹消せよ。
私は、その監視官だ。
そして、
抹消執行官になる資格も持っている。
⸻
■授業後
生徒が去ったあと、
私は弟を呼び止めた。
「榊善太郎」
名前を呼ぶだけで、胸が痛む。
だが、それでも呼ぶ。
「あなたは、この学園の日常を壊す力を持っています」
彼は言った。
「俺は、何もしてない」
それが、一番の問題だ。
「ええ。だからこそです」
彼は魔法を壊そうとしていない。
ただ存在しているだけ。
それだけで、
世界の前提を破壊できる。
「あなたは、日常を知っている」
この国の生徒たちは、
魔法がない世界を知らない。
弟は知っている。
魔法がなくても成立する現実を。
だからこそ、
この世界にとって“異物”なのだ。
⸻
■姉としての願い
私は、弟に背を向けた。
顔を見れば、
きっと何もかも崩れてしまう。
「お願いがあります」
監査官として、
本来言ってはいけない言葉。
「ここでは、
私を姉だと思わないでください」
それは命令でも、拒絶でもない。
ただの祈りだ。
もし彼を弟だと思えば、
私は職務を遂行できなくなる。
職務を放棄すれば、
別の監査官が来る。
——もっと冷酷な者が。
それだけは、
絶対に避けたい。
⸻
■記録(過去編纂局機密ログ)
観測対象:S-00(榊善太郎)
魔力値:0
世界干渉度:測定不能
危険度評価:
現時点 C
成長後:SSS(歴史改変級)
備考:
監査官ミーシャ・ハロルドは対象への個人的感情を確認。
継続監視。必要なら監査官交代を検討。
私は、そのログを見つめていた。
弟は、まだ知らない。
自分がどれほど危険視されているか。
そして、
私がどれほど必死に“彼の処分を先延ばしにしているか”。




