第2話「沈黙の約束」
【帰り道・夕方の商店街】
図書室での会話のあと。
優斗と澪は、学校を出て並んで歩いている。
夕暮れの商店街。
シャッターを閉める店、開けっぱなしの店。
店主たちが何か話し合っているが、すべて無音。
「タイムセール」ののぼりが風に揺れる。
本来なら賑やかなはずの通りが、妙な“無音のざわつき”だけを漂わせている。
優斗(心の声)
「いつもはうるさい八百屋の呼び込みも、
コンビニのチャイムも、
ゲームセンターの電子音も――全部、消えてる」
ゲームセンターの前。
自動ドアが開閉しているが、電子音もモーター音もない。
中のゲーム機の画面だけが、派手に光っている。
入口には張り紙。
張り紙
『機器の不具合により本日休業』
その下に、手書きで小さく
『音が出ないゲームセンターなんて、営業できないよ……』
と鉛筆で書き足されている。
澪、その文字を見て、少し複雑そうな表情をする。
笑うべきか、悲しむべきか、迷っているような顔。
優斗
(口パクで、ゆっくり)
「……なんか、変な冗談みたいだな」
澪、優斗の唇を読み取り、小さく肩をすくめて笑う。
その笑いも、やはり音にはならない。
交差点の信号。
赤から青に変わるときの電子音もなく、
歩行者たちは戸惑いながら横断歩道を渡る。
横断歩道の真ん中で、澪が空を見上げて立ち止まる。
空には、昼間よりもさらに増えた飛行機雲の筋が、幾重にも交差している。
澪
『空も、静か。
でも――“ざわざわしてる”』
優斗も空を見上げる。
夕暮れのグラデーションの中、
遠くでまた、白い光が瞬く。
雷にも、爆発にも見えるが、音はない。
優斗(心の声)
「音がないのに、うるさい。
頭の中だけが、ガンガンしてくる」
信号が再び赤に変わる。
横断歩道の白線の上で、二人だけが立ち止まり、
周りの人々があわてて駆け抜けていく。
優斗、澪の手を取ろうとして――一瞬ためらい、
代わりに、彼女の視線の高さに合わせて身をかがめる。
優斗(手話・ゆっくり)
『施設に、行くのは……
こわい?』
澪、少しだけ考えてから、首を左右に振る。
その動きは「怖くない」というより、「怖いけど、それ以上に――」というニュアンス。
彼女は胸に手を当て、もう片方の手で、優斗の胸のあたりを指さす。
澪(手話)
『こわいけど。
ここ(胸)が、
“行け”って言ってる。』
優斗、一瞬ポカンとしてから、吹き出しそうな笑顔になる。
声は出ないが、その笑い方はいつもと同じだ。
優斗(心の声)
「澪は、やっぱりずるい。
そんなこと言われたら、
もう“行かない”なんて選べないだろ」
二人、再び歩き出す。
背景に、沈黙した夕暮れの街が広がる。
---
【優斗の家・玄関~リビング】
玄関のドアが開く。
鍵の回る音も、蝶番のきしみもない。
室内の照明が点く。
蛍光灯のちらつきだけが映像として描かれ、点灯音はない。
母親(40代前半)
(台所から顔を出し、口パク)
「おかえり、優斗!」
優斗、思わず「ただいま」と声を出す。
しかし、やはり“自分の声”が聞こえないことに、
玄関のところで立ち止まる。
優斗(心の声)
「……そうだ。もう、これが“普通”なんだ」
母親、優斗の顔色の悪さに気づき、エプロンで手を拭きながら近づいてくる。
テレビが点きっぱなしになっている。
ニュース番組のスタジオ。キャスターが真剣な表情で何かを話しているが、無音。
画面下には大きな字幕。
テレビのテロップ
『全世界で“音が消失” 原因は依然不明』
『政府、「冷静な行動を」と呼びかけ』
母親、リモコンを握りしめながら、画面に見入っている。
キャスターの後ろのモニターには、
病院、空港、工場など、さまざまな場所での混乱が映し出される。
母親
(早口気味の口パク)
「ねえ、学校でもこうだったの!?
先生は何て? 怪我してる人はいないの?
耳は……大丈夫なんでしょう?」
優斗、どう説明すればいいか一瞬迷う。
音がない分、母の不安そうな表情だけが、やけに鮮明に見える。
優斗、リビングのテーブルに置かれたメモ帳とペンを取り、
大きな字で書く。
優斗のメモ
『みんな聞こえないけど、
耳そのものは大丈夫みたい。
先生たちも原因わからないって』
母親、それを読み、胸を押さえて息をつく仕草。
だが、その「はぁ……」という吐息も、音にはならない。
母親(口パク)
「でも、ニュースで言ってたのよ。
“実験の失敗かもしれない”って。
前から変な施設がどうのって――」
テレビ画面には、例の研究施設の空撮映像。
ヘリからズームで捉えられた白い建物。
報道ヘリのローター音も、もちろん聞こえない。
テレビのテロップ
『音響エネルギー研究機構 数時間前から連絡途絶』
施設の周囲には警察車両や防護服姿の職員が集まっている映像。
そのすべてが、奇妙な“サイレントドキュメンタリー”のようだ。
母親、ソファに腰を下ろし、顔を手で覆う。
母親(口パク・ゆっくり)
「これから、どうなるのかしら……」
優斗、その背中を見つめる。
言葉をかけようと口を開き――
結局、何も言えずに自室へ向かう。
---
【優斗の部屋】
コンパクトな部屋。
机、本棚、ベッド。
机の上には、イヤホン、音楽プレイヤー、スピーカー小型、CD数枚。
壁にはバンドポスターや、音楽フェスのフライヤーが貼られている。
それらが、どこか“過去の遺物”のように見える。
優斗、ベッドに倒れ込む。
天井をじっと見上げる。
優斗(心の声)
「音楽も、雑音も、
家の中の小さい物音も――
全部、なくなった」
横の棚から、
ゴムボール大のラジカセ型Bluetoothスピーカーを取り出し、
再生ボタンを押す。
LEDランプが点滅し、“再生中”を示す。
しかし、もちろん音は出ない。
優斗(心の声)
「……これがあれば、いつでも逃げ込めたのにな」
回想
――電車の中、大声で話すサラリーマン。
――駅の発車ベル。
――クラスメイトの笑い声、怒鳴り声。
――部活の掛け声。
そのすべての映像の上に、
“イヤホンを耳に差し込む自分”のカットが重なる。
優斗(心の声)
「澪と違って、俺は“うるさすぎる世界”が嫌だった。
だから、好きな音だけを聴くために、
音楽を聴いて音を消してた」
現実に戻る。
スピーカーの点滅を見つめながら、優斗は、
ふと昼間の葉山の言葉を思い出す。
葉山(回想)
『一人の子どもの“世界の音”が、消えたことがある』
その字幕と同時に、
ぼやけた映像のフラッシュ――
白い実験室、眩しい光、誰かの泣き声のような口の動き。
しかし、やはり音はない。
優斗(心の声)
「……あの実験室。
なんで、見たことがある気がするんだ?」
こめかみを押さえる。
机の上のノートが目に入る。
図書室で書いたレポートの冒頭。
ノート
『音が消えた世界で、僕らは何を聴くのか』
優斗、ペンを握りしめる。
優斗(心の声)
「……答えは、自分で探すしかない」
ペン先が震えながらも、文字を書き加えていく。
ノート追記
『音を奪った人間がいるなら、
きっと、返す方法も知っている。
だったら――
そこまで、会いに行く。』
書き終えると同時に、スマホが震える。
音はない。
画面にはメッセージ通知。
送信者:澪
メッセージ
『今日、話を聞いてくれてありがとう。
わたし、行きたい。
あの施設の近くまででもいいから、行きたい。』
続けてもう一通。
『でも、一人ではこわい。
優斗が一緒なら、行ける気がする。』
優斗、少し笑ってから、
真剣な表情で返信を打つ。
返信メッセージ
『行こう。
でも、正面から入れるとは思わない。
まずは、近くまで行って確かめよう。
明日、放課後、駅前で。』
送信ボタンをタップ。
“送信完了”のポップアップだけが画面に浮かんで消える。
優斗、スマホを胸に置き、ぎゅっと目を閉じる。
外からは、救急車やパトカーが走る映像が流れる
しかし、サイレンは一切鳴らない。
【澪の家・夜】
控えめな外観のアパート。
廊下の蛍光灯が点いたり消えたりしている。
澪の部屋。
白いカーテン、シンプルなベッドと机。
壁には、小さな絵や写真が飾られている。
そのどれもが、色彩豊かで、どこか“音楽的”な配置をしている。
机の上には、スケッチブック。
開かれたページには、今日の学校や商店街の様子が、
音符や波形のような線で描かれている。
澪、机に向かい、絵を描き足している。
鉛筆の走る音はしないが、
線の動きのリズムだけが、音楽のように感じられる。
部屋のドアがノックされる。
音はしない。
だが、ドアの揺れと視覚でノックだとわかる。
母親(30代後半)、部屋に入ってくる。
柔らかい表情だが、どこか張り詰めている。
澪母
(口パク+簡単な手話)
『テレビ、見た?
すごく大変なことになってるみたい』
澪、頷く。
手話で返す。
澪(手話)
『世界の音が、消えた。
みんな、静か。
……お母さんも、こわい?』
母親、少し目を伏せてから、
澪の頭を撫でる。
澪母(手話まじりの身振り)
『こわいよ。
でも……
あなたは、前から静かな世界だったから、
“慣れてる”のかなって、
ちょっとだけ思ってしまった。
ごめんね』
澪、首を振る。
スケッチブックを母親に見せる。
そこには、
“音が消えた街”が、色と線だけで表現されている。
・無音のゲームセンター
・ざわめいているのに黙っている人々
・飛行機雲だらけの空
ページの下のほうに、小さく文字。
スケッチのキャプション
『みんなも、わたしの世界に来た。
でも、
これは本当に、わたしの世界?』
母親、その文字を読んで、ぐっと唇を噛む。
澪母(手話)
『あなたの世界は、
静かだけど、きれい。
でも、これは違う。
これは、“壊された世界”。』
澪、母親の手を取る。
手話をゆっくりと組み立てる。
澪(手話)
『音がないだけなら、
わたしは、がまんできる。
でも――
みんなの笑った声まで、
消えたままなのは、いや。』
母親、目に涙を浮かべながらも笑う。
その笑い声が聞こえないことが、かえって胸に刺さる演出。
澪母(手話+口パク)
『……変わったね、ミオ。
前は、
“みんながうるさい”って、
日記に書いてたのに』
澪、少し照れたように視線を逸らす。
スマホが机の上で光る。
優斗からのメッセージが表示されている。
『明日、放課後、駅前で。
行こう、あの施設の近くまで。』
母親、そのメッセージを見て、
澪の表情をうかがう。
澪は、迷わず返信を打ち始める。
澪返信
『わかった。
駅前の時計の下で。』
送信。
母親、少し困ったような顔。
澪母(手話)
『……どこか、行くの?』
澪、息を吸い込み、
スケッチブックの裏表紙をめくり、そこに文字を書き始める。
澪の文字
『世界の音を、
取り戻しに行く場所を、
探しに行く。』
母親、その文字を見て、
怒るべきか、止めるべきか、迷っている表情。
しばらく沈黙――
(世界は元から沈黙だが、ここでは“気まずい沈黙”として描かれる)
やがて、母親は小さくため息をつく仕草をし、
ミオの手を包み込む。
澪母(手話)
『約束して。
危ないと思ったら、
すぐ戻ること。
そして、
優斗くんと、一緒にいること。
一人にならないこと。』
澪、強く頷く。
澪(手話)
『約束する。
……それに、
ちゃんと戻ってきて、
お母さんの“声”、
もう一度、
聞きたいから。』
母親の目から、涙がこぼれる。
だが、その涙が落ちる音すらしない。
母親は、澪を抱きしめる。
その抱擁の中で、
澪は、静かに目を閉じる。
カーテンの隙間から見える夜空。
交差する飛行機雲が、
細い光の線となって静かに滲んでいる。
---
【夜・テレビニュース/世界の様子】
・ニューヨークのタイムズスクエア。
巨大ビジョンに緊急ニュース。
人々が叫び合っているが、無音。
・ヨーロッパの大聖堂。
鐘が大きく揺れるが、鳴らない。
祈る人々。
・砂漠の中の軍事基地。
戦闘機が滑走路を走るが、エンジン音はしない。
・病院の集中治療室。
心電図モニターの波形が動くが、ピッピッという音がない。
医師たちが顔を見合わせる。
・小さな村の教会。
子どもたちが、手話と身振りだけで歌を歌おうとしている。
歌詞は字幕で表示されるが、歌声はない。
その合間合間に、
日本の街角の様子。
行列を作るコンビニ。
水や食料を買い占める人々。
警察官がメガホンで指示を出そうとするが、無音。
テレビの大きなテロップ
『“サイレント・インパクト”と名付けられた現象――
専門家でも説明不能』
また別のニュースでは、
“音が聞こえないことで発生した事故”が次々と映し出される。
踏切、工場、交差点……
映像だけが、世界の不安を物語る。
最後に、例の研究施設の映像。
夜の闇の中でライトアップされ、
周囲を警備車両が取り囲んでいる。
テロップ
『政府、研究施設周辺を封鎖
詳細は公表されず』
カメラが施設の最上階の窓をズームする。
その窓の奥で、誰かの影がこちらを見ているように見える――
【翌日・放課後/駅前ロータリー】
夕方。薄曇りの空。
駅前ロータリーには人が溢れている。
バス停の前で並ぶ人、張り紙を読む人、スマホを見つめる人。
駅ビルの案内表示には、大きな赤字。
『一部路線は安全確認のため運休』
『サイレント現象の影響でダイヤ乱れ多数』
構内アナウンスのスピーカーが点灯しているが、声は聞こえない。
ただ、電光掲示板にニューステロップが流れているだけだ。
【駅前広場・時計台の下】
大きな丸い時計。秒針だけが、無音でコチコチ動いている。
優斗、リュックひとつを背負って時計の下に立っている。
服装はいつも通りの制服だが、足元は歩きやすいスニーカー。
優斗(心の声)
「こんな騒ぎの中で、
“ちょっと施設まで行ってきます”って、
正気の沙汰じゃないよな」
周りでは、
・配給物資の列を整理する市役所職員
・メガホンで何か指示を出している警察官
・「ボランティア募集」と書かれたビブスを着た人たち
……が動き回っているが、全て無音のパントマイムのようだ。
優斗、時計を見上げる。
針は約束の時間を少し過ぎたあたり。
そのとき、背後から制服の袖をちょんちょんと引かれる。
振り向くと、澪。
小さめのリュック、歩きやすいローファー。
少し息を切らしている仕草をしながら、手話。
澪(手話)
『ごめん、ちょっと遅れた』
優斗、首を振って笑う。
優斗(手話混じり)
『大丈夫。
こんな状況だし、
来てくれただけで、すごい』
澪、ほっとしたように微笑み、
すぐに真剣な顔に戻る。
優斗、ポケットから折りたたんだ地図を取り出す。
紙の地図――学校の周辺と郊外を印刷したものに、
赤ペンでルートが引かれている。
優斗
(地図を指しながら口パク+簡単な手話)
「電車は途中までしか動いてない。
ここで降りて、あとは歩き。
丘を越えた先に、例の施設がある。」
澪、指でルートをなぞりながら、
途中の太い線――封鎖エリアの境界を示す。
澪(手話)
『ここ、“通行止め”?』
そこにはマーカーで「封鎖区域」と書き込みがある。
優斗は小さく肩をすくめる。
優斗(手話)
『ニュースでやってた。
でも、葉山先生が言ってた。
“昔の搬入口”が、別の道から繋がってるって。
そこなら、近くまで行けるかも』
澪の表情に不安が走る。同時に、決意もにじむ。
そのとき、背後から誰かが肩をトンと叩く。
振り向くと――葉山先生。
カジュアルな私服に、肩からトートバッグ。
いつもの白衣はないが、目はどこか覚悟を決めた大人のもの。
葉山
(メモ帳を掲げる)
『やっぱり、ここにいた。』
優斗と澪、同時に固まる。
優斗(心の声)
「マジか……バレてた」
葉山、二人の反応に苦笑しながら、さらさらと書く。
葉山のメモ
『昨日の顔を見たら、
放っておけないでしょ。
どうせあの施設のほうへ行くつもりだったんでしょ?』
澪と優斗、お互いの顔を見合わせる。
否定しようとして――諦めたように、同時にコクンと頷く。
葉山、ため息をつくジェスチャーをしつつ、次のメモ。
葉山のメモ
『じゃあ、“少しだけマシな無謀”にしましょう。
駅前に、先生の車がある。
施設の近くまで、乗せていく。』
優斗(メモで返す)
『いいんですか?
危ないかもしれないのに。』
葉山のメモ
『いいわけないでしょ。
でも、あなたたち二人だけで行かせるほうが、
もっと嫌。』
澪、少し目を丸くしてから、
胸の前で小さく「ありがとう」と手話。
葉山、二人に背を向け、手で「ついてきなさい」と示す。
3人は人混みを抜けて歩き出す。
静かな駅前の喧噪(という矛盾した空気)の中、
3人の背中が、少しだけ“進むべき方向”を持ったシルエットとして浮かび上がる。
二人だけでは施設に入れないため
葉山先生の車に乗る二人
【郊外へ向かう車内】
葉山の古いコンパクトカー。
エンジンの揺れだけが、視覚的に伝わる。
車内は相変わらず無音。
運転席:葉山
助手席:澪
後部座席:優斗
車窓の外には、徐々に都会から郊外へ変わっていく景色。
ビルが減り、住宅街、田んぼ、低い山の稜線。
ところどころに、
・信号の故障で警察官が手信号をしている交差点
・踏切バーだけが静かに降りている線路
・閉鎖されたショッピングモール
……などが見える。
優斗、運転席の横顔を見ながら、
膝の上のノートにペンを走らせる。
優斗のノート
『先生は、
またこの施設に近づくの、こわくないですか?』
信号待ちで車が止まる。
葉山はハンドルから片手を離し、
助手席の小さなメモ帳に走り書きして、
ミオに渡す。ミオからユウトの手へ。
葉山のメモ
『こわいよ。
でも、
“あのときの責任”を、
全部なかったことにはしたくない。』
優斗、メモを見つめる。
視界が少し揺らぐような演出。
短いフラッシュバック。
白い実験室。
幼い子どものシルエット。
周囲の大人たちの口が何かを叫んでいる。
光。
沈黙。
優斗(心の声)
「(頭の奥がズキンとする)
この景色……本当に、知らないはずなのに」
澪は、フロントガラス越しに遠くの丘を見ている。
そこに、小さく例の施設のシルエットが見え始めている。
澪、助手席の前に置かれた車載ナビの画面を指差す。
ルート上に赤いバツ印。
澪(手話)
『ここ、封鎖。
どうするの?』
葉山、ナビをチラと見てから、
新しいルートを指で描くようにハンドルの上に小さな軌跡をなぞる。
葉山のメモ
『正面ルートは、たぶん警察と自衛隊でギッシリ。
裏側に、昔使ってた資材搬入口がある。
そこへ続く旧道が、まだ残ってるはず。』
澪と優斗、顔を見合わせる。
車は国道から外れ、細い山道へと入っていく。
ガードレール、杉林。
道は徐々にくねくねとした上り坂に変わる。
【山道・車内】
空が少しずつ暗くなり始める。
木々の間から差し込む光が揺れ、車内を縞模様に照らす。
突然、前方に“検問”の様子。
道路中央にバリケード、パトカー数台。
制服警官と防災服の職員が数人立っている。
葉山、眉をひそめてブレーキ。
車が止まる。
優斗(心の声)
「やっぱり、ここまでか……?」
警官の一人が、無音の“とまれ”ジェスチャーと共に近づいてくる。
口元だけが何かを尋ねている。
葉山、窓を少し開ける。
ハンドルに両手を置き、落ち着いた表情で警官を見上げる。
警官(口パク)
『この先は立ち入り禁止です。
引き返してください。』
葉山、バッグから古いIDカードを取り出す。
プラスチックカードには、
【音響エネルギー研究機構/主任研究員】と肩書き、
若かりし日の葉山の写真。
葉山(口パク)
『以前、ここの研究員でした。
今も、緊急時には協力要員として登録されているはずです。
状況の確認のため、近くまで行かせてください。』
警官、カードをじっと見つめる。
後ろの上司らしき人物がやってきて、カードと葉山を見比べる。
しばし無音のやり取り。
二人の口パクに、テロップが重なる。
上司警官
『……確かにリストに名前がある。
ただし、施設の敷地内へは誰も入れない命令だ。
近くの展望スペースまでなら、許可しよう。
そこから先は絶対に進むな。』
葉山、深く頷く。
警官たちはバリケードを少し横にずらし、
車が通れるスペースを作る。
優斗と澪、安堵と緊張の入り混じった表情。
優斗(心の声)
「ギリギリ……でも、近くまでは行ける」
車は検問を通過し、さらに山の奥へと進んでいく。
---
【展望スペース・手前】
道路脇に小さな駐車スペース。
錆びた看板に「展望台→」と書かれている。
葉山、車を停める。
3人、順に外へ出る。
外気がひんやりしている。
本来なら、風の音、木々のざわめき、遠くの街のざわつきが聞こえるはずの高台。
しかし、そこにあるのは“圧し掛かる沈黙”。
優斗(心の声)
「静かっていうより、
“音が全部吸い込まれてる”感じだ」
展望台へ続く短い遊歩道。
落ち葉を踏みしめる足元のアップ。
葉は確かに潰れているのに、音がしない。
澪、歩きながら胸のあたりを押さえる。
息が少し荒いような仕草。
澪
『ここ……
静かすぎる。
街より、さらに“音がない”』
葉山も、肩をすくめるように身震いする。
小さな階段を上り、
3人は展望スペースの柵のところへ出る。
そこから見えるのは――
丘の向こう一帯に広がる、巨大な施設群。
研究棟、タワー、アンテナ、ドーム状の建物。
全体が薄い霧のようなものに包まれ、ところどころ光が明滅している。
その施設の上空には、
例の飛行機雲のような光の筋が、密度濃く交差している。
まるで、施設を中心として広がった“波紋”が、空に焼き付いたような光景。
優斗(心の声)
「……あれが、世界から音を奪った場所」
柵に手を置いた瞬間――
優斗の指先から、ビリ、と小さな電気が走る
優斗も思わず手を離す。
その瞬間、
“轟音”とも“叫び声”ともつかない何かが、一瞬だけ頭の中を貫くイメージ。
※視覚的には、モノクロのノイズと、歪んだ波形がフラッシュして消える。
音はあくまで“イメージ”で、実際には鳴らない。
優斗(心の声)
「――っ……!」
額を押さえてうずくまりかけるユウト。
澪が驚いて駆け寄り、肩に手を置く。
澪(手話)
『どうしたの!?
どこか痛い?』
優斗、呼吸だけが荒い。
しかし、その「ハァ、ハァ」という音も、当然聞こえない。
彼は震える手でノートを取り出し、
必死で文字を書く。
優斗のノート
『頭の中で、
一瞬だけ
“音”がした。
叫び声みたいな、
機械みたいな――
いや、
もっと……』
書きかけて、ペンが止まる。
うまく言葉にできない。
葉山、そのノートを覗き込み、顔色を変える。
葉山のメモ
『この距離で“何かを感じる”のは、
普通じゃない。
あなた――
もしかして、前にもここに来たことは?』
優斗、即座に首を横に振る。
でも、その表情には迷いがある。
短いフラッシュバック。
・施設の廊下を歩く小さな足。
・ガラスの向こうで微笑む研究員たち。
・「大丈夫だよ」と口パクしている誰か。
・そして――眩しい光。
優斗、こめかみを押さえながら、
柵にもたれかかる。
優斗(心の声)
「覚えてない。
覚えてないはずなのに。
でも――
ここを知ってる気がする」
澪、不安そうにユウトを見上げ、
施設のほうを振り返る。
施設の上空で、光の筋がまた一つ、強く瞬く。
すると、周囲の“静寂”が、一段階深く沈むような演出。
まるで、空気そのものが薄くなったかのように、3人の息遣いが浅くなる。
澪(字幕モノローグ)
『ここから先は、
本当に、“世界の音”がない場所かもしれない』
葉山、腕時計を見る。
秒針だけが動くアップ。
なんとなく、音が聞こえてきそうで、やっぱり聞こえない。
葉山のメモ
『今日は、ここまで。
この静けさ、この圧力――
すぐにどうこうできる相手じゃない。
準備もなく突っ込んだら、本当に危ない。』
優斗、悔しそうに施設を見つめる。
拳を握りしめるが、何も音は鳴らない。
澪は、柵から身を乗り出すようにして、
施設の一角――小さなサブゲートのような出入り口を見つめる。
そこに、一瞬だけ、人影。
誰かが、こちら側を見ているようなシルエット。
だが、霧のようなノイズがかかり、すぐに見えなくなる。
澪、目を細めてその方向を指差す。
澪(手話)
『だれか、いた。
こっちを、見てた。』
葉山も目を凝らすが、もう何も見えない。
優斗(心の声)
「俺たちのことを知ってる……?
それとも、
“来るのを待ってる”?」
【展望スペース・帰り際】
空はすっかり夕闇に近づいている。
街のほうには、小さな灯りがぽつぽつと点り始める。
葉山、車のキーを握りしめ、
二人のほうへ向き直る。
葉山のメモ
『今日、わかったこと。
1:あの施設は、何かを継続して動かしている。
2:世界の“音の消失”と連動している可能性が高い。
3:優斗くんは、
その“何か”に、特別な反応を示す。』
優斗、その3つ目を見て、
複雑な顔をする。
優斗
『特別?
悪い意味、ですよね。』
葉山のメモ
『まだ“悪い”とは限らない。
けれど――
あの実験で“世界の音を失った子ども”がいた話、
覚えている?』
澪、こくりと頷く。
息をのむような仕草。
葉山は、少し迷ったあとで続ける。
葉山のメモ
『その子どものコードネームは、“LISTENER”だった。
世界中の音を“聴きすぎる”体質だったから。
だから、音を弱める実験をした。
結果、世界から音が消えたのは、
――その子どもの、内側だけ。』
優斗、背筋に冷たいものが走る。
思わず一歩、後ずさる。
短いフラッシュバック。
・カルテのような画面に表示される文字
『被験者コード:LISTENER-01』
・モニター越しにこちらを覗き込む大人たち
・「怖くないよ」と口パクする白衣の女性。
・幼い自分の、涙をこらえる顔――のようなイメージ。
優斗(心の声)
「LISTENER……
俺は、知らない。
そんな名前、知らない。
なのに――
どうして、こんなにも“知ってる”気がする?」
澪、胸の前で両手を組み合わせ、
不安そうに二人を見比べる。
澪(手話)
『優斗は、
その子ども、かもしれない?』
葉山、すぐには頷かない。
慎重に、言葉を選びながらメモを書く。
葉山のメモ
『まだ決めつけたくない。
でも、
“世界から音が消えたあとにも、
音の気配を感じる”人間がいるとしたら――
その可能性は、0じゃない。』
優斗、拳を握りしめる。
柵の冷たい感触が手のひらに食い込む。
優斗(心の声)
「もし、本当に俺が“きっかけ”だったら。
世界から音を奪ったのが――
俺だとしたら」
施設のほうを見る。
そのとき、施設の中心部の塔が、
ひときわ強い白い光を放つ。
空を走る光の筋が、一瞬だけ集中し、
塔の上で収束する演出。
その瞬間、
優斗の周りだけ、
わずかな“音のようなもの”が、モノクロの波形ノイズとして揺らめく。
・遠くで子どもが笑う声のような影
・誰かが呼ぶ声のような影
・機械が動く重い音のような影
しかし、それはすぐに潰されるように消える。
優斗、膝をつきかける。
澪が支える。
澪(手話)
『もう、今日はやめよう。
ユウトが壊れちゃう。』
葉山も、心配そうにユウトの横にしゃがみ込む。
葉山のメモ
『そうね。
今日は、ここまで。
でも――
あなたが“何かを感じる”ってことは、
まだ、完全に切り離されていないってこと。
音の世界と、この沈黙の世界が。』
優斗、息を整えながら、
ゆっくりと立ち上がる。
優斗
『もし俺が、
“LISTENER”だったとしても。
だったらなおさら、
取り戻さなきゃいけない。
俺が奪った音なら、
俺が返す。』
澪、その文字を読んで、
強く頷く。
澪(手話)
『わたしも、一緒に。
世界の音を、
ちゃんと聞いたことはないけど――
ユウトが、
“返したい”って思う音なら、
それを、見てみたい。』
風が、3人の周りを通り過ぎる。
木の葉が舞う。
沈黙の中で、
ただ映像だけが“音楽”のように動いている。
葉山、静かに微笑み、
柵の向こうの施設を鋭い目で見据える。
葉山のメモ
『じゃあ決まり。
学校を拠点にして、
情報を集める。
先生も、協力する。
あの施設のこと、
私が知ってる限り全部、教える。』
3人、それぞれの表情。
不安、決意、後悔、そして――ほんの少しの希望。
カメラは彼らの背後から、
施設と空を一望する
空には、相変わらず光の筋がいくつも交差している。
しかし、その一番端っこに、
薄く消えかけていた小さな光の点が、
かすかに再び灯る。
ナレーション
『――沈黙の世界で、
彼らはまだ、
“音”の終わりを見ていない。
それは、
新しい始まりのための、
長い“息継ぎ”にすぎないのかもしれない。
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【施設内部】
薄暗い制御室。
無数のモニターが、世界中の映像と波形を映し出している。
一つの画面には、
さきほどの展望スペースで立つ3人の姿。
遠くからの望遠映像。
その前に、背中だけ映る人物のシルエット。
白衣のようなコートを纏い、
画面を食い入るように見つめている。
モニター隅に小さく表示された文字。
『LISTENER-01 反応波形検知』
『距離:7.2km 同期率:0.87』
人物の口元が、静かに動く。
音はないが、字幕が出る。
謎の人物(字幕)
『――やっと、
戻ってきてくれたね』
モニターに映るユウトの顔が、
ノイズ混じりに拡大される。




