クロスホース准教授、出張する
さて、今日から俺は一泊二日の出張である。
「荷物はこちらにまとめました」
昨夜はカフェインの影響で夜ふかしをしただろうトコヨさんだが、いつもどおりメイド服をパリッと着こなし、なんだか前世の俺よりもビジネスパーソンな風格を漂わせている。
「ありがとう、って、なんか多くない?」
男の出張など、着替え一つで事足りる。
まぁ、この世界にコンビニやビジネスホテルはないから、食料や野営道具など、嵩張る要素は多々ある。多々あるが、一泊二日程度であれば、リュックサックとともに、必要に応じてテントや寝袋を背負う程度だろう。
「ターク様の異空間倉庫を前提に、利便性を追求しました」
「え? それにしたって俺一人で一泊二日だよ?」
たしかに、リュックサックは一つだが、やや大きめのテントと2つの手提げかばんがついている。
「あら? つれないのですね。お一人で行ってしまわれるおつもりでしたか」
「え?」
トコヨさんは「私もご一緒したいのですが、よろしいですか?」と言って、ふんわりと笑う。
これはあれだ、否定を許さない笑みってやつだ。長い付き合いだから、いや、これは露骨なやつなので、誰だって分かる。
分かるんだが、トコヨさんの笑顔って、こんなに柔らかかったっけ?
「は、はいっ、喜んでお連れしますっ!」
いや、いつもの凄みもちゃんとあるので、返答は「イエス・マム!!」以外にありえないのだが、いい意味で表情が違う。
立体映像に過ぎないが、懐かしい友人の面影に触れられたことや、睡眠不足が、笑みの柔らかさに影響しているのかもしれない。
「それじゃあ、旅程を共有しておくよ」
そう言って俺は学園経理部からの詳細な指示書を異空間倉庫から引っ張り出す。
前世で紙嫌いだった俺は、書類は片っ端からスキャンしてPC内で整理していた。この世界においても、異空間倉庫を活用すれば似たような運用ができていることーー倉庫に突っ込めば、内容物の目録がパソコンのフォルダのように整理できるーーは、僥倖にほかならない。
「あら、ラドカザン様からの依頼でしたか。これは好感度アップ間違いなしですね」
「いや、そういうのじゃなくてさ」
出張、と俺は表現したが、中身は学園経理部が運営する「学園ギルド」が発行する採取依頼である。つまり、俺はポタリー・ラドカザン教授が学園ギルドに宛てて行った依頼を受諾したのだ。
ただ、トコヨさんの期待とは違い、俺が自発的に彼女の依頼を選んだ、ということではもちろんなく、ギルドから直接要請があったのだ。
「最初に依頼を受けたチームが、深部の観測地点付近でゴブリンの拠点と思われる建造物を発見したんだ。それで難易度が上がっちゃったんだよ」
たかだかゴブリンとはいえ、その拠点付近における調査活動となると「学園ギルド」が扱うにはやや高難度。そこで、まずは依頼をした教員の所属する土魔法専修で解決を試みよ、だめなら冒険者ギルドに卸す、という判断を頂いてしまったのだ。
そして、
『ターくん先生、これ、お願いねぇ。ちょっとだけ報酬に色を付けるからぁ』
と、ゆるふわ美人上司から出張命令が下った、というわけだ。
「信頼されてますね、ターク様」
「消去法だよ。ドゴル先生は地下型ダンジョン以外には興味ないからね…。鉱脈でも露出していれば別だけど」
残念ながら今回の目的地である魔の森ダンジョン深部に鉱脈があるという話は聞かない。そうなると、不人気属性である土魔法専修に所属する教員は俺以外おらず、体育会系なこの業界、若手である俺が肉体労働を行うのはなんというか自明の理、ということになるのだ。
俺より若手が配属されてくれば、そいつに任せるということもできようが、そもそも今生の俺は成人年齢下限の16歳である。あと5、6年は下っ端確定だろう。
「…となるとまずいな。このままなし崩しに便利屋認定されないよう気をつけることにする」
経理部を通さない、個人的な依頼というのは就業規則や学則で禁じられている。が、わざと冒険者ギルドレベルの依頼を経理部に出して、降りてきたものを俺に任せるみたいな、抜け道を思いつかないでほしいと切に願う。
「ラドカザン先生は裏表のない方ですので、そういうことはなさいませんよ」
「まぁ、ね」
彼女の場合、逆に裏表がなさすぎるので困る、という意見が多数となろう。
「というわけで、今回の出張の目的はね…」
俺は依頼書を要約してトコヨさんに伝える。
「魔の森ダンジョン深部に植えたマンドラゴラの生育度チェックだよ」
依頼者、つまりポタリー・ラドカザン教授は、学園内の温室育ちなマンドラゴラと、ダンジョン内のそれを比較して、温室における最適な栽培条件を見出すという研究目標を立てている。
魔の森外縁部と中央部部に植えたマンドラゴラの状態については、最初にこの依頼を受けたチームによって調査が完了しているため、俺達はゴブリンの拠点が発見されたせいで、未達となっている深部のマンドラゴラ実験ポイントに向かうことになるのだ。
なお、温室育ちのマンドラゴラの育成度合いは現時点で中央部の天然物とどっこいどっこいとのこと。「これから薬効成分の比較調査をするのよぉ」と彼女は嬉しそうにのたまっていた。そのうち彼女に薬草魔法が生えてくるかもしれない。
ゴブリン拠点(仮)間近での調査活動。
そんな戦闘の可能性のある出張だが「トコヨさん、本当に来るの?」とは聞かない。「なんで行こうと思ったの」とは聞いてみたいが。
「承知しました。しかしながら、魔の森ダンジョンのゴブリン程度で教員が駆り出されるなど、最近の学園はずいぶん腑抜けてしまったのですね」
こんな調子であるからだ。
「いやいやいやいや、今のご時世いろいろめんどくさいんだって」
思わず俺は前世モードになってしまう。
学びたい意思を強く持った俊英の集う最高学府。
ゆえに自由、ゆえに自己責任。ゆえに最高のクリエイティビティを発揮できる超然空間。
それはすべて過去の話だ。
望めば大体誰もが行けて、何となく行かなければならないような気がする場所、単なるモラトリアムの延長空間に成り下がったのはいつ頃からだったのか。
そんな奴らに「自己責任の自由」を享受できる度量があるはずもなく、何か問題が起きれば、制度が悪い、仕組みが悪い、つまりお前らが悪い、と、本人ではなく親が怒鳴り込んでくる。そんな、幼稚園や小学校の延長でしかなくなってしまった現在の最高学府は、今後どのようにしてその価値を高めていくべきなのだろうか。
…って、これは前世の大学の話だった。
『トコヨちゃん、悪いんだけど、ターくんについて行ってくれるかしら? 確かあなた、学園で働いたこともあるのよね?』
話を戻せば、今生の母はこう言ってトコヨさんを俺にくっつけたのだが、くっつけた理由が物々しい。
いい感じに天然が入った母は「トコヨちゃんの実力なら、きっと学園長秘書だったに違いないわ」などとお気楽発言をしていたが、俺にしてみれば学園長秘書を涼しい顔してこなしながら、裏では警務部のトップとして暗躍していたに違いないと妄想している。
メイド姿で不正を働く教員を叩きのめしたり、メイド姿で実習中に行方不明になった学生をさっそうと助け出したりするのだ。故に、魔の森ダンジョンなど自宅の庭にすぎなかったのだろう…。あれ、なんだかそうに違いない、という気分になってきた。設定がハマりすぎだ。
などとぼんやり目の前のトコヨさんを見つめてしまっていたのがまずかった。
「お坊ちゃま」
「ふぁいっ!?」
「また心ここにあらずでしたよ。昔から、その、突然何かを考え出す癖は変わりませんね」
と、慈愛に満ちた保護者の笑みを向けられてしまったのだ。