表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

6話 名前を呼ばれるたびに

 夜のリビングには、穏やかな照明が灯っていた。

 ソファの上、ユイとユウはいつものように並んで座っていた。テレビはついているけれど、互いにそちらを見るでもなく、どこか気まずい空気が漂っている。


 ──あの風呂場での出来事から、まだ数日。


 ユイはちらりとユウの横顔を見つめ、ためらいがちに口を開いた。


「ねぇ、ユウくん……」


 その呼びかけに、思わず鼓動が跳ねる。


「……今、名前で呼んだ?」


「うん……。なんか、ちゃんと名前で呼びたくなったの。これからも、呼んでいい?」


 ユウは言葉に詰まる。

 彼女の瞳はまっすぐで、どこか不安げで、それでいて期待も込められているようだった。


「もちろん。俺も、ユイのこと……名前で呼んでもいい?」(すでに呼んでるけど、改めて話の流れでね……)


「うん……っ」


 たったそれだけの会話なのに、空気がふわっと変わった気がした。

 名前を呼ぶという行為が、こんなにも心の距離を近づけるものだとは思わなかった。


 しばらくの沈黙のあと、ユウは思い切って口を開いた。


「……ユイ。お前のこと、ちゃんと守ってやりたいって思ってる。ずっと」


 ユイは驚いたように目を見開き、そして頬をほんのり赤らめながら、そっと寄りかかってきた。

 金色の髪がユウの肩にふわりと触れ、湯上がりのように温かいぬくもりが伝わる。


「わたしも……ユウくんといると、安心する。もっと一緒にいたいな」


 それは、まだ「好き」とは言えないけれど、確かに恋に触れた瞬間だった。


 午後の買い物帰り、ユウとユイはスーパーの袋をぶら下げながら歩いていた。今日はユイの希望でカレーを作る予定だ。そんな他愛もない日常に、ふとした出来事が混ざり込んだ。


「ユウくん?あれ、誰?」


 ユイが立ち止まって指差したのは、通りを挟んだ向こう側。

 そこには、地元のカフェで働く若い女性が手を振っていた。


「えっ、ああ……中学の同級生だよ。久しぶりだな~」

 ユウが笑って手を振り返すと、相手の女性は軽く駆け寄ってきた。


「ユウ~!元気そうじゃん。今も近くに住んでるの?彼女と一緒?」

 彼女は明るく話しかけてきた。ユウは少し戸惑いながらも応じる。


「ああ、まあ……一緒に住んでるっていうか……」


 その「曖昧な返し」に、ユイの眉がピクリと動いた。


「そうなんだ~。ユウって昔から優しかったし、絶対モテてると思ったよ」


 その言葉に、ユイはぴたりとユウの袖を掴んだ。小さな手が、ぐいっと。


「……ユウくん、そろそろ帰ろう?カレーの材料、冷えちゃうよ」


 少し不機嫌そうな表情。その青い瞳には、かすかな不安とやきもちが揺れていた。


「あ、ごめんごめん。じゃあ、またなー」

 手短に挨拶をしてその場を後にする。


 帰り道、ユイは口をつぐんだまま歩いていた。頬をふくらませ、ちらちらとユウを見ては目を逸らす。


「……もしかして、怒ってる?」


「怒ってないもん。ただ、ちょっと……」


「ちょっと?」


「……“彼女”って聞かれて、はっきり言わなかったから……」


 その言葉に、ユウの胸がぎゅっと締めつけられる。

 無意識のうちに、彼女を不安にさせていたことに気づいた。


「ごめん。次からちゃんと“ユイが大事な子だ”って言うからさ」


 その言葉に、ユイはふっと視線を上げて、わずかに笑った。


「……ほんとに?」


「ほんと」


「じゃあ……今日のカレー、がんばって作ってくれる?」


「もちろん!」


 二人の間の空気が、ほんの少しだけやわらかくなった。


 家に帰りつくと、ユウはすぐにエプロンをつけて、キッチンに立った。ユイも手伝うと言って、早速調味料を用意し始める。カレーの香りが家中に広がる中、二人の間に流れるのは穏やかな時間だった。


「ユイ、これ切ってくれる?」

「うん、分かった!」


 ユイは楽しそうに玉ねぎを切り始めるが、その手つきはどこかぎこちない。普段は手際よく料理しているユイが、今日はちょっとだけ不安げだ。それをユウは見逃さなかった。


「どうした? 何か気になることでも?」


 ユイはちらっとユウを見て、少し照れくさそうに言った。


「さっきの……その、なんでもないんだけど……」


 ユウが目を細めて、心配そうに聞き返す。


「何だよ、そんなに気になること?」


 ユイは息を深く吸ってから、ゆっくりと口を開く。


「……あんなふうに、他の女の人と話してるの、なんだか嫌だった」


 ユウは驚きながらも、すぐにユイの顔を見て少しだけ笑った。


「そっか。そういう風に思ってたんだね」


 ユイは恥ずかしそうに顔を赤らめ、玉ねぎを切りながら声をひそめた。


「だって……ユウはすごく優しいし、モテるし、みんなが寄ってくるんだもん。わたし、そんなの見たくないよ」


 ユウは少し考えてから、ユイの肩に手を置いた。


「ユイ、俺だってユイのことが一番大事なんだよ。誰かと話してたって、ユイが一番だからな!」


 その言葉を聞いたユイは、少し驚いた顔をしてから、ほんのりと頬を赤らめた。


「……ほ、ほんとに?」


「うん、もちろん。だってユイがいなきゃ、俺の毎日は成り立たないしな」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ