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それでもまだ少し元気のない男神を眺めていると、ふと、前にも見た姿が重なる。
(たまになんとなく、えーちゃんに似てるのよね)
顔かたちは全然違うのだが。
今の男神の表情は、一緒に出かけた日の王女に似ていた。帰路で、勢いよく女神の横に並び、おそるおそる女神の反応をうかがっていた、あの時の王女にだ。
王女の王家には最高神の血が混じっているらしい。と、以前王女本人から聞いたので、もしかしたら男神と王女にはそのあたりで血の繋がりがあるのかもしれなかった。
一緒に、出かけた日。血の繋がり。
二つの言葉がきっかけとなったのか。女神の頭に一つ、ある台詞が響く。
『まあ、記憶を消した理由については、今の私なりに考えをめぐらせてみて、大体の予想はできたわ。おそらく、家族になにか、不幸があって。悲しみに耐えられなかったのだと思う』
出かけた日の帰路で、女神が口にした台詞だった。
(えーちゃんにはああ言ったけれど……正直、まだ疑問が残ってるのよね)
女神が記憶を消したのは、悲しみに耐えられなかった、それだけが理由ではないと思う。自分自身のことだから、女神にはわかる。まあ他にどんな理由があるのかは、わからなかったりするのだが。
そもそも、家族の不幸による悲しみに耐えられなかったなら、せめて自身の記憶の中だけでも家族を生かそうとするのではないかと、女神は思う。それに、家族に関する記憶をまるごと消すだなんて、代償が大きすぎる。現に女神は、行き場のない神や精霊が寄り集まる家で暮らし、精神だって退化してしまっている。前者はまあ、今の生活も気に入っているので構わない。だが後者はどうだろう。
家族と一緒に過ごしていたであろう過去の女神にとって、家族に関する記憶をまるごと消すことはすなわち、それまで生きてきた自分の存在を消すようなものだ。
(過去の私は、おそろしくなかったのかしら。おそろしくても、消したいほどの、理由があったのか)
今の女神にはわからない。
家族に関する記憶を取り戻したいとは望まない。でも、どうして消す選択をしたのかは知りたい。
おそらく、実現することのない望みだろう。
記憶の女神に、再三再四楔を刺されていた。
たとえば人間も、衝撃によって記憶を失う時がある。そして失われた記憶が戻る時もある。けれども、神の強い力で記憶を消し去るとなれば話は別だ。
記憶の女神の力で消した記憶は、記憶の女神の力でも戻せない。同じ神なので力が拮抗し、互いに消し合うのだ。消し合って現状維持ならまだいいだろう。神の力がぶつかった衝撃で予期しない事態が起こる可能性もある。最悪の場合、女神の存在自体が消えることもありえない話ではない。記憶の女神にも被害が及ぶかもしれないので、今度はどんなに頼まれても記憶を戻す手伝いはできない、そう彼女から言われていた。
つまり、女神の家族に関する記憶は、もうよみがえらないということだ。
『死んだら、どんな言葉を並べても、結局すべて終わりだもの』
過去の王女の言葉が、やにわに女神の心の、虚ろな部分を撫でる。
そして過ぎ去った。
女神はテーブルに置いた水のカップへ、手を近付ける。
カップのふちに人差し指をすべらせる。自然と円を描く人差し指を見つめ、考えた。
王女の言葉通りなら。生と死とは、この円のようではない。永遠に廻るものではなく、最後は糸をたち切るように終わるのだ。生まれ変わりや、よみがえりはない。
死んだら──すべて終わり、だなんて、女神にはなじみのない感覚だと思っていた。きっと、違っていた。
あの時。王女の唇から瞳を離せなかった理由を、ようやく知れた気がする。
記憶だって、死んだら終わりだから。
すべて、承知した結果のはずなのに、感情が波打つ。強く激しい風のように騒ぎ立つ音が、女神の、凪いでいた心を荒らしてしまう。
よくない変化だ。




