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発端は二年ほど前。王女とはじめて出かける日の、数日前だった。
突然女神の部屋へ、知恵と戦いの女神が訪ねてきた。彼女はなぜか、女神がなんとか王女と手紙をやりとりできないかと悩んでいることを知っていて、それならば聖鳥のふくろうたちから一羽を貸す、と申し出てきたのだ。この子だったら遠い場所へでも手紙を届けられる、と。
女神は特に彼女と知り合いだった記憶はないのだが、もしかしたら、消した記憶に含まれていたのかもしれない。そう考えたのは、彼女の様子が少し変だったからだ。会話の最中、ずっと居心地の悪そうな表情を浮かべていた。どうして大事な聖鳥を貸してくれるのかと質問しても、運が良かったとでも思え、と、よくわからない答えが返ってきた。
正直、女神は最初、いぶかしんだ。でも、彼女は神々の中でも真面目な性格なので、自らの誓約をやぶるような真似はしないだろう。それに、他に良い方法も思いつかない。貸してくれるのなら、ありがたく受け取っておこう。女神はそう決めた。
しかし、自分の食生活さえ男神に世話されている女神には、生き物の世話などできる気がしなかった。かと言って、男神には頼みづらい。彼は既に鶏や牛を飼育している。
他に、世話を頼める者が居ないか悩んだ末、あの受付の精霊にお願いすることにした。なるべく女神の近くに住んでいる者のほうが都合がよかったし、受付の精霊なら信頼するに足りる。
先に知恵と戦いの女神へ話したのだが、どうやら、女神の部屋に行くための手続きをする時、受付の精霊のまめやかな仕事ぶりに感心したらしい。ふくろうを任せることは、意外にすんなり承諾してくれた。
受付の精霊のほうも、ふくろうの世話を引き受けてくれた。任せきりは申し訳ないので、女神は、よく様子を見に行っている。ふくろうと受付の精霊は仲良くなったらしく、今日のように受付で一緒に居る姿もちょくちょく見かける。
こうした次第で、周りの助けを得て、王女と手紙のやりとりを続けているのだった。
「結婚式は、やっぱり行けないか」
「王族の結婚式だから。他の神も祝いに来るでしょう。そこで目をつけられたら、どんな嫌がらせをされるか」
下手をすると、もう王女に会えなくなるような事態になるかもしれない。冗談ではなく。
力のある神は、なにがきっかけで、どんなことをしでかすか予想できない。前に神々が支配領域の獲得のため争った時、敗北した神のほうが怒り、手に入れられなかったその地を水びたしにしたと聞く。つまり、水没させたという意味だろう。
王族の結婚式は、多くの者から信仰されている偉大な神が来る可能性もある。そこに力のない女神がおもむけばどうなるか。身の程をわきまえずに偉大な神の支配領域をおかそうとしたと、因縁をふっかけられるかもしれない。
友だちの結婚を祝うためなら困難も立ち向かう、と言いたいが、女神は自身の立場がそれなりに崖っぷちであると理解している。結婚式に行けないことよりも、二度とふたたび王女に会えなくなること、そのほうが女神には耐えられない。なので、結婚式に行くのは断念したのだ。
「ああ。確かに、そっちの理由もあったな」
男神の言い方は、別の理由があると受け取れる言い方だった。
「私がただ、面倒くさいから行かないとでも思ってたの? そこまで出不精じゃないわ」
「いや。そういうんじゃなくてさ……」
妙に歯切れが悪い。
女神の顔色をうかがいながら、片手で頭をかく男神。明らかに言いにくそうだ。
「いいわよ。言いたくないなら、そのままで。無理させたいわけじゃないもの」
「……そうか? じゃあ、今は、やめとく」
男神が、安心したような、でも後ろ髪を引かれているような、曖昧な表情をする。
「かわりに、答えてほしいのだけど」
「な、なんだよ」
「知恵と戦いの女神へ、私がえーちゃんとの手紙のやりとりについて悩んでること話したの、あなたでしょう?」
「……今さらかよ!?」
先ほどまでの、覇気のない様子とは打って変わり、男神はとびきり大きな声を発した。
「あとで訊こうとして、ずっと忘れてたのよね。さっき思い出したわ」
「忘れてたって、二年経ってんだぞ。限度があるだろ…………でも、そうだよな。おまえはいつも、自分の歩幅で生きてるもんな」
どこか諦めたような声色だった。
女神だって、今の今まで失念していた事実に、自分で驚いている。火急の用件でなければ後回しにしがちなのは性分だった。
男神は男神で、言えないことが多いらしい。女神の問いは今回も答えづらいものだったようだ。眉間に、しわが寄っている。
「昔、あの女神には世話になったから、顔なじみなんだ。それで、ふくろうをおまえに貸せないかって頼んだ。ダメ元だったけどな。まさか本当に貸してくれるとは思わなかった。……勝手におまえの悩みを話して、怒ってるか?」
これ以上隠しごとをするのは女神に悪いと考えたのか、ためらいつつも、男神は質問に答えた。
「怒ってたら、もっと早くにあなたを問い詰めていたでしょうね」
女神は握ったままだったカップを、テーブルの上に置く。軽いカップでも、長時間持つと手が疲れる。
王女との手紙のやりとりに関しては、限られた者にしか話していない。そもそも話し相手が片手で数えるほどしか居ない。男神が知恵と戦いの女神に話したのだと思い至るまで、大した時間は必要なかった。
背もたれにからだの重みを預け、正面の男神を見つめる。
「あなたに、私を害そうとする意思がないことくらいはわかるわ。それにあなたが知恵と戦いの女神にお願いしてくれたおかげで、結果的には助かったし。だから怒ってないわよ」
「なら、いいんだが」
男神はまだ浮かない顔をしている。怒ってないと言っているのに、一体なにが不満なのか。相手が許す許さないにかかわらず、埋め合わせをしないと気が済まないのか。
それならば、と、女神はひらめく。
「今日の、メロンだったかしら。好きな味だったから、また持ってきてくれると嬉しいわね」
「……わかった。次は、もっと持ってくる」
「あら、本当? あの量じゃ足りなかったのよね」
「水分多いから、あんまり食べると腹壊すぞ」
ふだんの、口が減らない男神が帰ってくる。やはりこちらのほうが好ましい。いつまでもうつむいていられては、扱いに困ってしまう。さっさともとに戻ってもらわなくては。




