11
その男神が、なぜこうして女神の部屋まで来て、二日おきに料理を作っているのか。
初めて女神と男神が顔を合わせたのは、五十年ほど前。記憶の女神の所へ定期的に行く日のことだった。
その頃、既に記憶の女神の庇護下を離れて二十年が経過していた。今住んでいるこの家から記憶の女神の家へ向かうのも慣れたもので、いつも通りに終わると女神は考えていた。しかし、ちょうど同じ日に男神も記憶の女神の家を訪れていて、女神は彼に遭遇することになる。
記憶の女神は男神の後見をしており、男神も女神のようにいろいろと面倒を見てもらっていた。男神は男神で事情持ちというわけである。それで話も合うだろうと、記憶の女神は思い至ったのかもしれない。まだ神々の世界に慣れていない男神に道案内をしてやってくれと、女神は、記憶の女神から頼まれたのだ。
道案内をした一年後。唐突に、男神が女神の住まうこの家を訪問してきた。
育てていた作物が収穫できたので、道案内の礼におすそ分けしに来たという理由だった。過去も現在も、男神は大地と穀物の女神でもないというのに、農耕で暮らしていた。
男神から野菜を貰って、女神は『食べ物を間近にするのはずいぶんひさしぶり』と言ってしまい、そこから食事を長期間とらないことが常だと男神に露呈したのだ。ちなみに露呈した時は三か月間、水しか口にしていなかった。
すぐさま男神はその場にあった材料で麦粥を作り、半ば強制的に女神に食べさせた。
あの麦粥はおいしかった。大麦の粥で、小さく刻まれた野菜が具材となっていて、その風味も合わさってうまみが増していた。
しかし、そもそも神であるこのからだは、人間のように食事を必要としない。
そのことを指摘すれば、男神はこう返した。『食べなきゃ生きてるって言えないし、食べてるだけじゃ生きてるって言えないんだよ』と。女神は、矛盾していると感じたものだ。それも指摘したのだが、男神は『矛盾してないの』と、頑として譲らなかった。
このような経緯により、男神は料理を作りに来ることになった。毎日は男神にも難しいため、二日おきと決めてある。
空いた二日間は、男神が女神の部屋に残していく果物を、たとえばいちじくなら一日二個とか、一定の量は食べるように言われている。毎回ちゃんと果物が減っているか確認しているのだから、女神はすっかり食事をする習慣ができてしまった。
だけど、口うるさい所はあっても、女神にとって男神は、共に過ごしていて居心地のよい相手だ。
今だってそうだ。食事中、ふたりが話す回数は少ない。女神は食事中に会話するのを嫌っているわけではないのだが、なにかをしながら別のなにかをすることが苦手だし、男神のほうは食事に集中したいから、自然と会話がなくなる。
他にも生活上の小さなこだわりが一致したり、もしくは意見のすり合わせが比較的容易で、だから居心地がよいのだと、女神は思う。
男神は、知り合いだ。友だちではない。
女神の持つ友だちの知識に男神も大体あてはまっているはずだが、なぜだか、友だちと言うのはしっくりこなかった。そう呼ぶのが嫌なわけではなくて、単純に、「友だち」と、そう呼ぶことを考えられない。
五十年は共に居るというのに。女神は自分の感覚が不思議だった。




