02.誘い蛇《いざないへび》 ヴォラスィティ
「今から四年前のあの日、僕は王宮の夜会に出席したが、腹痛のため途中退席し、王都にある僕の屋敷に戻ったところだった」
アンとの仲がまだ認められていなかったため、ベルンハルトはアンと一緒に夜会に出席することが出来なかった。
そのためベルンハルトは一人で夜会に出たが、何故かその日に限って急な腹痛に襲われ、夜会の途中でアンが待つ屋敷に戻ったそうだ。
そして、屋敷に着いたその瞬間、ベルンハルトは暴漢に襲われた。
普段だったら暴漢ごとき難なく撃退出来るはずのベルンハルトだが、腹痛のため本来の力が出せず、とっさにベルンハルトをかばったアンが瀕死の重傷を負ってしまった。
「それで、犯人は? ちゃんと捕まったんですか?」
リックの問いかけに、ベルンハルトは苦々しい表情で首を横に振る。
「いいや。取り逃がしてしまった」
「えー、怖い」
「アンはとても強い。暗殺者はたった一人で、本来ならいくら不意打ちを食らったところで、アンが一対一の敵相手にやられるはずはないんだ。暗殺者は、ただの人間ではなかった」
ただの人間ではない。と聞いてカチュアは考えた。
「じゃあ、モンスターとか」
「いいや」
違うらしい。
オーグが口ごもりなから尋ねた。
「獣人ですか」
「彼らでもない。もっとおぞましい悪の力を持つ者だった。……君達は邪神を崇拝する者達がいることを知っているか?」
ベルンハルトは神妙な顔で一同に問いかけ、
「はあ、まあ……」
リックが微妙な顔で頷く。
伝説によるとかつて善と悪の戦いがあった。
地上を支配しようとした悪しき者、悪魔達は善き神々によって地底に封じられた。
悪魔達の住む魔界と人界は神々が作った破邪の障壁で隔てられている。
こうして地底に封じられた悪魔だが、力の弱い者は障壁を隙間をすり抜けて地上に来ることが出来る。ダンジョンに出てくるモンスター達はそうやって地底から出てきた悪魔達の末裔だそうだ。
逆に力の強い悪魔は障壁に阻まれ、こちら側にやって来ることが出来ない。
彼らがこちら側に来るには、障壁を突き破る特別な儀式などで召喚の場を整えることが必須となる。
特に力の強い悪しき者達は、悪魔の王と呼ばれ強大な力を持つ。
彼らは地底で今も虎視眈々と地上にやって来る機会を狙っている。
そのため悪魔達は様々な方法で人間達に接触しようと試みている。
そんな悪魔の悪しき企みに付け入られないように、善き神を正しく信仰するように。
……というのが、地上にあるほとんどの国の教えである。
だが、恐ろしいことに悪魔の王達を神と崇め、密かに信仰する者達がいるらしい。
カチュア達の国では邪神崇拝は厳しく禁じられているので、普通に暮らしている庶民が邪神崇拝者に会うことはほぼない。
『本当にいるの? そんな人達』というくらい馴染みのない存在だ。
しかしベルンハルトは重々しく頷いた。
「残念だが、邪神崇拝者は少なからずいる。彼らは邪神に祈ると必ず願いが叶えられると主張する。僕らを襲ったのは、そんな悪魔の王の一人、ヴォラスィティと呼ばれる大蛇の信徒だ。ヴォラスィティと取引した者は、いずれその身は悪魔に堕ちるというが、それでも暗黒の誘いに身を投ずる者は少なくない」
「うーん、願い事を叶えてもらうのは魅力的かもしれませんが、それでも悪魔になるのはちょっと……」
とリックが言えば、ローラも、
「うん」
と同意する。
「……俺も、悪魔になるのは嫌です」
オーグも狼の顔をしかめて言った。
ベルンハルトは彼らに同意する。
「ああ、もちろんだ。だが、世の中にはそういう選択を取る者もいる。邪神にとって人界を鎮護する聖剣を守る王家の者達はとても邪魔な存在なのだろう。時折、自らの崇拝者を暗殺に差し向けるんだ。僕は常に命を狙われている」
とベルンハルトはさらりと怖い発言をした。
ヴォラスィティの指令を達成すると、信徒は願いが叶えられる。そのため、信徒達は喜んで邪悪な指令に従うという。
――それがどんなに危険で倫理に反したものでも。
「暗殺者は邪神の力で強化され、人間とは思えない力を振るった。肌は黒い鱗のようなものに覆われ、顔も人間とは思えない悪魔のような邪悪で歪んだ形相だった。そして正体不明の男が使用していたのは、魂狩りの鎌。ダークドワーフが鍛えた危険な魔法の武器で、人の生命力を根こそぎ奪い、即死させることが出来る。その攻撃を受けたアンは本来なら死んでもおかしくなかった」
「アタシが生きていられたのは、この槍のおかげよ」
とアンが自分の槍を掲げる。
カチュアがはじめてアンに会った時は槍は古ぼけて見えたが、ここのところ、何故かちょっとつやつやで切れ味良さそうな槍になっている。
「この槍は、レダ・エリス島で採れるアストラルストーンという特殊な鉱石で出来ているの」
「アストラルストーン」
「聞いたことないですね」
とお宝にはちょっと詳しいリックが首をかしげた。
「かなり珍しい鉱石でね、本来、門外不出のものなのよ。アストラルストーンで作った武器は成長する武器と言われていて、使えば使うほど強くなる。槍は今まで貯め込んだ力を全て放出して私を守ってくれたの」
槍は力の全てをを失ったが、槍の力だけではアンを守り切れず、その怪我が原因でアンは三年間も眠り続けていたという。
生命力を奪われたアンは衰弱し、50もレベルが落ちてしまったのだそうだ。
ベルンハルトが体調不良になったそもそもの原因である腹痛だが、友好国の一つで珍重される魚を干したもので美味だが食べ慣れてないと不調をきたすというものだった。
具体的には下痢になる。
厳密には毒ではないから、毒味もすり抜けてしまい、共に晩餐を食べた王族や高位貴族のほとんどがあたった。
この魚はある種の木の実と一緒に食べるとさらに下痢しやすくなる。そんな不幸な食べ合わせで被害が大きくなったようだ。
ちなみにベルンハルト達一般の王族は全員下痢になったが、国王はベルンハルト達よりさらに厳重に食事を管理されているため、無事だったそうだ。
それだけ特殊な風体をした暗殺者だが、襲撃の後まるで霧のように足取りが消えてしまい、優秀な王都の騎士達も犯人を捕らえることがいまだ出来ていない。
分かったのは、人を欲望に駆り立て暗黒に誘うことから、『誘い蛇』とも呼ばれるヴォラスィティの崇拝者だということだけだった。
「ヴォラスィティと契約した者には体のどこかに蛇の紋章が現れるという。くれぐれも気をつけてくれ。他の邪神にもだ」
ベルンハルトの忠告にアンをのぞく一同は首をかしげる。
「他の邪神?」
「邪神は一体ではない。我らの神が複数おわすように、彼ら邪神も複数いる。ヴォラスィティは自らに呼応する欲深き人間を好んで使うが、他に自らの部下である邪悪な生き物を使役する邪神もいるという」
「他にどんな邪神がいるんですか?」
リックの問いかけにベルンハルトは「はー」とため息をついた。
「我々が知っているだけで五十二の邪神がいる」
「えっ、五十二?」
「そうだ。全ての邪神が人界に興味があるわけではないようだが、正直言って相手が多すぎて何を警戒しろとは言えないんだ」
リックはゴクリと息を飲み込んだ。
「邪神は聖剣を守る人を狙ってるんですよね、カチュアさんとか超危ないんじゃないですか?」
「その通りだ。しかしカチュアさんのスキル【主婦/主夫】の秘密はごく少数の人間にしか知られていない。僕らが聖剣を探していると嗅ぎつけられても、顔を明かしている人狼のオーグや僕の方が先に警戒されるだろう。僕らはあまり大々的な活動をしている訳ではないしね」
他の冒険者チームはもっと大人数で、さらに名声を上げるために派手な活動をしているし、自分達の戦いぶりを宣伝している。
名声を聞いて、特別なオファーをしてくるお金持ちや貴族がいるからだ。
「オーグには悪いが、カチュアさんのことは絶対に守り通したい。聖剣を手に入れるまで、このまま僕と一緒に囮役になって欲しい」
ベルンハルトは王子の身分を隠しているし、識別阻害魔法付きのマントを身につけているが、たまにマントを外すこともある。
皆の興味を自分に引きつけ、カチュアの存在を目立たなくする作戦だ。
ベルンハルトの頼みに、オーグは大きく頷いた。
「はい。もちろんです」
「いいの? それで」
二人を矢面に立たせることに、罪悪感を覚えるカチュアだった。
「そうした方がいいわよ。アンタはすごいスキルを持ってるけど、戦闘能力的にはまったく非力なんだから。それに子供達もいるんだし」
とアンが言う。
「そ、そうね。じゃあお言葉に甘えて、二人ともよろしくお願いします」
カチュアは皆に頭を下げた。
ベルンハルトは首を横に振る。
「カチュアさんがあやまる必要はない。これはチームの作戦だからね。幸い、カチュアさんは騎士団の官舎住まいであそこは一般の住宅より警備が厳重だ。エド君達のことは心配いらない」
「良かった」
カチュアはそれを聞いて胸をなで下ろす。
「しかし」
とベルンハルトは憂鬱な声で話を続けた。
「このまま聖剣の不在が長く続くとそれだけ王国の人全てが危険にさらされてしまう。地底に住む悪しき者達もこの時とばかりに地上にやってこようとするはずだ。僕らは一刻も早く、聖剣を手に入れるか、地上に来ようとしている彼ら邪神を叩きのめす必要があるんだ」
「……邪神を叩きのめす?」
オウム返しにカチュアが聞くと、ベルンハルトは頷いた。
「叩きのめす」
アンとベルンハルトはアンの方が四歳くらい年上なので、出会った頃はおねショタでした。
今、ネーム付きの悪魔(邪神)は、
禍つ竜【まがつりゅう】ブラックドラゴン←120階にいるという邪竜
誘い蛇【いざないへび】ヴォラスィティ←願いを叶えてくれる代わりに魂を地獄に落とす蛇
が出てきてます。






