18.デトックス温泉郷かえるの湯その6
庵から少し離れた所で、カチュアとアマミはふーっと息を吐いた。
「あー、怖かった」
「本当ですケロ」
ダルマおじいさんは確かに怖かった。
ダルマおじいさんの眉間のしわや目、顔の他のパーツはとても悲しげなのに、何故か口元だけが笑っているのだ。
「じゃあね、アマミちゃん」
「お、お客さん、本当に行くんですかケロ?」
「うん。あ、伝言頼んでもいい? 誰かに『カチュアを探している』って言われたら、十の湯に入ったって伝えてくれる?」
「わ、わかりました。きっと伝えますケロ」
アマミはこくこくと頷く。
「さあ、行くわよ」
アマミと分かれ、カチュアはいよいよ行方不明事件の現場、十の湯の女湯に向かう。
カチュアはドキドキしなから誰もいない更衣室に入り、浴衣を脱いだ。
護身用のお玉とお鍋のふたを両手に持ち、ぬいぐるみ傀儡のうさみを湯あみ衣のポケットに入れて、そろりそろりと温泉に向う。
同じぬいぐるみ傀儡でもくまきち達の方が護衛として役に立ちそうだが、名前と見た目からして彼らは男の子っぽい。
男子禁制の女湯に連れてこない方がいいだろうとカチュアはうさみだけを連れて行くことにしたのだ。
洗い場で軽く体を洗い、いよいよ入浴だ。
「あー、いいお湯~」
デトックス温泉郷では一番黒いという十の湯は確かに温泉成分が濃厚だった。
「とけるー」
それまでカチンコチンに緊張していたカチュアだが、温泉に入るとあまりの気持ちよさに溶けそうになる。
思わずうっとりしてしまったが、あわてて我に返る。
「はっ、溶けている場合じゃないのよ、手がかりを探さないと!」
カチュアは周囲を見回すが、行方不明者どころか、人っ子一人いないし、特に怪しいところもない。
そもそもかえる女子達や他の女子冒険者達が探したという場所だ。
「そんな簡単に見つからないわよね」
しばらく探索したが、何もなさそうだ。
犯人らしい者はおろか、誰もいない。
このまま温泉に入っていたらのぼせてしまう。
ため息をついて、カチュアはお湯から上がった。
ただせっかく来たので周囲も見ておこうと脱衣所ではなく、周辺の草むらに向かって一歩を踏み出した時、
「シュー!」
カチュアの目の前に人間の握りこぶしくらいの蜘蛛が現れた!
しかもどうしたことか、その蜘蛛はカチュアに向かって飛びかかってきた!
「いやー! くーもー!!」
カチュアは思わず手にしたお玉を握りしめ、大声で叫んだ。
***
ボン!
大きな音とともに、十の湯の女湯で火の手が上がった。
「えっ、カチュアさん?」
アマミは驚き振り返る。
いったんは分かれたアマミだったが、カチュアのことが心配で近くをウロウロしていたのだ。
もしやカチュアに何かあったのだろうか。
「ただいま参りますケロ!」
あわてて駆け出そうとするアマミに金髪の女性が切羽詰まった様子で声を掛けてきた。
「ねえ、アナタ、栗色の髪の人間の女性を見なかった?」
さっきエステでカチュアと一緒にいたニンゲンだ。
「カ、カチュアさんのことですかケロ」
「そう、カチュアはどこ?」
「十の湯です! 案内するですケロ」
「お願い!」
「ふー、あー、怖かったぁ」
カチュアは額の汗をぬぐった。
カチュアは襲いかかってきた蜘蛛をついお玉の最大火力で倒してしまった。
何度も戦いをくぐり抜けたお玉とカチュアは以心伝心。
火力は声に出さなくても調節出来るようになっていた。
蜘蛛は消し炭と化した。
完全にオーバーキルである。
カチュアの服のポケットからぴょんとうさみが飛び出して踊り始めた。
『傀儡 ぬいぐるみバレリーナうさみ、うさぎダンス チームに賢さポイント10の効果』とメッセージが表示される。
そして追加メッセージが表示される。
『踊りに込められたメッセージ:(いおりから物音が聞こえる。くるしそう)』
「えっ、いおりってさっきダルマおじいさんがいたところ?」
うさみは頷いた。
うさみはうさぎのぬいぐるみだけに耳が良いようだ。
さっき会った時は怖い人に見えたが、病人のお年寄りを放っておくことは出来ない。
「行きましょう」
カチュアは庵に向かった。
「カチュア!」
「あ、アン、アマミちゃん」
途中でアン達に合流する。
「カチュア、怪我は?」
「私は大丈夫。でもうさみが『庵から物音が聞こえる』って」
「そう。じゃあ行ってみましょう。他の連中もすぐに来るわ。彼ら、女湯は入れないけど、庵は女湯ではないから大丈夫でしょう」
アンは槍を握りしめて、庵の引き戸を開けた。
カチュアとアマミも後ろからおそるおそるのぞき込む。
「あ!」
薄暗い部屋の中にはダルマおじいさんの他になんと先程までいなかった二人の人間の女性が倒れていた。
カチュアと同じく湯あみ衣を着ている。
行方不明のお客さんだ!
「うっ……アマミ……」
ダルマおじいさんがうめく。
「だ、ダルマおじいさん! 大丈夫ですかケロ」
アマミはあわてておじいさんに近づいた。
「しっかりしてくださいケロ」
アマミは衰弱したおじいさんを抱えて揺さぶった。おじいさんの顔からはもうあの不気味な微笑みは消えていた。
苦しげに息を吐きながら、彼は言った。
「く、蜘蛛を倒して……くれたのか?」
「蜘蛛?」
とアンが首をかしげる。
「そうじゃ、蜘蛛だ。蜘蛛がわしを操っていたんじゃ。あの女性達はずっとこの庵の天井に張られた蜘蛛の巣に囚われておった」
「えっ、そうだったの?」
行方不明事件の犯人はあの蜘蛛のモンスターだったようだ。
おじいさんの話によると一月前、蜘蛛にいきなり襲われてそれからずっと蜘蛛の糸で操られていたそうだ。
おじいさんは自分の意思では体を動かすことが出来なくなり、蜘蛛に操られるままだったというから、小さな体で恐ろしいモンスターだ。
蜘蛛はおじいさんを操り女性と共に温泉郷から逃げだそうとしたが、その前に湯主のがまが温泉郷を素早く封鎖してしまったので、逃げられなくなってしまった。
そこで蜘蛛はいったん蜘蛛の糸を天井に張り巡らせ、住まいの庵の天井の梁の影に仮死状態にした女性を隠し、温泉郷の封鎖の解除を待つことにした。
行方不明者探索隊の手によって当然庵も調べられたが、蜘蛛はおじいさんを操り、寝込んだ振りをさせた。
実際に蜘蛛に乗っ取られたおじいさんは病人同然になってしまったので、見破れないのは当然だ。
探索隊は病気のおじいさんに遠慮して部屋の隅々までは調べず、天井の梁の影に行方不明の女性達が隠されてるのには気付けなかった。
そして封鎖解除を待つ間に次の犠牲者『仲良しファミリー団』のママがやってきた。
蜘蛛はその女性も捕らえ、脱出とさらなる獲物を捕らえる機会を狙った。
そんな時にカチュアが現れたのだ。
相手を自在に操れる恐ろしい蜘蛛モンスターだが、物理的にはさほど強くない。
そのため本来なら用心深い蜘蛛は糸を使い女性を絡めて捕らえるのだが、カチュアがあまりにも強そうでなかったため、油断したのだろう。
正面から襲いかかったが、嫌いな虫を見た時のカチュアは普段の一千倍くらい好戦的である。
襲ってきた蜘蛛を一撃でオーバーキルしたのだった。
***
「……ということですケロ」
カチュア達は温泉から見えた金ぴかのお城、かえる城の天守閣に招き入れられ、湯主のがまから丁重なもてなしを受けた。
トーヨーでは壁を背にした一段高い場所が一番の上座らしいが、そこに座っているのはカチュア達ガンマチームである。
これは最高のVIP待遇だそうだ。
温泉郷名物の懐石料理というご馳走を食べながら、カチュア達は説明を受けた。
少し離れたところには『白銀の夜明け団』と『仲良しファミリー団』もいる。
アンだけは料理ではなく、十の湯に入った後、かえるダイエット脂肪燃焼コースを受けるというスペシャルプログラム中だ。
ダルマおじいさんも大きかったが、湯主のがまはそれよりももっと大きなかえるだ。
湯主と言われるだけあって迫力があり、いかにも強そうな温泉キング殿様かえるである。
「あなた方のおかけで、行方不明者も見つかり、ダルマじいさんも助けることが出来ました。本当にありがとうございます」
そう言って湯主のがまは頭を下げる。
「ありがとうございます」
さらに大きな畳敷きの座敷にズラリと並んで座るかえる達が三つ指をついて丁寧に頭を下げた。
「あの、行方不明者さんとダルマおじいさんは無事なの?」
カチュアは心配になってがまに聞いた。
あの後、駆けつけた皆の手によって彼らは無事に救出されどこかに運ばれていくのは見たが、それっきりなのだ。
「かなり衰弱しておりますが、命に別状はありません。無事に回復出来るでしょう」
「良かった……」
「うん」
カチュアとローラは胸をなで下ろす。
「ただ、残念ながら、あのモンスターの正体や目的は何も分からずじまいです」
とがまはため息をついた。
カチュアが犯人を一撃死してしまったせいで、事件は解決したが、あの蜘蛛の目的などは不明なままだ。
ちょっと悪いことをしたなーと思うカチュアである。
「ご、ごめんなさい」
「いや、カチュアさんのせいじゃない」
とベルンハルトは言った。
「未知のモンスターは下手に手加減したら危険です」
「そうですよ、安全第一。無事で本当に良かったです」
オーグとリックからは戦闘のプロらしい発言が出た。
「あの蜘蛛は何かの荷物に紛れ込んで入ってきたのでしょう。温泉郷は普段平和なので、我々も油断しておりました」
がまは無念そうに言うが、あんな小さな生き物まで警戒するのは不可能だろう。
『仲良しファミリー団』と『白銀の夜明け団』は女性達が回復するまでもう少し温泉郷に留まる予定だ。
カチュア達も「お礼に」と泊まっていくよう勧められたが、エドとバーバラが待ってるので、もう帰らないといけない。
別れの際、『仲良しファミリー団」と『白銀の夜明け団』のメンバーは、
「本当にありがとう。この恩は必ず返す。何でもするから言ってくれ!」
「その通りだ。戦闘は苦手だが、発明には自信がある。困ったことがあれば声を掛けて欲しい」
と口々にお礼を言い、協力を約束してくれた。
そしてがま達は。
「ささやかですが、心ばかりのお礼です。どうかお持ち帰りください」
がまは壺と液体の入った瓶をカチュアに手渡した。
「これは?」
「壺の方はガマのあぶら、我々が分泌する回復エキスの原液です。ほとんどの傷に効果があるはずです。お使いください」
「まあ、ありがとう」
「瓶の方はこの温泉郷の奥深くにある泉から採れるご神水です。こちらは病気に効果があり、呪いを解除することも出来ます。残念ですが、こちらのお客様のような強固な呪を解くことは不可能ですが」
オーグの方を向いてそう付け加える。
「ありがとう。大事に使うわ」
どちらもこれからの冒険の役に立ちそうだ。
「お客さん、これを受け取って欲しいですケロ」
とあま吉は一枚の紙を差し出した。
そこには『デトックス温泉郷 かえるの湯 無期限パスポート券』と書かれている。
「いつでもいらしてください。歓迎します。もちろん無料ですケロ」
「ありがとう、あま吉くん!」
「じゃあね」
「さよならー」
「ありがとうー」
いつかまた来ようと誓って、カチュア達はデトックス温泉郷かえるの湯を後にした。
***
ダンジョンから戻るとカチュアは急いでバーバラのお迎えに行き、その後はご飯だ。
今日の夕食はかえる達がお土産に作ってくれた美味しいお弁当である。
ちまきという具入りのお米をふかして笹の葉で包んだものとおだしが入った卵焼き、照り焼きチキンとお魚を焼いたもの。野菜の煮物と栄養バランス満点の食事だ。
デザートまで付いていて、これはどら焼きという中にあんこが入ったパンケーキのようなものだった。
トーヨーのメニューらしく、どれも珍しいが子供が好きな味付けにしてくれたので、二人は美味しそうに食べている。
だが食卓の上には二人のお弁当だけでカチュアの分がない。バーバラが不思議そうにカチュアに聞く。
「ママのご飯は?」
「ママ、今日はダンジョンでご飯食べてきちゃったの」
「えー、そうなんだー」
「今日ママ達、かえるさんの温泉に入ったのよ。かえるのお城でお料理を食べさせてもらったの。今日のご飯もかえるさんにもらったのよ」
「えっ、かえるさんの温泉?」
「ダンジョンにはそんなところがあるの?」
二人ともかえるの温泉に興味津々だ。
「とっても楽しかったわ。今は無理だけど二人が大きくなって、ダンジョンの中に入れるようになったら皆で行きましょうね」
「うん!」
「僕達も行っていいの?」
バーバラは嬉しそうだが、賢いエドは少し心配そうだ。
「うん、皆がね、一緒に行こうって言ってくれたのよ」
ダンジョンの五十階と危険そうな場所だが、チームの皆が行こうと誘ってくれたのだ。
「さてと」
食事が終わり、子供達を寝かしつけたカチュアは手紙を書いた。
宛先は国境にいる夫のアランだ。
国境の状況は一時期よりもほんの少しだけ状況が良くなっていて、まだ民間人の立ち入りは出来ないが、手紙などの荷物は送れるようになっていた。
アランからの手紙によると豪商ガルファ家のお嬢様ミネルヴァが作った薬が届いてとても助かったそうだ。
アランはあまり詳しく語らないが、向こうでは激戦が続いているのだろう。
カチュアはもらったかえる壺をアランに送ることにした。
皆も快く賛成してくれた。
温泉は効果抜群だったから、きっとがまのあぶらは向こうで役に立つだろう。
大事に梱包して、ついでにあれからチクチクとカチュアが直したうさぎのぬいぐるみをいくつか入れた。
くまのぬいぐるみの方が戦闘能力は高そうだが、いきなり何かを襲うぬいぐるみを送っては、現地の夫の評判が心配である。
「どうか無事でいてね、あなた」
と願いながら、カチュアは眠りについた。
ポイ活編、ここで終了です。なんだかちょっとずつ不穏な空気が漂ってきました。次話からは第五章です。
ついにドワーフの隠れ里に行くのですが、やはりそこでも事件が……?






