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第13章

 七月の初旬、例の卒業パーティを数日後に控えた時のことだった。コニーはギルバート・フォードにエスコートを約束してもらい、超ゴキゲンだったし、リズはリズで夏休みだというのに、相変わらず恋人と毎日ボランティアで忙しくしており――ミランダは夏休みの課題をある程度片付けると、少しばかり暇を持て余していた。


 もちろん、チア部の練習もあったし、そちらの友人たちとのつきあいなど、楽しいことはいくらでもある。けれど、彼女たちの話はその大抵が「夏休み、彼氏とバカンスでどこへ行くか」ということに集中しており、ニューヨークだ、パリだ、ロンドンだ、モナコだ、ドイツのバーデン・バーデンだ……といった話を聞くうち、ミランダはだんだん憂鬱になってきたのである。


(あ~あ。あたしも誰か、大して好きとかじゃなくていいから、彼氏っぽい人でも作ろうかな……)


 手痛い不倫や、バイト先の同僚に振られた経験などを通し、次は「絶対本当に好きな人とだけつきあおう」と心に決めていたミランダだったが、早くもその決心が揺るぎはじめていたわけである。


 そしてそんな時、自分たちの住むマンションの一階にある洋菓子店――『シュクラン』にウェイターとして、ユトレイシア大の在学生がひとり入ってきたと、ミランダは父親から聞いたのだった。「おまえも彼みたいにアルバイトでもして、少しは有意義な夏休みでも過ごしたらどうだね?」というわけである。


 ダルトン家は三人姉妹であり(父親はどうしても息子が欲しかったらしいが、叶わなかった)、ミランダはその真ん中だった。上の姉のシンシアは現在、地方大学の大学院へ進み、来年にはMBAの資格を取得する予定だったし、妹は父親の店を継ぐべくパティシエの調理専門学校へ去年進学したばかりである。そして父親が今も時々口にするのは――「で、ミランダ。おまえは将来一体何になりたいんだね?」ということだった。


 実際、文学部に進学したいと言った時にも反対されていた。「女が文学なぞ学んで、将来一体どんな職業に就けるというんだね?」というわけである。「たとえば、ジャーナリストとか……」二番目の娘がそう言うと、父親は鼻で笑っていたものである。「ジャーナリスト!?そんなうさんくさい職業に将来娘を就かせるために、私は四年も学費を支払わなきゃならんのかね」――ミランダの父親はいつでも、実利一徹な人だった。時々彼女は自分の両親が、子育てにおいてもなるべく無駄を省き、効率化を目指したい……そう考えているのではないかと思えて仕方ないことさえある。


 とはいえ、父にも母にも愛されているという実感はあり(その昔は一時期、三人姉妹の中で自分だけ孤児なのではないかと疑ったこともあったが)、なんだかんだ文句を言ったり、難癖をつけてきたりする割に、ミランダの父も母も娘たちの意向を(それが本当に真剣なものならば)通してくれるのだった。


 また、家族のことに関しては、ミランダはもうひとつ悩みがある。今は姉のシンシアも妹のリンジーも家から出ていないが(夏休み中、そのうち帰省する予定である)、姉のシンシアと妹のリンジーは昔から仲が良く、家族の中でいつでも自分だけが「外されている」と感じることだった。姉のシンシアはミランダも高校時代に受けたように、父親から「将来おまえは何になるのだね?そしてそのための準備として今何をしておるのかね?」と問いつめられ――とりあえず彼女は、自分のレベルに見合った地方大学の経済学部に進学を目指し、「MBAを取得したいと思う」と答えたのである。正直、ミランダはそれが姉の本当になりたいものだったとは思わない。ただ、自分がまだ本当に何になりたいかもわからぬうちから、「今から将来のことをちゃんと考えなさい」と至極真っ当なことを言われ……とりあえず「この答えなら親も満足するだろう」と、そう思ったに違いない(また、地方大学へ進学したのは、なるべく早く家を出て、窮屈な両親の支配と抑圧から逃れたかったのだろうと、ミランダとしてはそうした理解である)。


 この点、ミランダは三人の中で常に成績だけは良かったため……特に母親のほうが甘いところがあって助かったとはいえ、その母でさえも「将来はジャーナリストか新聞記者、あるいは物書きになりたい」と言うと、難色を示したものである。けれど、結局のところそれがどこの学部であれ、「ユトレイシア大学卒業」という肩書きさえあれば、娘の将来は明るいと思ったのだろう、願書を出す最後の最後まで、あれこれうるさく言われたものの――最終的には許してくれた。


 そして、妹のリンジー。彼女は父親の秘蔵っ子のようなところがあり、言ってみればダルトン家のアイドル的存在でもある。そして彼女が「将来はパパのお店を継ぎたい」と言った時、諸手を挙げて賛成し、喜ぶかと思いきや、意外なことにはこの頑固な父親はとても強く反対した。「パティシエの仕事は大変だぞ」、「少しうちの店で働いて、その大変さがわかってからにしなさい」と……けれど、リンジーが十時間近い労働にもめげず、「パパの仕事がどんなに大変かわかって良かった。やっぱりわたし、パティシエになる」と言った時――ミランダは父が隠れて泣くところを、生まれて初めて見た。


 もしかしたら父は、姉のシンシアにも自分にも、同じ答えを期待していたのかもしれない……そう思わぬでもない。また、姉のシンシアはMBAを取得後は、父親の店を経営面で手伝いたいと申し出てもいた。そしてこうなると、ミランダとしては自分が所属しているダルトン家から、ただひとり直接関わらない変わり種というのだろうか、何かそんな立場に追いやられている気がして、「本当に自分のやりたいことをやる」という目標を立てているだけなのに、ひどく家族から孤立している感じを受けるのだった。


 しかも父親が、「これでもしミランダが法律家にでもなったとしたら、ダルトン家は安泰だな」と、半ば本気のような顔をして言うため、ミランダとしてはぞっとするばかりである。「ほら、うちの店を何かのことで訴訟を起こすような頭のおかしい輩がいても、法律に詳しい人間が身内にいれば、そう簡単には騙されぬというものさ」と。


 ユトレイシア大学において、<赤レンガ>と呼ばれる建物にある法学部へ進むには、それがどこの学部でもいいが、とにかく四年制の大学を卒業したという卒業証書がまず必要となる。その上で試験を受けて合格した場合においてのみ、さらに四年勉強して弁護士なり検察官なり裁判官なり、法曹界に関係した職業に就く卵になることが出来る……というわけだった。今のところ、ミランダにはさらさらそんな気はないが、かといって、自分の夢であるジャーナリストになれるとも限らず――また、その場合その頃には今以上に家に居にくくなっていると予想されることから、独り暮らしすることを考えなくてはならないだろう。そして、そのためには今から少しずつでもアルバイトするなどして、その資金を貯めておくべきなのだ。けれど、ミランダは頭でそうとわかっていても、なかなか実行に移す気になれないでいた。


『ドイツのバーデン・バーデンって、温泉で有名なとこでしょお?そんなとこで彼氏と一体何すんのよ、エミリー』


『温泉だろうとどこだろうと、することはどこでも一緒よ。ただ、ポールの親戚がその近くでペンション経営してるってことでね。そこが結構素敵なところだから、一緒にいかないかって』


『やだー、うちなんか今年もまたニースよ。もう飽きちゃった。あたしもケイティみたいに、モナコにでも行ってカジノでパーッと遊びた~い!!』


『じゃあ、いらっしゃいよ。ニースからモナコってすごく近いじゃない。あとナタリー、あんたもイビサ島とかサルデーニャとか……大体そのあたりクルージングしてるんでしょ?だったら、みんなで一度ヨーロッパの中間地点で会うってのはどう?』


『それいいっ!超サイコー!!ねえねえナオミ、ナオミもさ、イタリアとかギリシャあたりをルーカスと旅行するんでしょ?じゃあ、一度みんなでどこかで落ち合ってクラブでパーッと騒ごうよ!!』



 ――ダルトン家は、決してお金がないわけではない。むしろ、総資産的には驚くほどあるくらいだろう。ただ、両親ともに倹約家であり、「洋菓子店など、一体いつ傾くかわからん」といった極めて心配性の父が経営者なため、娘たちは三人とも、さして贅沢といったものを知らずに成長してきた。また、ミランダにしてもそうした親の教育方針を小さい頃から「正しい」と思っていたし、特段文句を言おうとも思わなければ、大学まで行かせてもらえるだけでも十分すぎるくらいだと、両親に感謝してもいる。


 けれど、夏休みの間、恋人もなく、どこか外国へバカンスへ行く予定もない……それを寂しいとまで思わないとはいえ、周囲の友人たちの会話を聞いていると、やはり少しくらいは複雑な気持ちになろうというものだった。もっとも、彼女たちはみな育ちがいいため、『家族で国内旅行するだけよ。つまんないわ』と答えたところで――『まあ、たまにはそういうのもいいじゃない』と言って軽く流してくれる程度ではあるのだが。


 その日、自分の部屋の机の前で、つらつらそんなことを考え……我知らず溜息の洩れたミランダは、父が「ユトレイシア大の在学生がバイトに来ている」と言っていたのを思いだし、下の店のほうへ下りていってみることにした。もちろん、相手のことを知らない可能性のほうが高いとはいえ、「どこの学部のなんて名前の学生か」くらいは知っておいても損はないかなと、なんとなくそう思ったのである。


 父親がウェイター、と言ったことは覚えていたが、ミランダはそのバイト学生がきっと女性に違いないと思っていた。というのも、一階の洋菓子店では、小さいながらも喫茶店があり、そちらで店内で購入したものや、あるいはユトレイシア本店でしか提供していないメニューを食べることが出来、いつでもこのテーブルのほうは埋まっていることが多く――大抵の場合、可愛らしい店の制服を着たウェイトレスが、食事の皿を運んだり、あとはその後片付けなどをしていたからである。


「ねえ、母さん。うちの大学のバイト学生ってどの人?今来てるの?」


 煌びやかなショーケースには、色とりどりのケーキ類が並び、店内にはいつでも甘やかな香りが満ちている。ミランダの母はこの時、レジの前で伝票をチェックしているところだったが、「あの子よ」と小さい声で言い、「邪魔にならないようにしなさい」と軽く注意した。


(ふう~ん。なんだ、全然知らない子だわ)


 実際、ミランダは相手の体格のいい青年を一瞥すると、すぐにチョコレート色の扉を出て、エレベーターで上へ上がっていった。ただ、洋菓子店にそぐわない雰囲気を周囲にまき散らす青年だったため――そのせいで妙に印象に残ってはいた。店の売り子の女性などは、ミランダの母と同じくらいの年代の女性でも、どこか可愛らしいような、ふんわりした優しい雰囲気があったりするのに、父が何故彼のような無骨な青年を雇ったのか、少々不思議だったものである(ミランダの父は、それが本店でも他の店舗でも、従業員のことはアルバイトに至るまで、必ず自分が面接するのである)。


 そして、この日からずっと……ミランダはある現象に出会い続けるということになった。まず、どこかへ出かけるのに『シュクラン』の前を通りかかると、渋いウェイター服を来た彼のことが目に入り、その時には(ふうん。頑張ってるのね)と思ったくらいではあった。けれど、コニーの家へ行った帰り道、今度は<Wolt>と書かれたリュックを背負った同一人物を見かけ、驚いたのである。


 この時、彼――アレン・ウォーカーは、自転車に乗り、信号待ちしているところだった。だからミランダは彼のすぐそばまで近づいていき、『シュクラン』のウェイターと同一人物かどうかをしっかり確かめたので、まず間違いないといっていい。もっとも、アレンのほうでは彼女のほうをちらと見るでもなく、信号機が変わるとそのまま煉瓦の道を颯爽と自転車で去ってしまったのだが。


(そっか。あいつ、うちの店で週に何回かバイトする傍ら、時間のある時にはウーバーイーツとか、そういう出前のバイトみたいのも入れてるってことね)


 けれどこの時も、ミランダはアレンに対して、(へえ。感心なのねえ)と思ったくらいなもので、それきりすぐ彼のことは忘れてしまった。ところが、この翌日に図書館へ調べものをしに出かける途中、市電から降りた時のことだった。そのすぐ目の前で道路工事をしていたのだが、そこで「どうぞ、お通りくださ~い!!」などと、警棒を振る同一人物を見かけ……(あいつ、一体いくつアルバイトしてんのよ!?)と、驚いたわけである。


 もっとも、ミランダにしてもアルバイト情報誌については、今まで何度となく目を通したことがあったから、『警備員募集!!週に一回からでもOK!!』とか、『即日払い可!!』といった広告を見たことならあったし、おそらくそうした単発のアルバイトなのだろうとは思われた。


 この時、ミランダは初めて彼に声をかけてみようかとも思ったが――『うちの店で働いてる人でしょ?ユトレイシア大の同じ学生だって聞いたわ。どこの学部?』とでもいったように――けれど、「おい、そこの警備員!ちょっとここらへん掃いとけやあっ!」と、大声で言われているのを見、その時はそこをそのまま通りすぎることにしていた(ちなみに、怒鳴られていたわけではない。単に、工事の音がうるさすぎて、大声だっただけである)。


 さらにこの翌日も、『シュクラン』で彼の姿を見かけ、声をかけようかとも思ったが、とりあえずやめておいた。だが、この日の夜、ミランダがチア部の部員たちとスポーツバーへ飲みに出かけた時……そこでもウェイターをしているアレン・ウォーカーの姿を発見し、ミランダはとうとうカウンターのスツールに座ると、そこでシェイカーを振る彼に向かい、こう怒鳴っていた。


「ねえ、あんたユト大の在学生でしょ!?一体どこの学部よ」


「お客さん、もう酔ってるんですか」


 アレンとしてはこの時、なるべく知らない振りをしたかった。彼はもちろん、ミランダが『シュクラン』の店主の娘であるとまでは知らない。ただ、チア部にはやはり美人が多いため、その中でも彼女はモデルのように背が高く、目立つタイプだったため――アレンはそうした意味でミランダのことを知っていたし、今バスケットの試合を観戦して盛り上がっているのが、アメフト部のレギュラーメンバーとチア部の面々であることも、よくわかっていたのである。


 そして、同じ大学の在学生から「おい、ジントニック作ってくれ」とか、「ハンバーガーとポテト頼むわ」などと、これから注文されて運ばねばならない身としては……まったく知らない振りをし続けたかったといっていい。


「べつに、隠すことないじゃない。あのね、うちのパパ、『シュクラン』の経営者なの。で、同じ在学生が夏休みの間バイトに来てる、まったく感心だ……みたいに言うもんでね、どんな子かなと思って店まで見にいったわけよ。で、そのあとなんの偶然からか、あんたが『Wolt』のリュック背負ってるとこ見かけたり、道路工事前で警備員してるところも見たわ。しかも極めつけが、バーテンダーよ!あんた、一体いくつバイトしてんのよって、びっくりしちゃって思わず今声かけちゃったってわけ」


「怖いですね、お客さん。まるでストーカーじゃないスか」


 アレンはあくまで冗談ぽく言ったつもりだったが、ミランダはムッとすると、他のチア部の仲間たちの元へ戻ることにした。


「何?ミランダ、あのバーテンダーと知りあいかなんか?」


「ううん。名前も知らないんだけど、今、うちの店でバイトしてる、ユト大の在学生なのよ。昼間うちで働いて、夜はここでバーテンダーしてるだなんて大変だろうなと思って……」


「ああ、なるほど。苦学生ってやつね」


「やだ~、カワイソウ~」


 くすくすとケイティたちが笑うのを聞き、ミランダは複雑な気持ちになった。むしろ自分は今、(彼って偉いのね)といった意味で言ったつもりだったのに……。


「それよりミランダ。ブレンダン、先週からフリーになったんだって。彼、前からあんたのこといいって言ってたし、どう?ほら、卒業パーティにエスコートしてくれる人、いないって言ってたじゃん」


「ああ、うん。えっと、ごめん、みんな。ちょっとわたし、急に用事思いだしちゃった」


 ミランダはブレンダンのことを聞いていたので、実は今日、少し気合いを入れてメイクをし、少しセクシーなドレスも着ていた。けれど、急にそうしたすべてが馬鹿らしくなったのだ。


 ミランダは自分でも、(一体あたし、何してんのかしら)とはこの時から思ってはいた。けれど、スポーツバーの裏口あたり、大きなポリバケツからゴミ袋のはみでた、複数の室外機が唸る横あたりで――そこの勝手口からアレンが出てくるのを待つことにしたのである。


 綺麗にマニキュアされた手で、スマートフォンをいじりつつ、一時間ほどもした頃だったろうか。たまたまゴミを出しに汚いドアにアレンが手をかけ、外へ出た時のことだった。


「あんた、もしかして明後日の土曜の夜なんてヒマ?」


「ええと、その日は確か……寮で闇鍋大会があってですね。それまでにはどうにかバイトを終えて帰ろうかと……」


 アレンはびっくりした。ミランダが急に帰ったと聞き、ブレンダンが店の外にまで探しにいったらしいのを、彼はカウンターから見ていたからである。ブレンダン・ワーナーは、金髪碧眼の、紳士然とした雰囲気の青年で、彼は少し前からミランダが卒業パーティのエスコート役を探していると聞き……つきあっていた彼女と別れることさえしていたのである。またこの日、ミランダが到着するなり、彼女がいつも以上にセクシーなのを見て――「ブレンダンがフリーになったって教えたからよ」と、ケイティから耳打ちされてもいたのである。それが帰ったとは!彼が肩を落としてバーに戻ってきたのも無理はない。


「闇鍋大会ですってえ!?」


 ミランダは素っ頓狂な声を上げた。


「あたしだってそりゃあ、一応聞いたことあるわよ。アメフト部の連中の中には、侘しい寮暮らしをしてる選手が何人もいるからね。だけどその日は卒業パーティのある、あたしたちの学生生活の中で一等華やかな楽しい瞬間じゃないのっ。それを、なんでよりにもよってそんな輝かしい日を選んで闇鍋パーティなんかしなきゃなんないのよっ!」


「だからじゃないスかね」


 アレンは訳がわからないながらも、この時、ブレンダン・ワーナーのことを彼女に教えようと思っていた。彼、あなたがいなくなって随分探したみたいですよ、と。


「今はもう夏休みなんで、寮の連中も大方は故郷のほうに帰ってます。けどまあ、俺みたいに田舎へ帰るよりユトレイシアみたいな都会で働いたほうが金になるとか、そういう事情のある奴だけが寂しく寮に残ってるんですよ。で、卒業パーティに参加できるのは、高校のプロムと一緒で、パートナーのいる学生だけですからね。そこにも行けない可哀想な連中の最後の行き着く先が、闇鍋パーティってわけですよ」


「わかったわ。本当は土曜の夜っていったら、時給も少し上がったりするし、あんたとしてはここかどっかで働きたいとこだけど、その侘しい寮仲間との結束のために、わざわざその日の夜は空けといたってわけね。そうなんでしょう?」


「ええ、まあ。そんなとこですかね。そういえば、アメフト部のコーナーバックのブレンダン・ワーナーが……」


 アレンがゴミバケツにゴミを突っ込み、振り返った瞬間のことだった。ミランダは178ある彼女より背の高い、彼の首に細い腕を絡めると――バーテンダーの制服姿のアレンに、キスしていた。


「時間があるんなら、卒業パーティにわたしをエスコートして!レンタルでいいから、それなりの格好をして、五時くらいにはうちに迎えに来なさい。パーティは六時からよ。うちはね、『シュクラン』の上のマンションの503号室。わかったわね!?」


「は、はあ……」


 それが果たして、スーツのレンタル料ということだったかどうかは、アレンにもわからない。ミランダはアレンの着ているベストのポケットに100ドル札を突っ込むと、踵を返して帰っていった。


(わけがわからない……)


 アレンはただ、呆然とした。ミランダが胸ぐりの大きくあいたドレスを着ていたこともあり……赤い唇の感触と、彼女の白い胸の谷間のことだけしか、今はとにかく考えられない。


 結局この時、「おいアレン、客の注文が入ったぞ~!」と、調理員の促す声で彼は中へ戻ったのだが、尊敬し、英雄視もしているアメフト部の面々と軽口を聞くのも楽しく、そのあとの時間は勤務の終わる午前二時くらいまであっという間に過ぎていった。そして、店の掃除もすっかり済ませて寮へと戻る帰り道――(本当にいいんだろうか)と、アレンはあらためて不思議になっていたのである。


 もしこの相手が、ミランダほど美人でもなく、チア部のメンバーでもなかったとすれば、(へへっ。もしかして彼女、俺のことどっかで見かけて好きになったのかもな)などと、アレンにしてもへらへらしながら思っていたに違いない。また、ミランダが『うちのパパが……』と言っていたのもアレンは気になっていた。『シュクラン』の店長は、厳しくて頑固一徹の職人といった雰囲気の、上司としては<いい人>である(実際、面接の時、アレンがいくつもバイトを掛け持ちしていると聞き、彼はしきりと関心していたものだった)。だが、アルバイトとはいえ、自分の店の従業員が自慢の娘に手を出してしていると知ったら――(クビになることはないにせよ、あの物凄い眼でギロリと睨み、居づらい思いをさせられるに違いない)、そう想像しただけで、せっかく雇ってもらった恩義に反することを自分はしているのではないかと……アレンはそんなことが心配だったのである。




 >>続く。






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