弟
──疲れたから考えるのをやめて、一旦休憩にしよう。
しばし思考を停止させていると、侍女数人この部屋へとやって来た。
一人は食事が済んだ後の食器を下げ、残りの侍女は丁寧に私の身体を拭き、寝衣からドレスへと着替えを手伝ってくれる。
「お風呂に入りたい」と訴えてはみたが、夜になっても熱が上がらなければ入れるから、我慢するようにと言われてしまった。
代わりに髪は綺麗に洗われ、いい香りのする香油を付けて、念入りに櫛で梳かして貰った。
髪を乾かし終えると侍女達から、寝室へと続く隣の応接室に待機しているから、何かあればすぐに呼びつけるようにと言われた。
ずっと部屋にいても退屈で仕方がないので、早々に部屋から出たいという気持ちに傾いている。
呼びつけるどころか、部屋を出て行こうとするわたしの後を、侍女達は慌てて追おうとしてくる。
前世の記憶を取り戻したわたしからすると、今までの常識が途端に煩わしく感じられてしまった。屋敷内の散策くらい一人でさせて欲しいものだ。
部屋を出て溜息を漏らすと、わたしと同じ銀の髪色をした弟、アゼルと鉢合わせた。彼も一人侍女を連れている。
「お姉様!体調が戻られたのですか!?」
「えぇ、心配かけてごめんなさいね」
「良かった……僕、お姉様が良くなるようにと、沢山お祈りしたんです」
アゼルがふわりと微笑み、見上げてくる。その姿はまるで天使を彷彿とさせていた。
そしてわたしはアゼルが分厚い本を抱えている事に気付き、尋ねてみた。
「それは何の本?」
「先程書庫で選んだのですが、お姉様も一緒に読みましょう!」
「アゼル様、セレスティアお嬢様はまだ病み上がりなのですよ、ご無理をさせては……」
「あっ……」
しまったと言わんばかりの表情で見つめてくる可愛い弟に、わたしは微笑みかける。
「大丈夫よ」
「お嬢様っ」
「体調が悪くなったら、すぐに自室に戻るから」
「……分かりました、ご気分が優れないようでしたら、すぐにお申し付けください」
しぶしぶではあるが納得してくれたようだ。
心からわたしの事を案じてくれているのが伝わっているので、彼女にお礼を言う。
アゼルはわたしの手を取ると、彼の私室に向かって歩き出したのでそのまま着いて行くことにした。
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部屋に入ると、アゼル付きの侍女がわたしのためにクッションやら膝掛けなどを用意してくれた。
わたしはアゼルから深緑の皮表紙に、金の文字で銘打たれた本を受け取ると、パラパラとページをめくった。
わたしは一応読書好きではあるが、これは初めて読む本だった。
家族揃って読書家であるせいか、アゼルも例に漏れない。今では低年齢層向けの本を自分でもよく読んでいるようだが、一般層に向けて書かれた物を読み聞かせて貰う事にも嵌っているらしい。小さな頃から知識を得る事に貪欲なのは、とても良い傾向だ。
私がもたれられるようにと、ふかふかのクッションを侍女が用意をしてくれたが、発声がしやすいように姿勢を正して読み始める。
内容は冒険譚だった。
声に出して読んでみると淀みなく、驚くほどスラスラとわたしの口から文章が紡がれていく。
ああ、生前の経験がセレスティアにちゃんと受け継がれている。
これだけで、自分が何者なのかという不安が払拭できたような気がした。
前世で声優を目指していた当初のわたしは、初見の原稿を読むのがとても苦手だった。
初見原稿を克服するため、新聞のあらゆる記事を音読したりと、数をこなして慣れさせていった思い出が蘇る。これはラジオの仕事などで、急遽読まなくてはいけなくなった原稿を渡された時など、大いに役に立った。
何毎も経験値は裏切らない。
その後も集中して何ページも読み進めていると、アゼルが口を開いた。
「凄い……」
感嘆するように呟きに、わたしは思わず我に返った。
「え?」
「とってもお上手です……!お姉様のお声はまるで魔法のようですね!僕、お姉様のお声大好きです」
「本当に……わたくしではそのように見事に読んで、お聞かせする事など不可能でした」
「あ、ありがとう」
べた褒めをしてくる二人の言葉は純粋に嬉しくもあり、つい照れて顔を赤らめてしまった。
わたしは容姿よりも何よりも、断然声を褒められるのが一番嬉しい。
更にやる気が出たわたしは、しばらく本を朗読し続けた。