推し活
その日の放課後、私的な用事を済ませてからわたしは帰宅前に図書室へ赴こうと、廊下を歩いていた。
図書室に近付くと、一際目を惹く存在がわたしの視界に現れた。
癖のない真っ直ぐな、薄水色の美しい髪を伸ばし、白の長衣に濃紺のローブを纏った長身の若い教員。中性的な線の細い、端正な面立ちをしている男性であり『エリュシオンの翼』における攻略キャラクターの一人でもある。
その姿が視界に入った途端、わたしは目を見張った。
柔らかく微笑んでくれるその人に、わたしも平静を装って、笑みを返す。
「ご機嫌よう、ネヴィル先生」
「ご機嫌よう、図書室に足を運ばれるのですか?」
「はい。孤児院の子供達へ、読み聞かせをする際に使用する本を、選んでいこうかと思いまして」
「素晴らしい慈善活動ですね。貴女の素敵な声で、物語を聞く事が出来て、子供達も素晴らしい経験となっているに違いありません」
(素敵な声!?あ、貴方こそ……!)
ネヴィル先生は、わたしが声優になる前から大好きだった声優さんがこのレナール・ネヴィルを担当している。
ちなみに乙女ゲーム『エリュシオンの翼』にて、わたしが唯一攻略したキャラクターでもある。魔法研究をしながら、学院の生徒達に魔術について教えてくれている。
「ではご機嫌よう、スフォルツィア嬢。気を付けてお帰り下さい」
「はいっ、ご機嫌よう」
その姿が見えなくなるまで、その背中を見つめ続けた。
──耳が幸せ……、推しがいるって、こんなにも人生に潤いと活力をもたらすのですね……。
両手を自身の胸に当て、しばらく余韻に浸る。
珍しくわたしのトキメキは、収まる気配がない。
前世極度のアニメオタクから、声優にまでもなったわたしである。オタ活のない人生を送るなんて、耐えられる筈がない。
しかしアニメもゲームもない世界で、オタ活をしようにも容易ではない。
いくら二次元キャラだった『エリュシオンの翼』に出てくる男性キャラクター達が周りにいようとも。今となっては、彼らは現実にいる人間であり、もうそれは二次元キャラではない。
そもそもわたしは乙女ゲーユーザーではない。
そして男性アイドルや、男性声優さんのオタクという訳でもなく。
勉強のために気にするのは、女性声優さんの演技であり、男性声優さんはそこまで意識する存在ではなかった。当然素晴らしい演技を目の当たりにしてしまうと、男女問わず尊敬の念を抱かずにはいられない。
尊敬と学びの目で見てしまう存在なのだ。
しかしネヴィル先生の声優さんは別格だった。
好きになったきっかけは『エリュシオンの翼』とは別作品の、わたしの大好きなアニメに出てくるキャラを担当されていた事。
そのアニメは子供の頃にハマってから、自身の人生に影響を及ぼした掛け替えのない作品。そして、生涯好きで堪らなかったキャラ。
そんな生涯大好きだったキャラの声帯をもつネヴィル先生。
わたしにとって、特別な声を奏でるネヴィル先生の存在は、砂漠の中でオアシスを発見したような状況だ。
ネヴィル先生と僅かな会話をして、前世好きだった作品とキャラクターを思い出すという、細やかな時間を楽しみに学園に通っていると言っても過言ではない。
一人孤独に生きるわたしには、これくらいのオタ活は許して欲しい。
「セレス」
一人廊下で思い出に浸っていると、現実に引き戻してくる声がした。
「へっ?」
振り返ると、ステンドグラスから差し込む光に照らされた金糸の髪が、キラキラと眩く輝いている。
「フレデリック様……もうお帰りになっていらっしゃるのかと思っていましたわ」
突然のフレデリック殿下の登場により、虚を突かれてしまったが、何とか言葉を紡ぎ出した。