Act. 07(飽きちゃった)
鼻歌。
焼けた空気。
暖炉の前、
心地よい響き。
影になった彼女の背中
身体を折り曲げ、
前屈み
(白いシャツに背骨のうね)
ぼくは狼。
彼女は雌ライオン。
すっかり骨抜き。
足に捲かれた包帯。
長いソファに寝かされて。
つま先がない。
足首が見つからない。
痛みを感じる場所がない。
(ペイン・ペイン・シャンペ(イ)ン)
(はじける激痛)
見えない傷の(幻覚/ファントム)
痛みの(幻肢/ファントム)
汗と熱と、
(幽霊)
見えない傷が歌い上げる。
(痛みと痛み)
部屋の中に血と軟膏のにおい。
消毒薬のにおい。
(エタノール)
ペディキュア。
「できた」
指と指の間にまるめたクリネックス。
踵だけのよちよち歩き。
「気分は?」
(うん、いいよ)汗。
(ありがとう)熱。
「よかった」
肘掛けに座って、足を伸ばして。
つま先。
吸い込まれそうな黒曜石の爪。
キラキラと、
輝いて。
「どう?」
(きれいだよ)
闇色の爪、
金の粉が散っている(夜空)
まるで(星夜)
ありがとう。
(きみを乗せて街を走った)
(星空の下を駆け抜けた)
遠い
むかしむかしの
おとぎ話。
(ここはどこ?)
「さあ」彼女は肩をすくめる。「紹介された」
(誰から?)
「医者から」
ぼくの処置をしてくれた、
(モグリ)の医者。
「好きなだけ使っていいって」
(大盤振る舞い)
「変なヒト/お医者さん」
(寝ている間に交わされた)
(知らない密約/嫉妬)
ぼくは、きみにとっての、何?
(どうしたの、わたしの狼さん?)
きみは、どうしてこんなことを。
(痛むのね? 錠剤を貰っているわ)
違うんだ。どうしてきみなんだ?
(あなたは何を知りたいの?)
きみの、気持ち。
(呆れた!)
(吸血鬼、天を仰ぐ)
(分かってると思っていたのに!)
言葉にしてくれないか。
(それはしない)
どうして?
(どう答えても、嘘に聞こえる)
嘘をついているの?
(衷心は言葉にならない)
──試して。
(嫌よ)
(だから、信じて)
──分かった。
(彼女、ベッドのそばにしゃがむ)
(優しく頭を撫でる)
分かって。
(ぼくの気分は、うっとりとする)
(指が耳を、頬を、首を滑る)
(肩を撫で、腕に触れて、手を握る)
(思いのほか、力強い)
きみを信じる。
きみを信じるぼくの気持ちを、信じる。
(いい子)
(彼女、笑う)
(かわいい、わたしの狼さん)
(聞いて)
何もかも映画みたいに始まるわけじゃない。
(フィルムは切り張りの世界)
わたしは偶然で不確定の存在。
(だから確定を羨む/望む)
羨望する。
(ここで息をしている)
あなたはここにいる。
(確かな存在)
触れられる。
──これで満足?
うん。
ぼくは満ち足りる。
──ありがとう。
お薬、いる?
うん。いや、いい。
(我慢しないでいいのよ)
(きみに撫でられているほうがいい)
(きみに触れられている/きみを感じられる)
(きみがいる)
(甘えん坊さん)
ぼくは/弱い/狼。
涙、
湧き上がる。
(狼さん、狼さん。そんな大きな身体で、どうしたの?)
──分からない。
彼女が顔を寄せてくる。
ぼくは目を閉じる。
彼女は唇に涙を移す。
(何も怖れることはない)
(あなたは、ここにいる)
(わたしの、かわいい狼さん)
きみの足を触らせて。
無くしたぼくの代わりに。
(頬を彼女の息がくすぐった)
──お望みのままに。
彼女はぼくの手を取って、
自分の足に導いた。
ぼくの(ため息)。
(狼さん、これで満足?)
(もっと・もっと・ずっと)
(大きく望んでいいのよ?)
──きみの望みは?
先を譲るわ。
わたしの親切、
受け取りなさい。
──きみの好きにされたい。
それからしばらく、彼女はぼくを(やさしく)撫でた。
滑る指の感触。
彼女の息。彼女のにおい。
肺を膨らませて。目一杯、深く吸う。
胸の奥で痛みがはじける。
(彼女の手が離れる)
ぼくは目を開ける。
(熱が出てる)
彼女が立ち上がる。
(どこにも)いかないで。
どこにも(いかないわ)
ぼくは訊ねる。
(これからどうする?)
「どうしたい?」
身体を曲げて(ぼくの)顔をのぞき込む。
赤い瞳がぼくを捕らえる。
「わたしたちは追われている」
──そうだね。
長くはない。
──そうだろうね。
でも、
抗うことができる。
──きみは、それを望む?
(彼女、微笑む)
わたし、飽きちゃった。
つまり?
何もかも。
ぼくにも?
いてくれたら、それでいい。
(礼儀とか格式とか)
狼とか鬼とか。
(自尊とか羞恥とか)
いいじゃないの。
(男と女とか)
無駄よ。
──逃げても意味ないわ。
だから、
(どうしたい?)
「この足では、足手まといになる」
つまり、
(ふたりでいる限り)
ぼくたちに明日はない。
彼女は笑った。
嘲笑した。
「理由にならない」
彼女は鼻と鼻をこすり合わせた。
(どうしたい?)
(きみは?)
(質問で返さないで)
(ぼくの足先は?)
(頂いたよ。お蔭で三日も下痢をした)
菜食主義が無茶をなさる。
(食べたのかい)
(いけなかった?)
「いいよ」ぼくは微笑む。「どうせ使い物にならない」
ルール違反は(牢獄から)二度と外に出されない。
(彼女が食べてくれた)
ぼくの足。
胸が震える(歓喜)。
「間に合わなかった」
彼女は泣いていた。
「もっと早くすれば良かった」
いいんだ。
ぼくは手を彼女の髪に絡ませた。
いいんだ、気にしてない。
(彼女の黒髪)
絹のような手触り。
するすると指の間からこぼれていく。
長くはないんだろう?
彼女は答えなかった。
いいんだ。
だから今だけは、
そばにいてくれないか。
このまま
ずっと
時の過ぎゆくまにまに
そばにいて。
「もちろん」
彼女は注射器を手に取って
(アンプル)
ゴムで縛って
(カクテル)
肌を叩いて血管を探り、
(たっぷりと)
肘の内に針を刺す。
(ずっとそばにいてくれる?)
「ずっとそばにいるよ」
(ほどかれる包帯)
(ただれた傷口)
薬液が廻る。世界も廻る。
何度も・何度も・何度でも。
彼女を中心として。
(追憶の連鎖)
だからこれは、終わりない恋。
傷に牙が深く埋まる。
彼女は(毒の混じった)血を啜る。
了
10-22, 95