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第二十二章その2 卒業の日に

 2004年3月18日の木曜日。父さんのような多くの社会人にとっては、年度末であること以外は何てことはない平日だろう。


 だが滋賀県中の中学生にとって、この日付の持つ重みはその比ではなかった。


 校門には『草津市立笠縫北中学校 卒業式』と楷書体で墨字の看板が立てかけられ、いつもとはまるで違った緊張感を放っている。そして体育館には朝から全校生徒と保護者が集まり、厳かな雰囲気の中で卒業式を粛々と進めていた。


 卒業生が涙混じりの『旅立ちの日に』を合唱し、在校生も尊敬する先輩との別れを惜しんで目頭を押さえる。


 そんなマイクを通したアナウンス以外はあちこちで嗚咽が漏れるくらいしか聞こえない式の成り行きを、俺たち吹奏楽部の1、2年生19名は保護者席のさらに後ろで、楽器をそっと抱きながら見守っていた。


「卒業生、退場」


 そして式も大詰め、卒業証書を手に添えた3年生が立ち上がると同時に、俺たちはすっかり冷たくなってしまった楽器に息を吹き込み、演奏を始めたのだった。


 曲はKiroroの『未来へ』。卒業式と言えばこの曲を思い出す方も大勢いることだろう。前半はフルートを中心としたもの悲しい旋律が続き、そこに金管やクラリネットがのっかってメロディーラインを盛り立てる。


 有名な曲だけについ歌詞を思い出してしまうのだろう。この離れた位置からでも、卒業生も在校生も思った以上の人数が涙を堪えているのが見えた。


 そして退場する3年生の中でかつて吹奏楽部員だった生徒は、皆が皆文字通り手を離せない俺たちに向かって手を振ったり、ぐっと親指を立てたりと後輩の演奏を無言でねぎらうのだった。




 その後、生徒たちが一旦教室に帰ってしばらくの間は学校も静けさに包まれていたものの、やがて校庭や校舎のあちこちで丸筒を携えた生徒たちが互いに集まって最後の別れを交わす。禁止されている携帯電話やカメラの持ち込みもこの時ばかりは黙認され、生徒たちはメールアドレスを交換してまたいつか会おうねと級友や後輩と約束を誓っていた。


「せんぱーい、卒業なんて寂しいですー!」


 わんわんと泣き叫びながら、宇多さんがはち切れんばかりの胸を震わせて筒井先輩にばっと飛び掛かる。


「いつまでめそめそしてんのよ、カサキタのトロンボーンはあんたにかかってるんだから、部活頑張りなさいよ!」


 そんな宇多さんをがっしと受け止めて背中をペしぺしと叩く筒井先輩を、俺は別れを惜しむの3割、そこ代わってくださいという願望7割の視線で見つめていた。


 幸いにも昇降口すぐ近くという絶好の位置を確保できた我ら吹奏楽部は、全26人が一塊になって賑やかに最後の時を過ごしていた。フルートの藤田部長もバスクラもパーカッションも、特に各パートの後輩とは涙ながらの挨拶を交わしていた。


「あれ、先輩……」


 そんな中、直属の先輩のいない我ら低音パートのひとり、松子が目を細めながら筒井先輩にじっと近寄る。


「第二ボタンが……無い!」


 そして心臓に最も近い位置、学ランの上からふたつ目のボタンだけがきれいさっぱり外されているのを見て、目をキラキラと輝かせながら叫んだのだった。


「だ、誰にあげたんですか!?」


 あんなに別れの涙を流していた後輩たちも、色恋沙汰の波動を感知してたちまち目を輝かせて一斉に詰め寄る。


「ああ、ちょっと知り合いにね」


 苦笑とともに手で後輩を制する筒井先輩。しかし興味津々な女子生徒たちの圧力には敵わず、一歩二歩と後退させられてしまう。


「はあ、あんたたち、もういっそのこと発表しちゃいなさいよ」


 そんな中で呆れたようにため息を吐くのは、ホルンのぽっちゃり先輩だ。やがて振り向いたぽっちゃり先輩は、こそこそと他の部員の背後に身を隠す藤田元部長をロックオンすると、「ほら藤田」と強い口調で呼び止めたのだった。


「あんたももう観念しなさいって。そのポケットの中のモン、取り出しなさいな」


「うう、意地悪」


 俯きながらすごすごと皆の前に出る藤田先輩。そしてポケットに突っ込んでいた手を取り出して広げると、なんとそこにはカサキタの校章が彫られた金ぴかのボタンがのっかっていたのだった。


「まさか!?」


「マジで!?」


 騒然とする部員一同。以前から仲は良いなとは思ってはいたものの、まさかここまで進展してしまうなんて!


「そういうわけよ」


 あっはっはと笑い飛ばすぽっちゃり先輩。その隣では筒井先輩と藤田先輩、身長差30cm近くのふたりが赤面しながら並んで立ち尽くしていた。




 卒業生がいなくなった学校は、急に火が消えたように静まり返る。きっと彼らはこれからクラスごとに、カラオケだのファミレスだのでお楽しみタイムを満喫するのだろう。


 さすがに今日は在校生も帰宅するのがほとんどだが、俺たちはそうはならない。先輩を見送った後も部室に戻り、それぞれ今日の練習を始めるべく楽器を磨いていたのだった。当面は新入生歓迎の部活紹介、そこで披露する一曲のためだ。


「筒井先輩と藤田先輩が付き合ってたとか」


「羨ましー!」


「でも思い返してみたら、そういう雰囲気前からあったよね!」


 しかしほんのついさっき惑星破壊レベルの衝撃の事実を知ってしまったばかりに、部員たちもそうすぐには浮ついた気分を拭い去れないようだ。やっぱりこの年代にとって、勉強よりも趣味よりも恋愛は何よりも簡単に興味関心を寄せ付ける。


「おうおう、男子はここにいるぞー!」


 手が止まってろくに準備すら進めない女どもにしびれを切らして、俺は汚れたクリーニングクロスをぶんぶんと振り回しながら呼びかける。


 だが直後、一斉に注がれたのは女子からの冷ややかな視線だった。


「砂岡っちはねぇ……友達としてならいいんだけど、付き合うのはノーサンキューって感じ」


「あーそれわかる。筒井先輩なら彼氏にしてもイイなって思うんだけど、砂岡はなんか違うんだよね」


 遠慮なんて言葉はこいつらとは無縁なのか、グサグサと突き刺さる言葉のナイフに俺は「わからないで!」と涙声で訴える。けっこー傷つくよな、こういう言葉って。


 え、ちょっと待って。てことは俺って男としての魅力、オネエ以下なの?


「てか砂岡ってこれから松井を保護するのが目下の人生計画じゃなかったっけ?」


 しれっと言ってのける徳森さんに、俺は「んなわけねーだろ!」と全力の否定で返す。そもそも俺と松子の組み合わせなら付き合うとかそういう段階に入るより先に、漫才コンビ結成して吉本に乗り込む可能性の方がまだあり得るわ。


「大丈夫だよ砂岡ー。砂岡の魅力に気付いてくれる人、きっとたくさんいるからさー」


 だがそこに助け舟を差し出したのは、当の松子本人だった。勝手に俺とくっつく扱いされていても、まるで気にしないといった様子で笑い飛ばしている。


「ホントかよ?」


「ホントだよー。例えばー、そだねー……ええとー……」


「考え込んでまでひねり出さなくていいから!」


 やっぱこいつ、口から出任せ言ってるだけだろ。てか悲しくてマジで血の涙出てきそうなんだけど。


「砂岡くん、今日もキレッキレだね」


 そう言ってふふっと微笑むのは、我が心のエンジェル宮本さんだ。他の部員がおしゃべりに夢中でろくに手を進めていなかった中、彼女はてきぱきとチューバにオイルを挿してグリスを塗り、練習の準備を終えていたのだった。


「そういう誰にでも分け隔てなくツッコミ入れるのって、砂岡くんにしかできないことだと思うよ」


「宮本さん……」


 久方ぶりにかけられる優しい言葉に、俺は思わず涙ぐんでしまいそうになる。褒められているのかそうでないのかはよくわからないが、悪く言われているような気はしない。


「そーだよ、砂岡がいないとこのボケキャラばっかりの部活で誰がツッコミ務めるのさ」


 何事もなかったかのようにしれっと便乗する松子に、俺は「お前がそれ言うか!?」とややきつめの口調で返した。


「アハハ、それもそーだね! というわけで砂岡副部長、3年になっても吹奏楽部のツッコミ役として、お務めよろしくね!」


 今のやり取りがツボに入ったのだろう、徳森さんは腹の底から笑いながらぱしぱしと手を叩いていた。


 そんな部長の反応に他の部員たちも感化されたようで、「砂岡、よろしくねー」だの「先輩のツッコミ、期待してますー」と一斉にまるで心のこもっていない賛辞を贈り始めたのだった。


「おいコラ、お前ら俺の立ち位置何だと思ってんだよ。マジで泣くぞコラ」


「さ、早く手入れ終わらせないとねー」


 俺は再びクリーニングクロスを振り回しながら存在をアピールするが、既に女性陣一同は無視のスタンスを決め込んでいた。


「さ、次の曲の練習、始めよっか!」


 そう言いながらパシンと手を打つ徳森部長に、部員たちが「はい!」と声をそろえて返す。かようにカサキタ吹奏楽部は、俺の意向になどまったく耳を傾けることも無く新年度に向けて歩み始めたのだった。

参考音源


『旅立ちの日に』

https://www.youtube.com/watch?v=57URIDLV0tA


『未来へ』

https://www.youtube.com/watch?v=2zDuVELpsW0

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