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第二十一章その3 アルカイックホールの朝

「でっか……」


「さすが関西、建物がオーラ放ってるわ」


 そう言って目の前の建築物を見上げる8人の内、俺と宮本さんのふたりは朝イチとは思えないほどぐったり疲れ切った表情を浮かべていた。まさか本番前夜に酔っ払いの世話をするハメになった中学生なんて、全国どこ探してもうちだけだろうな。


 今日はいよいよ関西アンサンブルコンテスト本番。会場であるここアルカイックホールこと尼崎市総合文化センター大ホールは近畿地区でも有数の規模を誇る劇場で、1820席と守山市民ホールのおよそ1.5倍の収容能力を擁している。


「出番早いからね、楽器の準備は手早くね!」


 館内に入った俺たちはロビーの一角に楽器ケースを並べ、念入りに手入れを進めていた。ここまで来ると音出しはチューニング室でしかできないので、せめてしっかりとオイルを挿してピストンの動きが少しでもスムーズになるよう備えておくばかりだ。


「みんなー、応援来たよー!」


 丁寧にピストンオイルを塗っている時のことだった。突如、つい力が抜けてしまいそうな声が聞こえ、金管八重奏の面々が一斉に振り返る。


 見ると私服姿の松子がぱたぱたと手を振りながら、こちらに駆け寄ってきていた。その後ろには工藤さんやたくちゃんらカサキタ吹奏楽部のみんなも続き、「せんぱーい!」や「徳ちゃーん!」と俺たちに呼びかけている。


「皆の者、よくぞ参られたー!」


 徳森さんがばっと両腕を広げたところに、小走りの松子が「マイハニー!」と軽く飛び込んだ。楽器があるので加減していたが、なければ全速力で突っ込んでいっただろう。


「そりゃ来るよ、あたしらにとっても初めての関西大会だからね」


 工藤さんはふんと鼻息を鳴らして答えた。


 草津からここまで来るには相当早起きしなければならなかったはずだ。にもかかわらず部員全員が来てくれたのだから、これ以上にありがたいことはない。


「そうだ江口、クラスのみんなから」


 そう言いながらバッグに手を突っ込むのは江口さんと同じクラスのバスクラ奏者だ。やがて彼女はサイン色紙を取り出すと、目の前の江口さんに差し出したのだった。


「はい、応援の寄せ書き! 本番頑張れってさ!」


「ほ、ほんとに!?」


 思わず手渡されたプレゼントに、江口さんはわなわなと震える。そして感極まったのか、つーっと頬に涙を一筋垂らしたのだった。


「おいおい、本番前から泣くんじゃないよ」


「す、すみません。でも私、こうやって応援されるの……初めてなんですよ……」


 すかさず入れられた松子の突っ込みに、江口さんは眼鏡をはずしてごしごしと目をこする。たくちゃんも「えぐっちゃん、意外と涙もろかったんだな」と驚き顔だ。


 だが和気あいあいとしたこの時間も、厳粛に運営されるコンテストは多目に見てくれなどしない。


「笠縫北中学、チューニング室へ移動してください」


 スタッフであるボランティアの高校生が俺たちに声をかけ、「もうそんな時間?」と徳森さんは腕にはめた淡いピンクカラーのBABY-Gを覗き込む。


「じゃあウチら先にホール入っとくから、本番頑張ってね!」


 ここでもたもたしていると他の団体にも迷惑がかかる。松子たち11人は名残惜しさを醸し出しつつも、俺たちの元からすたすたと歩き去ってしまったのだった。


「おう、また後でな!」


 そんな仲間たちに向かって、俺たちは手を振って応えていた。


 チューニング室に入室すると、大きな部屋のあちこちで数人ごとに集まって最後の音合わせを行っていた。ここは本来ならひとつの大きなリハーサル室であり、今日のような順々に演奏する形式のコンテストでは複数の団体が時間をずらして入室しながら同時に利用するのが一般的だ。


「えっと、私らはこっちだね」


 部長に誘導されて、俺たちは所定の位置まで移動する。


「エミ!」


 それはあまりにも突然だった。周りの楽器の音を押しのけて、突如誰かが名を呼んだのだ。


 下の名前にエミが付く子は、この中で一人しかいない。はっと顔をひきつらせた宮本さんは、愛用のチューバをぎゅっと抱え込みながらゆっくりと振り返る。


あやちゃん……」


 宮本さんの口からぼそりと漏れる。


「久しぶり!」


 話しかけてきたのは、うちのブレザーとは違う紺のセーラー服を着て、右脇にホルンを抱え込んだ女の子だった。


 きりっとした顔立ちの、すっと背の高い子だ。まっすぐに宮本さんを見つめるその目は、いかなる偽りも見逃さないという正義感に満ちていた。


「あんた、転校先でも吹奏楽続けてるみたいだね」


 相手の背丈に合わせるためか、その少女はすっと腰を曲げて顔を近づける。


「う、うん……」


 こくんと頷きながら答える宮本さん。不安そうな彼女の声に、俺はつい一歩、前に出て身構えてしまった。


「良かった!」


 ほっと安堵したような声。


「私、あんたが今でもチューバ吹いてるって知れて安心したよ! やっぱりエミのチューバが耳になじんでるんだもん、また聴けると思うと嬉しいよ!」


 へへへと笑うホルン奏者の少女に、宮本さんの表情からも緊張が抜けていった。代わりに明るさと笑顔が宿り、本番前とは思えないほど嬉しそうに「うん!」と返したのだった。


「じゃ、そーいうことでー。今日はお互い頑張ろうねー!」


 相手も貴重な時間を割いて話しかけに来たのだろう。同じ制服の金管楽器を抱えたグループの元にせこせこと急ぎ足で戻る。


 そんなかつてのバンド仲間の背中を見送る宮本さんの表情かおは、憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。


「砂岡くん」


 そして不意に呟いたかと思うと、泣きたいのか笑いたいのか、とにかくいろんな感情が爆発しそうな顔をこちらに向けたのだった。


「私、やっぱりここまで来られて良かったよ!」


 その後、音合わせを済ませた俺たちは舞台袖まで移動する。ステージではちょうどふたつ前の学校の演奏が終わったところで、団体の入れ替わりが行われていた。


「続きましては大阪市立天満並木中学校、金管八重奏。曲は『テルプシコーレⅠ』」


 アナウンスがなされ、拍手が鳴り響く。そこからしばらくの静寂の後、明朗で軽快な金管の響きが聴こえ始めたのだった。


「うまいね」


 見事な演奏を間近で聴いて、徳森さんもぽろりとこぼす。さすが関西金の実力校、一音一音が色づいてきらきらと輝いているようだ。ゆったりとしたパートとアップテンポでの緩急の付け方も巧みで、奏者それぞれが適した吹き方を使い分けている。


「うまいなぁ。でも俺たちもこれくらいできるぞ」


 だがすぐに俺がそう返したのが予想外だったのか、徳森さんはぶっと小さく吹き出し、宮本さんも笑い声をあげたいのを耐えて口を押さえた。


「砂岡先輩、随分と自信満々ですねぇ」


 トロンボーンの宇多さんがへえーっと感心したようにこちらを向く。結構度胸が据わっている性分なのか、彼女はこの空間でも1年生とは思えないほど普段と変わらぬ様子を保っていた。


「こんな時に弱気になってどうするよ。俺の演奏が一番じゃーい、って厚かましいくらいの勢いでいかないと飲み込まれちまうぞ」


「一理あるね、私らも滋賀の代表でここまで来たんだからさ。言ってるのが砂岡って点がやけにムカつくけど」


 そう言いながら笑いを堪える徳森さんを、俺は「うーわイジメッ子の理論!」と指さして非難した。


「じゃあみんな、自信もっていこ! これが私らの音楽だ、くしゃみなんかしてないでちゃんと聴きやがれコノヤローって感じでさ」


 大きな声は出せないので、自分たちだけに聞こえるボリュームで、しかし強く言い放つ徳森さんに、金管八重奏のメンバーは「おう!」と気合を入れて声をそろえる。


 やがて天満並木の演奏が終了し、ホールでは再び拍手が鳴り響いた。


「それでは笠縫北中学の皆さん、ステージまで移動してください」


 スタッフに声をかけられ、整列した俺たちはしゃんと背筋を伸ばす。そしてまっすぐ一列になったまま、脇幕をすり抜けて2000人近くが見守る舞台の上へと歩み出たのだった。




参考音源

『テルプシコーレⅠ』

https://www.youtube.com/watch?v=xTkfVmxNTWk

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