第二十一章その1 本番前夜の
2月10日。翌日に建国記念の日を控えてはいるとはいえ、ほとんどの中学2年生にとっては何らの特別な意味も持たない単なる平日の水曜日に過ぎないだろう。だが俺たち吹奏楽部にとっては、この日ほど気が気でない1日は無かった。
明日はいよいよ関西アンサンブルコンテスト本番。当日の出番が午前の早い時間なので、放課後は家に帰らず、会場のある尼崎まで一足早く乗り込んでホテルで1泊することになっているのだ。
「砂岡ぁ、ちゃんと着替え持ってきた? パンツ入れ忘れてない?」
登校したその日の朝から、同じクラスの松子はしきりに俺に話しかけていた。お泊り用に持ってきたいつもより2回りほど大きなリュックにちらちらと目を遣りながら、心配に眉をハの字にする。
「大丈夫だって。まったく、母ちゃんみたいなヤツだな」
「トランプとUNOも入れた? 夜とか退屈しない?」
「修学旅行じゃねーんだぞ!」
教室では終始こんな感じだ。近くに座っていた男子が「お前らってカレカノってより、10年くらい経った夫婦って感じだよな」と言ってのけたが、こんなんと添い遂げるとか金もらってもご免じゃい!
そして放課後の練習を済ませた後、俺たちは先生の車に楽器を詰め込む。そこからは金管八重奏メンバーだけで草津駅まで向かい、東海道本線を下ってJR尼崎駅まで移動したのだった。
「ここまで来ること滅多にないなぁ、大阪なら結構用事あるのに」
すでに夜を迎え、仕事帰りのおじさんが行き来する尼崎駅南口のロータリーに降り立った俺たちは、先生に渡された地図を見ながら周囲の看板を確認する。お、あのホテルが見えるからこの位置で合ってるみたいだな。
今日はこの近くのホテルに宿泊し、翌朝バスで会場であるアルカイックホールこと尼崎市総合文化センターまで移動するというのが俺たちの段取りだ。
「ホントにもー、会場は駅前だよって聞いたから今日の内に一目だけでも見ておこうと思ったのにさ。まさかJRじゃなくて阪神電車とか思わなかったし」
「ここらへん、私鉄が多いからややこしいんだよね。私もよく阪神だったかな、阪急だったかなってこんがらがってたもん」
ぶつくさと文句を垂れる徳森さんを宮本さんが宥める。
草津では電車と言えばJRしか通っていないので、生まれてからずっと草津に住んでいる彼女らは縦横無尽に張り巡らされた路線図を見ると閉口してしまうそうだ。一応付け加えておくと、滋賀県内でも大津には京阪電車が、湖東地区には近江鉄道が走ってるから鉄道がスカスカってわけではないぞ。
その後、先生の地図を頼りに駅近くのビジネスホテルまでたどり着いた俺たちは、フロントでチェックインを済ませてそれぞれの部屋に向かった。女子たちは2、2、3人と分かれて3部屋を利用するそうだが、唯一の男子である俺にはシングルルームをあてがわれていた。修学旅行でも大部屋だし、かなりの贅沢だよ。
ずっと背負っていたリュックを外した俺は、解放感からベッドにぼふんと座り込む。そして普段自分の使っている畳ベッドとはまったく違ってスプリングで身体が沈み込み、そして反動で跳ね上がる。もし俺が小学校低学年だったら、狂喜乱舞してトランポリン遊びに興じていたところだろう。
「ん?」
着替えのジャージを取り出すため、リュックに手を突っ込んでいた俺は、触り慣れない妙な感触にぴたりと動きを止める。そして指先に触れるそれを何だろうと引っ張り上げると、なんとリュックの中からUNOのパッケージが飛び出してきたのだった。
「松子だな、余計なことしやがって」
こっちは本番前でさっさと休もうって思っているのに。その時、部屋の扉が突如ドンドンとノックされ、俺は「ん?」と顔を上げた。
「砂岡ー、いるー?」
ぶっきらぼうに投げかけられるのは、徳森さんの声だ。
「どしたー?」
備え付けのスリッパに履き替え、俺はドアをガチャリと開ける。
「へっへっへ、来ちゃった」
真っ先に目に飛び込んできたのは、不敵ににやつく徳森さん……いや、それだけではない、後ろには宮本さんに江口さんにと、金管八重奏の全員がまるで部長に付き従うように、いたずらっぽく笑って立っていたのだった。その中の何人かは、お菓子やジュースでぱんぱんに膨らんだコンビニの袋を引っ提げている。
「者ども、突撃ぃ!」
徳森さんの号令とともに、女子7人がわっと部屋になだれ込む。
「おいお前ら、何しやがる!」
抵抗の隙などまったく無かった。慌てて飛びのいた俺の脇を駆け抜けた女性陣は、それぞれベッドや椅子に腰かけ、我が物顔で部屋を占領する。
「いやあ私の部屋さ、隣がてっしーだから騒いだらすぐばれるんだよなー」
「砂岡くん、ごめんねー」
「先輩、UNO発見しました! 早速やりましょー!」
せっかくの男の城は、たちまち姦しい空間に一変する。だがこれは予想もできたこと、対策を取らなかった俺が悪い。吹奏楽部における男子のヒエラルキーは、水たまりのミジンコと同レベルなのだ。
やがて始まったUNO大会に、俺も混じって8人でベッドを取り囲む。元々シングルの部屋なので室内はぎゅうぎゅう、女子部員は隣同士肩を密着させているが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。
「おりゃ、リバースー!」
「あ、次来ると思ってたのに!」
「あーあ負けちゃったー。こりゃ次で取り戻さないと」
「おいおい、明日本番なんだからさっさと切り上げろよ」
とか言いつつ、俺もいっしょにカード配っちゃう。
しばらくの間、俺たちはきゃいきゃいとゲームに没頭する。だが真剣になりすぎたのか、熱中してどれくらいの時間が過ぎたのか感覚を失った頃、部屋の空気を切り裂くように徳森さんが「あ!」と叫んだのだ。
「もうコーラ無くなってる!」
空っぽになった1.5リットルのペットボトルをつまみ上げ、目を細める徳森さん。そして彼女はふうとため息を吐くと、カードを置いて立ち上がったのだった。
「ちょっくらコンビニまで買いに行ってくるわ。たしかホテルの向かいにあったし」
「じゃあ私も」
「私も」
部長の一言を皮切りに、他の部員も続々と立ち上がる。さすがにこの部屋の人口密度も窮屈に思えてきたのか、少し歩いてリフレッシュしたい気分だったのだろう。てかまだ続けるのかよ、このUNO大会。
「砂岡ー、お土産に有料チャンネルのカード買ってこようか?」
「いらんわ!」
あっはっはと笑いながらバタンと扉を閉めるご一行。彼女らがいなくなった途端、部屋はシーンとした静けさに包まれる。
「まったくもう」
ようやく一段落つけるな。俺はだらんと肩を落とし、やれやれと振り返る。
が、次の瞬間、俺は「うえ!?」と今年一番の変顔と汚い叫びを晒してしまったのだった。
「ははは、行っちゃったね、みんな」
マジで心臓が口から飛び出すかと思ったよ。そりゃそうだろ、振り返ったその先に、苦笑いを浮かべた宮本さんがひとりベッドに腰かけたままたたずんでいたのだから。




