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第二十章その5 彼女の秘密

 松子の手を借りつつも、俺は宮本さんを背負って1階の保健室まで無事に運ぶ。


 養護教諭はぐったりした宮本さんを見るや否や、すぐにベッドに寝かせた。そして宮本さんの小さな身体に白一色の布団が被せられるのを見届けると、俺はようやくほっと一息吐くと同時に、肩から背中、腰にかけて経験したことの無いような鈍い痛みが身体を走ったのだった。


「ふたりとも大変だったでしょ、しばらくここで休んでなさい。こういう時はね、一緒にいてあげるのが一番元気になれる方法なのよ」


 そう言い残して先生はシャーっとカーテンでベッドを隠すと、つかつかとその場を離れる。俺と松子はベッド脇の丸椅子に腰を下ろし、何も言わずぼうっと揺れるカーテンを眺めていた。


 宮本さんの発作もだいぶ収まったようだ。自分の足では立つこともできないほど荒れていた息も落ち着き、すうはあと一定のリズムを取り戻している。


 5分と経たず、宮本さんは俺たちと話ができるほどにまで回復した。


「砂岡くん、松子ちゃん、ごめんね」


 合わせる顔も無いとはまさにこのこと。ベッドで仰向けになった宮本さんは、布団を目元まで上げて隠した。


「いいよいいよ、元々あんまし調子良くないところにいきなり取材とか、緊張で余計身体悪くなるよな」


 気にしなくていいよという気持ちを伝えるため、俺はぶらぶらと手を振って返した。


「ううん、そうじゃなくて……」


 だが宮本さんは再び布団を少しだけ下ろすと、目だけをじっとこちらに向ける。


「私がテレビに映ったら、前の学校の子らも見るだろうなって……そしたら急に体が言うこと聞かなくなっちゃって」


「天満並木中のこと?」


 身を乗り出して松子が尋ねる。宮本さんは無言で頷くと、しばし間を置いて続けた。


「私、前いた部とはろくな別れ方してなかったからさ。今度アンコンに出る金管八重奏のホルンの子なんだけど、1年の時にその子と一悶着あってね」


「喧嘩? みやぽんが珍しいね」


 俺も松子も目を丸めた。基本的に穏やかな宮本さんのことだから喧嘩になりそうな場面では我を出すことはせず、自分自身からすっと身を引くタイプだとばかり思っていたよ。


「そんなことないよ、言い争いなんてしょっちゅうだし。大抵は1日2日も経てば互いにくだらないことでムキになってたなってどうでもよくなるんだけどね」


 苦笑いを浮かべながら、彼女は布団をようやく顎の下まで下ろす。


「でもあの時は違った。その子、小学校の頃から私と同じ吹奏楽団に入っていっしょにやっていたから、すっごく仲良かったんだよ。実は私、中1のコンクールで3年生押しのけてコンクールメンバーに選ばれたんだよね。で、その後すぐに流れたんだよ。私が先生に裏で色んなことやって、贔屓にしてもらったって噂が」


「え、ひどい!」


 松子が珍しく声を荒げる。


「その時ね、その子は宮本は絶対そんなことするはずないって、噂の出所を調べてくれたんだよ。そしたら噂を流したのが、当時の2年生グループって突き止めちゃってさ……」


 俺も松子も何も言うことができなかった。詳細は語られなかったが、大方は後輩の選出を妬んだ上級生があることないこと言いふらしたのが発端だったであろうことはすぐに想像がついた。


「私、その子からこの事実をみんなに知らせて犯人を懲らしめようって勧められたんだけど、部の雰囲気をこれ以上悪くするのが嫌で、何もしないことにしたの。でも気付いたら、いつの間にか噂がもっともっと大きくなって、その子ともお互いにギクシャクしちゃって……バカみたいだよね」


 ははっと渇いた笑いを漏らしながらも、宮本さんはふっと顔を俺たちとは反対の方向に逸らす。


「お父さんの仕事で滋賀に引っ越すことになったのはホントに幸運だったよ。あそこに残ってたら私、もう何もかもイヤになってたかもしれない。とりあえず夏のコンクールは終わらせたけど、その次の日の打ち上げにも顔出せなかったし……みんなに部に対する不信感だけ植え付けて、ろくに別れの挨拶も済ませていないんだよね」


「みやぽん、そんなことあったんだ……」


 松子がいつにもなく神妙な面持ちで呟く。大変だったねと同情の一言でまとめるには、あまりにも重すぎたようだ。


「でも宮本さん、そんな別れ方したのなら、どうして金管八重奏のメンバーにそのホルンの子がいるって知ってんの?」


「うん、今でも仲良かった何人かとは時々連絡取ってるから。でも私の話題を出すのは部ではタブーみたいになってるみたいで、その子も私のことは絶対に話したがらないみたい」


「向こうは知ってる? みやぽんがアンコンに出ること」


「カサキタの名前は出してないから、多分知らないと思う。けどいきなりテレビに映ったりしたら、きっとみんな動揺するだろうね。あいつ、まだ吹奏楽続けてんのかって」


 自嘲するようにそう言いながら宮本さんは寝返りを打つと、完全にこちらに背を向けてしまった。


 このままアンコンに出場すれば、彼女は確実にそのホルンの子と再会してしまう。それも本番直前というタイミング、演奏に影響が出ないわけがない。かと言って今さらメンバー変更などは不可能だし、そもそもカサキタでチューバを吹けるのは宮本さんだけだ。


 結局残された道は、宮本さんが出場する他に存在しないのだ。


 何と声をかければ良いのやら。昂る感情に俺は思考が追い付かず、ただ「うーん」と唸ることしかできない。


 だがその時、俺の隣に座っていた松子が不意に立ち上がる。そしてベッドに倒れ込まんばかりにぐっと腰を折ると、宮本さんの片手をつかみ上げ、その大きな両手でそっと包み込んだのだった。


「ま、松子ちゃん?」


「みやぽん、ウチ嬉しいよぉ。みやぽんがウチらのこと心配させないようにって辛いことずっと秘密にしていたこともだし、こうやって全部話してくれたこともさぁ」


 ゆっくりと、優しい声で松子は話し出す。その様子はまるで、子供を抱いた母親のようだった。


「みやぽんがどんな想いをしてきたかなんて想像することしかできないし、いくら考えたところで100パーセント理解できるなんて思えないよ。でもねみやぽん、ウチらは何があっても絶対にみやぽんの傍にいるから、その点だけは安心してね」


 唖然とする宮本さん。だがしばらく松子が見つめているうちに気恥ずかしく感じたのか、その頬がほんの少し緩むのを見て、俺は「ああ、安心しなって」と乗っかった。


「あっちが何か言ってきても、俺たちが何とかする。それにこっちにはカサキタの狂犬、徳森部長もいるんだし、向こうからちょっかいかけてくることも無いよ」


「誰が狂犬だ、誰が」


 その時、しゃーっとカーテンレールを引く音とともに、ドスの利いた声が俺の背後から放たれる。


 俺は冷や汗をだらだらと垂らしながら、ゆっくりと首を後ろに回す。そこにはなんと、我らが徳森部長がこめかみをひくつかせ、あからさまな作り笑いを浮かべて俺を見下ろしていたのだった。


「宮本もだいぶ良くなったっぽいじゃん。全体合奏はさっき撮影した分だけでなんとかなるみたいだけどさ、金管八重奏はどうしたい? とりあえず7人でもできるけど?」


 心配しつつもちょっと挑発するように、徳森さんは宮本さんに話しかける。


「わ、私もやりたい!」


 意外にもさっきの松子に励まされたのだろうか、ずっと横たわっていた宮本さんはがばっと上体を起こす。


「そう、なら良かったー。でもまだ無茶はすんなよー」


 にっししと白い歯をおおっぴらにして笑いかける徳森さん。この遠慮の無い振る舞いも、徳森さんというキャラだからこそ許されているのだろう。


「あ、それと砂岡ー」


 直後、彼女は石像のように硬直していた俺に、ぎらっと妖しい眼差しを向ける。


「後でみっちり話聞いてあげるからね。覚悟しときなよ」


 口は災いの元。このことわざがいかに真理を突いているのか、この時ほど実感したことは無い。

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