第二十章その2 ウチの耳は誤魔化されへんでぇ?
2月を迎え、琵琶湖にほど近いこの草津も寒の極みに突入する。こんな気を抜いたらすぐに風邪をひいてしまいそうな寒さの中、私立高入試や公立の推薦入試を目前に控えた3年生は遠目からでも常にピリピリしており、中には緊張でほとんど寝られていないのか目に大きなクマを作っている先輩もいた。
だが関西アンサンブルコンテスト本番まで2週間を切った俺たちも、真剣度合では決して受験生にも負けてはいない。3月の合同演奏会の『風紋』ももちろんだが、金管八重奏の『もう一匹の猫「クラーケン」』についてはもう一段ギアを入れる。
そんな放課後、いつものように金管八重奏の面々が音楽室で練習をしていた時のことだった。
「皆さん、タイムテーブルが届きましたよ」
A4サイズの紙束を持って、手島先生が部屋に入ってきたのだ。すぐさま俺たちは練習を中断して先生の元にわっと駆け寄る。
配られたのは2月11日、本番当日のタイムテーブルだった。チューニング室の利用や舞台袖で待機など、当日の動きが分単位で定められている。また出場各校の演奏順と曲目も記されており、そこに居並ぶ錚々たる顔ぶれに、俺たちカサキタ金管八重奏が滋賀県代表に選ばれたことの重みを改めて感じるのだった。
「俺たちの出番、午前になったのか。こりゃ前日からの宿泊確定だな」
「いやったぁ、みんなでお泊りー!」
「なんだか修学旅行みたいですね」
前日は平日だから、放課後練習を済ませて夕方電車で移動するのだろうか。そうなると男子は俺一人だから、ホテルは俺だけで一室使うことになるのかな?
「金管八重奏、もういっこありますね」
演奏曲目を見て、宇多さんが何気なく口にする。たしかにカサキタのひとつ前の学校も、俺たちと同じ金管八重奏だ。
「え?」
だがその直後、紙面を眺めていた宮本さんが小さく驚きの声をあげたのだった。
「宮本、どうしたの?」
すぐに徳森さんが尋ねるものの、宮本さんは「ううん、何でも!」と笑顔で返す。
少々違和感は残るものの、彼女のことだから大したことないのだろう。そう思った俺は、気にもとどめることなく改めてタイムテーブルに目を落としたのだった。
その後、練習を再開した俺たちは、少し疲れたので休憩に入った。
こうも寒いと催すまでの間隔も短くなる。トイレに向かうため、俺は音楽室を出て廊下をつかつかと急ぎ足で歩いていた。
「砂岡ー」
ちょうどその時、通りかかった松子が声をかけてきたので俺は「おいっす」と顎をしゃくらせて返した。
いつもなら何かしら反応してくれるところだろう。だが今日の松子は俺の不意打ちギャグなんぞ眼中にすら無いといったようで、「ねえ、なんかみやぽん調子悪い?」と尋ねてきたのだった。
「え、どうして?」
「なんとなくチューバの音に力が無いねぇ。いつもより不安定な感じがする」
「そう……かな、やっぱり」
さすがは松子、俺は気のせいかなと思っていたのだが、こいつの耳は誤魔化されなかったようだ。
「昨日までは……いや、さっきまでは良かったのに、いきなり芯がぶれてしまったって感じだよ。ねえ砂岡、きっかけ何かありそう?」
「うーん、わかんねぇなあ……」
顎に指をあてて考え込むも、心配そうに顔を近づける松子の期待に沿えるだけの答えが浮かばない。頭を回転させて今日の出来事を思い返す。
「あ、そういえばこれ配られたぞ」
そういえば、と俺は学ランの胸ポケットに納めていた1枚の紙を引っこ抜いた。
「なになに?」
「関西大会のタイムテーブル」
「見せて見せて!」
俺と松子は横に並び、A4の紙をぱらりと広げる。みっちりと書かれた文字と図で少し読みにくいが、先ほどカラーマーカーを入れておいたので重要な項目に関してはすぐに目についた。
「カサキタはここかぁ。さすが関西大会、有名どころばっかりだね!」
「だろ? 特にこの2つ後の学校、去年のコンクールで全国金取ったとこだぜ」
大阪府や兵庫県の強豪校を多数抱える関西支部は、全国でも有数の吹奏楽激戦区だ。それはアンサンブルコンテストでも同じで、俺たちにとっては雲の上の全国常連校がずらりと名を連ねている。
「あれ? この学校……」
その時、松子が大きな瞳をぱちぱちと瞬きさせる。
「どーした?」
「うん、このカサキタのひとつ前に演奏する大阪市立天満並木中学ってさぁ、たしかみやぽんが前にいた学校だよ」
「マジで!?」
俺はぎょっと声をあげ、慌ててタイムテーブルを読み直す。たしかにカサキタのひとつ前、しかも俺たちと同じ金管八重奏で、天満並木中学と名前が記されている。
「うん、合宿で部屋いっしょだったときに話してくれたんだよー。なんかロマンチックな名前だから覚えてた」
えへんと鼻を高くする松子。くそ、ちょっと負けた気分だぞ。
「そんな話、宮本さん全然しなかったな」
「わざわざ教える必要も無いからねぇ。みんなに要らない心配させるのもイヤだと思うしさ」
「そうか……もしかしたらこれ見て不安になってるのかもな」
「だよだよ、きっと明日になれば調子も戻ってるって」
「だよなー」
そう言い合っている内に緊張が解けたのか、俺はようやく尿意が極限まで達していることを思い出す。
まずい、これはかなりヤバい。俺は「じゃあな!」と松子の手からタイムテーブルを奪い返し、一目散に男子トイレへと走って向かったのだった。




