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第二十章その1 課題曲の当たり年

 アンサンブルコンテスト県大会が終わって数日後のことだった。


 ホームルームで帰りの挨拶を済ませた途端、俺ははやる気持ちを抑えつつ小走りで部室へと向かう。そして部室の扉を開けるなり、楽器のケースを開けて準備を進めていた部員たちの前に立つと「みんな聞けー!」と大声で注目を集めたのだった。


「うっさいなぁ、どーしたのさ?」


 ちょうど部室に入ってきた松子が扉の近くで耳を押さえる。


「ふっふっふ、お前ら喜べ。今年もいよいよあの季節がやってきたぞ」


「季節? 左義長さぎちょうのこと?」


「違うわ! ……てかサギチョーって何だよ?」


 後で知ったことだが、広島出身の俺には「とんど」て言ってくれたら意味伝わったよ。え、どっちも聞いたこと無い? そういう皆さんは、気にせずスルーしてほしい。意味を知っていようがいまいが、ここから先の展開でまったく問題はないのだから。


「でさあ、砂岡っち何かあるなら早く言いなよ」


 アルトサックスを磨いていた工藤さんが呆れたように言う。3月の合同演奏会で披露する『風紋』のため、貴重な練習時間を無駄にしたくないのだろう。


 その冷ややかな視線を受けてこれ以上引っ張ってもイライラさせるだけだと確信した俺は、「刮目して見よ、じゃじゃーん!」とカバンから取り出したものを高々に掲げたのだった。


「CD?」


 沈黙に包まれる部室で、クラリネットの1年生がじっと目を細める。そう、俺が手にしていたのは一枚の未開封のCDケースだった。


「それ、もしかして今年の課題曲の参考演奏!?」


 そんな中で一番に食いついたのはチューバの宮本さんだった。部室後方の低音パートが座る位置で、彼女は楽器にオイルを挿す手を止めて目を輝かせていた。


「課題曲? マジで?」


「先輩、聞かせてくださいよ!」


 CDの正体を知るや否や、部員たちの態度が豹変する。全員が楽器を置き、ぞろぞろと俺の周りに集まった。


「いいだろー? まだ聞いてないから、早速みんなで聞こうぜ!」


 得意になった俺はケースを包み込んでいたフィルムをはがし、指揮台の近くに置かれていたCDラジカセに『2004年度全日本吹奏楽コンクール課題曲参考演奏』と書かれたディスクをセットする。


「小編成だし、ウチらが吹くことは多分無いだろうけどねぇ」


 松子の自嘲気味な一言を「いいじゃんいいじゃん」と遮り、俺は再生ボタンを押した。


 夏の吹奏楽コンクールにおいて、Aの部に出場する団体は課題曲1曲と自由曲1曲の2曲を演奏することになる。課題曲は年度ごとに5曲が指定され、昔は外国人作曲家の既存の曲を使用していたこともあったそうだが、近年は日本国内の作曲家が新たに書き上げた作品がほとんどだ。


 この課題曲についてはプロに作曲を依頼することもあれば、作曲賞として広く一般に公募されることもある。そのためプロの作曲家が仕上げた一曲に混じって、アマチュアの学生が作り上げた渾身の一曲が、ともに並んで課題曲に選ばれるといったことも珍しくはない。


 そうして指定された課題曲は毎年1月、このように参考演奏のCDやスコアが発売される。この時期、吹奏楽マニアの間でノーベル賞や直木賞の発表と同種の興奮が漂うのは毎年のことだ。


「じゃあ一発目、課題曲1番は……『吹奏楽のための「風之舞」』だってさ」


 これで『かぜのまい』て読むみたいだな。しばらくして聞こえてきたのは、クラリネットの低めの響き。追従するように中低音やフルートも混じり、やがて荘厳なシンバルやトランペットのサウンドが混じって一気にカタルシスが解放される。


 その旋律は実に和風。日本独自の陰音階を主として構成されているのだろう、力強さの裏に寂しげの漂う音運びは、柔和なフルートの音色が聞こえてもまるで篠笛が演奏しているのではと勘違いしてしまう。


「何これ、めちゃくちゃかっこいい」


 耳を澄ませていた松子がぽかんと口を開いて固まる。今俺たちの練習している『風紋』と同じ和風の曲調だが、しかし『風紋』が雄大な自然の美しさだとしたら、『風之舞』は常に激しく吹き荒れる大風を思い起こさせる。


 途中で曲のテンポが一段落しても、メインとなる旋律は残したままだ。同じ音を楽器や調を変えて繰り返すのは広く見られる構成だが、マンネリになりやすい。だがこの『風之舞』はその特徴的な旋律のため、元の面影を残しながらダイナミックにアレンジできる。一回聞けば誰でもフレーズを頭に刻み込めるほど、印象的な曲だった。


「いきなりレベル高いね。みんなこれ選ぶんじゃない?」


 トランペットの主旋律に魅入ってしまったのか、徳森さんが右手の人差し指から薬指までを上下に動かしながら楽しげに言い放つ。


「編成とか得意不得意もあるからどうかはわからんよ。それじゃ次、課題曲2番『エアーズ』」


 力強さに溢れたまま演奏を終えた『風之舞』。その後から聞こえてきたのは、細く柔らかいグロッケンの響きだった。


 そこにフルートのソロが交わり、クラリネットものっかってと出だしから音色の美しさが際立っている。


 やがて紡がれるのは、木管を主体とした穏やかで優しい旋律。それもただ単に優しいというだけでなく、内に秘めた力強さを感じさせるのは、音を伸ばさず意図的に短く切ってしまっているせいだろうか。


「え、何これ?」


「やばい、泣けそう」


 感受性の強い一部の部員が、次々と目頭に指を触れさせる。涙腺を刺激する旋律とは、まさにこの曲のことだったか。


 だが実際に曲を聴けば、その理由もすぐにわかる。明るくももの悲しい、1度聴いただけでスッと入ってくる鮮明なメロディーライン。映画で運命的な再会シーンなんかに流したら感動を3倍増しに、いやそれ以上に引き立ててくれそうだ。


 途中で金管の力強い音色が加わったりスネアドラムの連打があったりと曲の雰囲気は頻繫に変わるものの、基本的に最初から最後までどこか憂いを内包している。だがその情緒は決してマイナスな感情ではなく、乗り越えたからこそより一層強くなったかのような、良い意味での寂しさや悲しさと表現できょう。


 まさに卒業式にぴったりな曲だ。新たな決意を胸に抱いたその翌日、朝の光に包まれながら聴くのが最高かもしれない。活力に満ちた1曲目の『風之舞』とは180度違う、繊細ながら内側から前を向いていこうという気分が湧いてきそうな曲がこの『エアーズ』だ。


「やべえ、今年の課題曲大当たりだわ」


 曲が終わったと同時に、心を持っていかれていた俺は思わず口に漏らしてしまう。


 まだ最初の2曲を聴いただけだというのに、部員たちはすでに確信していた。今年の課題曲はとんでもなくハイレベルだと。


「俺、吹くなら『風之舞』がいいなー」


「えー、私はダントツ『エアーズ』。アルトのソロ吹きたい」


 そして自然と始まるどの曲が一番良いかの熱い議論。自分が演奏するわけでもないのに、どの課題曲が1番良いかで盛り上がれるのは吹奏楽部ならではの光景であり吹奏楽に関わる者しか味わえない楽しみ方だ。


 コンクールでAの部として出場するには30名が目安であるため、現在19名の俺たちにとっては少々ハードルが高い。だがそれでも良い曲を聞いてそれを吹きたいと思うのは当たり前の感情だろう。

参考音源


『吹奏楽のための「風之舞」』

https://www.youtube.com/watch?v=SlXzCm-YMJY


『エアーズ』

https://www.youtube.com/watch?v=B2MOfJAmK8s

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