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第十九章その4 とりあえず今は音楽がしたい!

「続きましては守山市立守山中央中学校、クラリネット四重奏。曲は『ブエノスアイレスの春』」


 アナウンスと同時に、ステージ上に楽器をかまえた4人が姿を見せる。その凛々しくも優雅に舞台上をつかつかと歩く様を目にして、大ホール内の出演者はとても自分たちと同じ中学生とは思えずごくりと唾を呑み込んだ。


 アンサンブルコンテスト滋賀県大会の会場は、幸いにもカサキタからも近い守山市民ホールだった。今日、このホールに予選を通過した県内各地の中学生が集まって、それぞれ自分たちにできる最高の演奏を披露するのだ。


 やがて守山中央の4人が舞台上の椅子に腰かける。地区予選で中学生離れした名演を吹き上げた彼ら彼女らは、県大会でも金賞の最有力候補であり、同時に関西大会に最も近いチームと言えた。


 1stクラリネットの合図とともに、4本のクラリネットが奏でられる。鳴り始めたのは場末の酒場で流れるような、倦怠感にも似た恍惚さえ呼び起こしそうなおしゃれな調べだった。


 工藤さんらの『パッション』がふっと湧き上がる衝動的なエネルギーにあふれた情熱だとしたら、こちらはもっとしっとりとした大人っぽい、どことなく官能的な雰囲気とも表現できるだろう。タイトルの通り「春」というよりは、個人的には木枯らし吹く大都会といった印象を受ける。


「上手いね」


 隣に座って小さく呟く宮本さんに、俺は無言のまま頷いて返す。


 寸分の狂いも見せず、細かく音を重ねるクラリネット。1本1本が実に力強く、それでいて連動するように正確にリズムを刻んでいる。それは楽譜通りに吹くという技術面はもちろん、抑揚の付け方やほんのわずかに音の長さを変えるといった表現においても卓越していた。


 演奏が終わった瞬間、会場はたちまち大喝采に包まれる。まだアンコンが始まって間もないのに、すでに関西大会への切符が1枚、持っていかれてしまったようなムードだった。


 そこからしばらく複数の団体の演奏を聴いていたものの、守山中央の演奏を超える学校はなかなか現れなかった。


 やがて自分たちの出番が近付き、カサキタの面々は金管八重奏だけでなく他の生徒らも含めてすっと立ち上がる。


「みんな、頑張ってきてね!」


 ロビーでケースを開いて楽器の準備に取り掛かる俺たちに、口々に声をかける仲間たち。俺は「モチのロン」と親指を立てて返した。


「そうだ、せっかくだしみんな円になってよ!」


 チューニング室に向かう直前、まだ時間があるからと藪から棒に松子が提案したので、「そりゃいいね!」と徳森さんが乗った。


 うちのボスがやると言うからには断るという選択肢があるはずもなく、俺たちは通行の邪魔にならない奥まった壁際でこそこそと円陣を作る。100人近くが集まる名門校とは違って人数が少ないので、こういうことができるのは小規模部活の良いところだな。


「それじゃあ音頭は部長の徳ちゃん、よろしくお願いしまーす」


 発起人がやるんとちゃうんかい! だがそんな松子からのキラーパスを、徳森さんは「いよし!」と快く引き受ける。


「みんな準備はいいかー! 取るぞ金賞、いや……」


 そこまで言ったところで部長が頭を振る。そしてにかっと会心のスマイルを改めて見せつけると、声高らかに言い直したのだった。


「絶対いくぞ、関西大会!」


「おーっ!」


 ステージに立つ者も立たない者も、19人が雄叫びとともに気合を入れる。


「大きく出たねぇ」


 円陣が解けた途端、松子は少し驚いた様子で口にする。


「そりゃ私ら押しのけて出てるんだもん、関西くらい行ってもらわないとマジ呪っちゃうからねー」


 そこに工藤さんがけらけらと笑いながら付け加えた。


 ここから俺たちはチューニング室で最後の20分間を使い、音程を整えた後に1度だけ通しで『もう一匹の猫「クラーケン」』を合わせる。もうここから先は喚こうが足掻こうがやり直しは効かない。もうどうにでもなれ、の精神だ。


「続きましては笠縫北中学校、金管八重奏」


 ついに来たか。舞台袖で静かに待っていた俺たちは、宮本さんを先頭にステージのライトの下に進み出る。


 手元には楽譜も譜面台すらも無い。指の動き、タイミング、気を付けるポイントはすべて体が勝手に動いてくれるくらいに練習を重ねてきたんだ。


 観客からの拍手の音も、心なしか張りつめている気がする。やがてホールがしんと静まり返ったところで、宇多さんはかまえたトロンボーンを1回軽く上に振って合図を送った。


 地面の底から込み上げるように、力強く奏でられるバストロンボーンの低い刻み。そこにユーフォとホルンの中低音が乗っかり、さらにトランペットが高らかに鳴り響いて音楽の始まりを告げる。


 よし、出だしは完璧だ。カサキタの金管八重奏は軽快な旋律とともに始まった。


 この曲の題材は飼い猫だ。何をするにもオーバーなアクション、人間の迷惑も知ったこっちゃないと、自由奔放に家で過ごす猫を音楽で表さなくてはならない。そんな猫ちゃんの気まぐれな振る舞いを、トランペットの軽やかな音色とトロンボーンの合いの手で表現する。


 その裏ではかつて部内で一番下手だった江口さんが、ホルンの柔らかな音色を会場に響かせる。この数か月での彼女の成長っぷりは、まるで二次関数を描いているかのようだった。


 そしていよいよ、ユーフォのながーいメロディーライン。ユーフォにとってはこの曲一番の難所であると同時に最大の見せ場であるだけに、何小節も前から心臓の鼓動の高鳴りを感じながらも直前に大きくブレスをとってマウスピースに吹き込んだ。


 柔らかく包み込むような響きが持ち味のユーフォだが、今演奏しているのはいつ何をしでかすのかわからない活発な飼い猫だ。力強いタンギングを交え軽快に、それでいてのびやかに吹き上げる。


 練習で指摘されたことをひとつひとつ思い出しながら吹いている最中、俺は頭の片隅ではまるで別のことを考えていた。


 決して目の前の演奏に集中できていなかったという意味ではない。自分自身でも不思議になるくらい、自分の音や仲間の音がよく聴こえ、まるで傍らに立つ第三者のように思えたほどだ。


 考えていたのは、これからの自分自身のこと。どういう巡り合わせか転校先の弱小校がほんのわずかな期間で力を伸ばすそのタイミングで吹奏楽部に加わり、去年に負けず、いや、去年以上に真剣に音楽と向き合っている自分がいる。進学先も勉強と吹奏楽、両方の充実した学校を希望しているのは、去年の自分からは想像もつかなかった。


 しかし目指すところは私立の難関校。受験対策は必須であり、部活と両立するとなればとんでもなくしんどいことは容易に想像がつく。部活でも副部長の責務を果たすとなれば、今までと同じように順風満帆に事を進められるかは未知数だ。ここからの1年間、楽しみより不安の方が圧倒的に大きい。


 でも、だからと言って手を抜いたりは絶対にしない。ここまで吹奏楽にのめり込んでしまった俺が、吹奏楽を離れることなんて考えもつかない。どんな辛い状況にあっても、きっとそれは変わらないだろう。


 だから俺はこれからも音楽とともに歩んでゆく。3年になって受験やら何やらあるけれど、とりあえず今は音楽がしたい!


 金管8人の音が揃い、後を引かせずフィニッシュを決める。一瞬の静寂の後、会場のあちこちから盛大な拍手が俺たちに贈られた。


 一礼しても、ステージから引っ込んでも拍手はなおも続いている。自分たちではよくわからないものだが、相当の出来だったようだ。


「みんなー、最高ー!」


 楽屋裏の廊下まで来たところで、徳森さんが溜まりに溜まっていた感情を爆発させる。それをきっかけに他のメンバーも「いやったああ!」や「あーりがとーぅ!」など各々ワケわからん叫びを声にしたのだった。

参考音源

『ブエノスアイレスの春』

https://www.youtube.com/watch?v=WZ_sV8vPxFk

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