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第十九章その2 最高のクリスマス

 12月24日のクリスマス・イブ。終業式の後、待ちに待った冬休みの到来にカサキタのほとんどの生徒が午前で家路に就いていた。


 だがアンサンブルコンテストを明日に控えた金管八重奏にとってはここからが本番だ。音楽室にこもって最後の追い込みを行なっていた俺たちは、みっちり手島先生の指導を受けながら練習に没頭していた。その練習は休まるところを知らず、陽が沈んでもなお続いていた。


「うーん、すみませんもう一回。トランペットがちょっと走りがちです」


 どこまで詰めても詰めても気になるところは止めどなく表れるので、常に楽器を吹いていないとまったく気が落ち着かない。ここまでくると何時に帰れるかなど、すでに誰も気にしていなかった。


「たーだいまー」


 その時、音楽室の扉が開き、松子と工藤さんが姿を見せる。


「お弁当、買ってきたよー」


 明日のステージに立たない松子と工藤さんも俺たちのサポートのために残ってくれている。今も遅くまで残る俺たちのため、夕食をスーパーまで買いに行ってくれていたのだった。


「わぁ、ふたりともありがとう!」


 スーパーのロゴが入ったビニール袋を目にした途端、金管一同はようやくお腹が減っていることを思い出す。ずっと真剣にチューバをかまえていた宮本さんの表情からも、久方ぶりに緊張が抜け落ちていた。


「気にすんなよ、たまにはこういうクリスマスもいいもんじゃん」


 ふたりが手近な机の上にどさっと袋を載せるなり、俺たちは楽器を置いてわっと群がる。


「はい、徳ちゃんが幕の内弁当で、みやぽんがカルボナーラだよね」


「ほんで江口がちらし寿司で、宇多っちがから揚げ弁当ね」


 袋から取り出した夕食を、松子と工藤さんがメンバーそれぞれにテキパキと手渡す。


「で、砂岡はこれね。何でもいいって言ってたから」


 そして最後、松子はイッヒッヒと魔女みたいな笑いを浮かべながらビニール袋ごと俺に押し付ける。その表情から一抹の不安を感じ、受け取るや否や袋の中を覗き込む。そしてすぐさま、俺は松子と工藤さんを、じっと睨み返したのだった。


「ああ、たしかに何でもいいって言ったよ……でもなお前、よりにもよってうまい棒15本と赤飯おむすび3個って、どういうチョイスだよ!?」


 しかもご丁寧に無料のガリとお醤油まで付いて。


 クリスマスうまい棒の破壊力に、あっはっはと俺以外の金管パートの爆笑が湧き起こる。そんな中、松子と工藤さんはしたり顔をこちらに向けて高らかに話した。


「砂岡知らないの? うまい棒をオカズにご飯を食べるという日本伝統の食べ方だよー。たしかコーナイチョーミって言うんだっけー?」


「しかもそのうまい棒、全部味替えてるもんね! 贅沢な気分に浸れるよ!」


「喉がパサパサになるわ!」


 どこの世界にクリスマスイブにうまい棒で腹を膨らませるヤツがいるんだ?


 その後、俺はうまい棒5本とおむすびをさっさと平らげ、そこからもう2時間ほどさらに練習を続ける。そしてさすがにもう帰らないとと警備員のおじさんに苦言を漏らされ、俺たちは本番前最後の練習を終えたのだった。


 ちなみに残ったうまい棒10本は、部員みんなで1本ずつに分けて持って帰ることにした。




 翌日、地区予選会場である守山市民ホールに自転車で到着した頃には、手島先生はすでに駐車場に車を止めていた。前日に積み込んでおいた楽器を車から降ろし、ロビーの一角でケースを開いて準備を整える。


「皆さん、あとは全力投球ですよ。自分たちはできるんだって、思いっきり吹いてきてください」


 楽器の手入れを済ませた俺たちに、手島先生が激励を贈る。今日はステージには立たないものの、白のブラウスに黒のロングスカートといつものコーディネートに加えて真珠のネックレスを首にかけているおかげでさらに煌びやかに映った。


 その時、俺たちの脇を他校の生徒が通り過ぎてチューニング室へと向かう。その制服でどこの学校かを気付いた俺たちはたちまちあっと固まってしまい、そして一瞬の間を置いて通り過ぎた彼らの背中を慌てて目で追ったのだった。


 湖南地区の名門、守山中央だ。今年も夏のコンクールでは大編成であるAの部で関西大会に出場し、『イギリス民謡による行進曲』と『歌劇「トゥーランドット」より』で銀賞を勝ち取るなどその実力は折り紙付き。


 編成はクラリネット四重奏だろう、B♭クラ3本にバスクラリネットを抱えた生徒がつかつかと歩き去っていく。強豪校の制服をまとっているせいもあるだろうが、彼らは実に堂々としており、まるで気迫の時点で他の生徒とは一線を画しているように思えた。


「みんな上手そうですね」


 トロンボーンの宇多さんが気弱にも漏らす。アンサンブルコンテストに立てるのはいわば各校の選りすぐりだ。学校で一番上手いパートが来てると言っても間違いではない。


 ほんの些細な出来事だが、本番直前に気落ちしかけるカサキタの金管八重奏。こういう普段とは違う精神状態の時って、ちょっとしたきっかけでハイになったり沈み込んだりするから厄介だよな。


「みんなー!」


 だがちょうどそのタイミングのこと。聞き慣れた声が耳に届き、俺たちは一斉に同じ方向へと顔を向けたのだった。


「おおーい!」


 松子に工藤さん、たくちゃんに木管の子たち。なんと応援に来てくれた部員たちが、ぞろぞろと小走りでこちらに駆け寄ってきたのだ。


 ざっと見たところ、部員ほぼ全員が来てくれている。みんな世間ではクリスマスだというのに。


「行ってやれ県大会!」


「絶対勝ってこないと一生恨むからねー!」


「皆さん、兄ちゃんも頑張れって応援してくれていますよ!」


 部員たちからのエールを受けて、消沈しかけていた俺たちも「ありがとう!」と元気を取り戻す。


 そうだ、俺たちは何もステージの8人だけで音楽を作り上げているわけではない。ここに至るまでに競い合った部員たち全員の想いを受け継いでこの時を迎えているのだ。


 本番中も、俺たち8人の後ろでみんなが見守ってくれていると思えばなんとも楽な気分になれた。このチューニング直前で仲間の声を聞けたことは、俺たちにとって最良のスイッチだった。


 その後俺たちは別室でチューニングを済ませ、楽屋口から舞台袖へと移動する。そして毎度毎度緊張感を誘う薄暗い空間で、静かに自分たちの出番を待っていた。


「続きましては笠縫北中学校、金管八重奏。曲は『もう一匹の猫「クラーケン」』」


 アナウンスが鳴り渡る。楽器をかまえた俺たちは8人で顔を見合わせ、無言のままひとりひとり互いに視線を交わす。そして最後に、全員が全く同じタイミングで頷き合ったのだった。




「うーん、もうちょっと真ん中寄せられる?」


 わいわいと人の行き交うホールのロビーで、横一列に並ぶ俺たち金管八重奏の面々に向けて工藤さんがくいっくいっと手でサインを送る。先生から頼まれたのだろう、彼女のもう片手には「笠縫北中学校」と印字されたテープの貼られたデジタルカメラが握られていた。


「おいおい、これ以上になると結構辛いよ」


 俺の肩に他の部員の身体が密着する。特に左から押してくる徳森さんはやけに体幹が強いので、こっちの方が押し退けられてしまいそうだ。


「あ、砂岡くんごめんね」


 その時、左隣から申し訳なさそうな声が聞こえ、俺は反射的に「気にしなくていいよ!」と自分でも気色悪く思えるくらいに爽やかな声を返してしまったのだった。


 うん、窮屈でも隣が宮本さんなら全然オッケー。むしろ今この瞬間に宇宙の時間が停止して、永遠にこの状態になってくれって願っちゃう。


 だがそんなSFチックな珍事は起こるはずもなく、フレームに収まったと見るや工藤さんは「うんオッケー!」と指でマルを作った。


「じゃあみんな、さっき言ったポーズね」


 工藤さんがカメラの液晶画面を覗き込みながら、俺たちにレンズを向ける。それと同時に、金管パートの8人は一斉に前へと一歩踏み出したのだった。


「ゴールド金賞、とったどー!」


 周りの迷惑も顧みない大合唱。部長の徳森さんに至っては両手で表彰状を広げて見せびらかしている。その喜びの声を盛り上げるかのように、カメラマンの後ろに立った松子や先生らカサキタ応援団も大音量の拍手を贈る。


「いやー、去年出ていなかったのにまさか金賞なんて驚いたよ」


 松子が感慨深げに腕を組んで何度も頷く。このアンサンブルコンテスト地区予選では出場校には金賞か銀賞が授与され、金賞を獲得した団体は1月中旬の県大会に進出する。


 これで俺たちの冬休みはおじゃんになってしまったも同然だが、上の大会に進めるという喜びと名誉に比べればどうってことなかった。


「にしても金賞って良い響きだね。たくさんいるってのは知ってるんだけど、一等賞って感じがしてさ」


 徳森さんは手に持った賞状を何度も読み返しながら得意げに話す。発表の際は銀賞と混同しないようにゴールド金賞と告知されることが多いが、そのおかげか単に金賞と聞くよりもデラックス感が上乗せされている気がする。


 そういえば、今年のコンクールは小編成の部での出場だったのでもらえたのは優秀賞だったな。これまで常に地区予選で落ちていたというので、ゴールド金賞は夏のコンクール、冬のアンサンブルコンテストを通してもカサキタ史上初めての快挙だろう。


 そう考えると俺たち世代はカサキタ吹奏楽部の歴史に、またしても大きな足跡を残してしまったということになるのだろうか?


「はっはー、最高のクリスマスプレゼントじゃのう!」


「砂岡くん、方言出てるよ!」


 宮本さんがぎょっと目を剥く。あまりに嬉しくて、つい本性がぽろっと表れてしまったようだ。

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