第十八章その4 無情なるオーディション
「それではこれより、アンサンブルコンテスト出場者を決めるためのオーディションを行ないます」
土曜日の部室、部員の前に立った手島先生がいつも通りの笑顔をこちらに向けながら話す。だが顔は平静を保っているものの、そのからいつものふわふわとした柔らかさは失われており、代わりに堅く重苦しい気分が込められていた。
いつもとは違う先生の声色に、部員たちも緊張の色を隠せないようだ。朝からずっと口数少なく黙り込んでいる子に、反対にやたら饒舌になってくだらない冗談をまくしたてる子、時間ギリギリまで練習に打ち込んでいる子など、全員普段とは様子が違っていた。
今日は手島先生以外にも、ヒマじ……いや、ユーフォ奏者の大久保さん、そしてもうひとりすらっと背の高い男性が前に立っている。あの人はたしか、大久保さんと同じく手島先生親衛隊の一員で、パーカッション奏者だったかな?
「審査は私と大久保さん、東さんの3人で行ないます」
大久保さん、それから東さんと呼ばれた男性が「よろしく」と挨拶する。おふたりとも、お忙しいのに来てくださってありがとうございます!
「順番はくじ引きで決めます。1グループずつ呼びますので、代表の方は順番に引きに来てください」
そう言って手島先生はA4コピー用紙がちょうど5束入るサイズの段ボール箱を改造した、手作りのくじ引き箱を抱え上げた。ご丁寧にでっかいハテナマークまであしらわれている。
徳森さんがくじを引いた結果、俺たちの演奏順は最後となった。そして注目のサックス三重奏は最後からひとつ前、つまり俺たちの直前だ。
「最後って、おいおい」
最初と最後以外ならオッケーだったのに。メンバーは口々に部長のクジ運の無さを非難する。
「しゃーないじゃん!」
歯を剥いて怒鳴り返す徳森さん。その間にもすべてのグループがくじを引き終え、最終的な順番が決定したのだった。
部員全員が音楽室に並んで座り、1グループずつ前に出て演奏を行う。それを聞いた審査員3名がそれぞれ所見を書き残し、全員の演奏が終わったところで話し合って代表を決めるそうだ。この最後の話し合いが終わるまで、生徒たちは悶々とした時間を過ごさなくてはならない。
観客はよく見知った部員とはいえ、一発勝負という本番さながらのプレッシャーに奏者は晒される。舞台に立つならこの程度の緊張くらい打ち勝ってみせろという意味も込められているのだろうが、やる側にとっては心臓バクバクものだ。演奏前にみんなの前でチューニングを合わせても良いということだけが、せめてもの救いだろうか。
「それでは最初のクラリネット4重奏からお願いします」
生徒の後ろに机を並べて腰掛ける審査員の中から、先生が指示を出す。その声に従い、クラリネットパートの全員が「はい」と楽器を持ったまま立ち上がった。
そこからは各グループの演奏が続いた。
曲の制限時間は5分。本番ではこれを1秒でもオーバーした時点で、いかに見事な出来であろうが失格となる。そのため時間いっぱいギリギリまで使う曲の場合、一部をカットしたりテンポに気を使うなど奏者は工夫を強いられるのだ。
演奏が終われば拍手が鳴り響き、奏者は皆の前からさっと撤退する。そして審査員がせっせとメモを取り終えたところで「ありがとうございました。では次のグループ、準備してください」と指示が出ると次の奏者たちが立ち上がるのだった。
「ではサクソフォン3重奏、お願いします」
「はい!」
いよいよ工藤さんら我が部のサックス奏者が席を立つ。これまでの奏者らが軒並み緊張でびくびくとしている中で、彼女らの振る舞いは実に堂々としていた。
早くから3人で合わせとてつもない練習量を積んできた自信の表れだろう、まるで勝利を確信しているかのようにゆったりとしており、それでいて瞳には力強い光が宿っている。
演奏前のチューニングも一発で決まる。これは先生たちにとっても好印象だろう。そして再び全員がリードを咥え、工藤さんの合図で3人が同時に息を吹き込んだのだった。
合わせにくい一発目から、3人が3人とも実に正確に細かい音符を刻む。そこから続くハーモニーも、丁寧にピッチを合わせて美しく響いていた。この中では最も低い音を奏でるバリトンサックスがリズムを作り、そこにテナー、アルトが次々と乗っかって曲の旋律を紡ぎ出す。
まだ始まってほんの少しなのに、すでにこれまでの部員とはレベルの違う演奏を見せつけていた。
そして出番を待つ俺たちは、彼女らの100点満点と言える演奏に唖然と聞き入ってしまっていた。完全に打ちのめされてしまった気分だ。
気が付けばサックスの演奏が終わる。フィニッシュを決めた途端、部室では本日一番の盛大な拍手が沸き起こっていた。その拍手に応えるように、立ち上がったサックス隊は深く頭を下げる。
「ありがとうございました。では金管八重奏、準備してください」
「は、はい!」
呼ばれた途端、俺はガタっと椅子を揺らして立ちあがった。トランペットやチューバは他の編成でも演奏しているが、ユーフォはこれが本日初にして唯一の出番だ。
金管パートの8人が前に出る。11名の部員と審査員3名の視線が注がれる中、俺たちはチューニングを合わせた。
やっぱり俺、ちょっと低くなってるな。管を少し挿入し、音の高さを調整する。
いよいよ運命の時だ。出だしは冒頭から刻みの入るトロンボーンの宇多さんが身体を振って合図を送り、チューバの低音に乗って『もう一匹の猫「クラーケン」』の演奏を始めたのだった。
トランペットの高い響きと中低音の重なり合い、それらがクレッシェンドで盛り上がりを演出したところで、甲高いトランペットのメロディーが鳴り渡る。ここまではOKだ、ミスと言える場所はどこも無い。
トロンボーンもホルンも、受け継いだメロディーをきれいにこなす。同じ旋律であっても吹く楽器が違うだけでここまで印象が異なるのは、演奏する側にとっても面白い。
そして途中のながーいユーフォのメロディー。ここは他の楽器も少ないので俺なりに表情豊かに、緩急をつけながら歌うように吹き上げる。
ややテンポが落ちた気はするが、この曲は元々3分少々と思ったよりも短いのでタイムオーバーということにならないのはラッキーだ。短すぎるのも評価が難しいので問題だが、その意味ではこの曲はちょうど良い長さと言えるかもしれない。
やがて俺たちは曲を吹き終える。音楽室に響く拍手が耳に届き、危うく楽器を落としてしまいそうになるほどがっくりと肩から力が抜ける。
「お疲れ様でした。皆さんよく頑張っていましたね」
俺たちがそれぞれの席に戻ったところで審査員席の先生が立ち上がり話し出したので、部員たちは振り返った。
「それではこれから話し合いを行ないます。皆さんは呼ばれるまで音楽室に入らず、部室で待機しておいてください。練習をしていてもかまいませんが、呼ばれたらすぐに戻ってきてくださいね」
「あー解放感。もう俺、今日はここから動かない」
座り慣れた部室の椅子で、俺はだらーんとたれかかっていた。大きくのけぞって首を後ろに折っているおかげで、顔は天井に向けられている。
「砂岡、練習しないのー?」
そこにひょっこりと顔を覗かせて、松子が尋ねた。
彼女の言う通り、仮にここで落とされてアンコン出場を逃そうとも12月中旬の駅前ショッピングモールクリスマスイベントへの出席は変わらない。なのでそこで演奏する『イン・ザ・ムード』の練習はやっておかないとダメなのだが、どうも気分が乗らず俺は「うーん」と唸って返す。
「今の精神状態じゃ練習しようって気も起きないよ」
「まぁその気持ちわかるよぉ。ウチも今とても次の練習なんて気が起きないもん」
そう話しながら松子は1枚ティッシュペーパーを広げ、俺の顔の上にふわっとかぶせる。ちょうど棺に納めるまで、故人の顔にかぶせる打ち覆いのように。
「……て、何しやがる!」
不意打ちに俺は息でティッシュを吹き返し、むくっと上体を起こした。
「いやぁ砂岡の顔見てると白い布かぶせたくなって。でも布が無いからティッシュにしたんだ。色は違うけど、クリーニングクロスの方が良かった?」
「もっとイヤじゃい!」
俺はより強く反論する。それ、お前の松ヤニとか浸み込んでるだろ?
「お待たせしました」
そんなくだらないやり取りをしていたまさにその最中、部室の扉がガラッと開かれて手島先生と男性2名の審査員方が現れる。散らばっていた部員たちは素早く自分の席に座り、部室はたちまち静まり返ってしまった。
「皆さん、本日は本当にお疲れさまでした。どのグループの演奏も大変に素晴らしく、私たちの話し合いもなかなかまとまりませんでした。なので皆さん、ここで選ばれなかったとしても決して気を落とさないでください」
先生の言葉に、部員一同が耳を傾けていた。落ちる人の方が多い厳しいオーディションだ、全員が結果に神経を尖らせているのがひしひしと伝わる。
「それではこれより、アンサンブルコンテストの出場グループを発表します」
俺は知らず知らずのうちに、両手の指を絡め合って強く握りしめていた。もう自分たちの演奏を信じるしかない。
「代表は」
ああ神様。どうか……。
「金管八重奏です」
呼ばれた瞬間、俺は近くの宮本さんや宇多さんと「え?」と顔を向け合った。
一瞬の沈黙が部屋を包む。だが少しの間を置いて、松子がぱちぱちと拍手を打ち始めると、我に返ったパーカッションや木管パートの生徒たちも堰を切ったように俺たちに拍手を贈ったのだった。
「おめでとう!」
「金管、頑張ってね!」
口々に激励の言葉を投げかける部員たち。
自分たちも出たかっただろう、悔しいだろう。だがそんな心中をまるで悟られまいとするように、必死の笑顔を向けて俺たちの選出を祝っていたのだった。
「みんな、ありがとう! 本番頑張るね!」
徳森さんが立ち上がり、喜びで今にも泣き出しそうなのを必死で堪えながら手を振り返す。ホルンの江口さんも仲の良いバスクラの1年生から拳を突き出されて気合を入れられていた。
一方の俺は達成感よりも安堵の方が大きく、情けなくも力が抜けてへなへなと椅子から身体をずり落としてしまっていたのだった。
よ、よかったー。正直サックス三重奏を聞いた時はもうダメだと思っていたから、この結果は予想外だよ。
ふうっと大きく息を吐いたところで、ようやく顔を前に向ける。そこで視界に入ったのは、呆然とした顔でこちらに目を向けて固まるアルトサックスの工藤さんの姿だった。




