第十八章その2 衝撃の演奏
市民音楽祭の翌日、俺は朝から電車に乗り、JR京都駅の八条口から大通りを歩いていた。そして10分もかからず目的地である東寺町高校の校門をくぐり、スタッフに案内されるがまま校内へと誘導される。
普段は体育館として利用されているのだろう、緞帳の下ろされたステージを前に、床には隙間なくシートが敷かれ来客用の椅子が100脚以上ずらりと並べられている。
さすが中学も併設した私立学校、体育館もカサキタより一回り以上広い。中学だとバレーボールのコートは2面までが限界だが、ここなら3面同時で試合ができそうだ。
「ここ、部活もすごく盛んなのね」
一緒に来てくれていた母さんが隣のパイプ椅子に腰かけ、入り口でもらったパンフレットに目を通しながらはーんと驚きの声を漏らす。
どうやらこの学校にはスポーツ推薦のコースがあるようだ。特に体操部とバスケ部、陸上部は全国制覇を狙う超強豪で、卒業生にはオリンピックに出場した選手もいるらしい。
「吹奏楽部もすごいじゃないの、毎年のように全国行ってるわね」
「しかも今年は全国金賞だってさ。結果出たのがついこの前だから、そのパンフレットには載ってないみたいだけど」
俺はすかさず付け加える。ネットで知ったことだが、なんとここ東寺町高校、この11月上旬に東京の普門館で開催された全国大会で見事金賞を獲得していたのだ。
激戦区関西大会を突破して全国出場を果たすだけでも十分なのに、その上ゴールド金賞だなんて。部員が少なくてオーボエの譜面をクラで代替したり、ユーフォやバスクラが休符の間にファゴットのパートを吹いたりしているうちの部からすれば雲の上の話、同じ地球上で起こっている出来事なのか疑いたくなるレベルだな。
進学実績のページを開くと、東大京大はじめ全国の名門大学の名前がしれっと列記されている。今まで大学進学どころか高校選びについてもほとんど考えたことのなかった俺は、進学先の高校によって生徒の質が全く異なることをこのパンフレットだけでありありと実感させられたのだった。
だがここに記載された優れた実績に驚かされながらも、頭の片隅では今でも管楽器の演奏が鳴り響き、どれほど経とうともこびりついて離れないでいた。
それほどまでに昨日の演奏はすごかった。
県内でも定評のある草津南高校の『ラプソディー・イン・ブルー』は会場を揺らすばかりの迫力にあふれていたし、市内最大の吹奏楽団である湖南ウインドオーケストラの『オリエント急行』は曲の構成のおもしろさに小さな子供まで楽しそうに聞き入っていた。
そして淡海吹奏楽団の『アウェイデー』。あまりにもレベルの違う演奏に直面した時、人間は言葉どころか時間の感覚を失ってしまうようだ。
ジャズのようなテクノのような、それらと似ていていずれとも異なる近未来のリズム。そしてミュートを通したトランペットの枯れた音色は、退廃的であるとともに洗練されていた。
ほんの10分弱の間だが、国内屈指の吹奏楽団は会場の700人を数十年後の未来へと誘ってくれたのだった。あの演奏をずっと聞き続けていると、本当に別の世界へ行ったまま帰ってこれなくなってしまう気がする。
「皆様、本日はお忙しい中お越しくださりありがとうございます」
頭の中で繰り返される演奏の余韻に浸っている間に、学ランを着た男子学生がマイク片手に来客の前に立つ。いよいよオープンキャンパスが始まったようだ。
「本日のオープンキャンパスで司会進行を務めさせていただきます、東寺町高校生徒会長の林です。皆様、よろしくお願いします」
来客の生徒や保護者から、ぱちぱちと拍手が起こる。どうやらこのイベントは生徒会と教員が共同で運営されているようだ。
「それではまず皆様のご来場を歓迎して、本校吹奏楽部の演奏を披露いたします。短い間ですが、どうぞお楽しみください」
「マジで!?」
驚きに立ちあがりそうになるのをぐっと抑え込む。まさかここで東寺町の演奏を聴けるだなんて、予想だにしていなかった。
ずっと垂れ下がったままだった緞帳がするすると巻き上がると、舞台ではすでに演奏の隊形になって楽器をかまえる40名ばかりの男子生徒たちが姿を現す。
彼らこそ全国大会で金賞を受賞したメンバーだ。その演奏を聴くためにはコンクールや定期演奏会の度に開かれる激しいチケット争奪戦を勝ち抜く必要があり、もし図らずも聴けたとしたならそれはとんでもなくラッキーなことと言える。
俺は唖然としながらも、すぐに正気を取り戻して生徒らに拍手を贈った。やがて指揮者の先生が指揮台に立つと、奏者たちが一斉に楽器をかまえる。
そして無音のまま一小節タクトが振られ、次の瞬間にはステージ上ほぼすべての楽器による盛大なサウンドで、ファンファーレを思わせるトランペットとトロンボーンの軽快な出だしを下支えする。
「マジかよ」
ビンビンと地面を揺らす大音量と、迫力がありながら実に透き通った響き。開始1秒で伝わるあまりの見事な演奏技術に、俺は寒気を感じていた。そして気が付けば4名のトランペット隊全員が寸分の狂い無く超高速の指さばきを披露し、会場の人々を呆然とさせてしまっていたのだった。
この曲のタイトルは『高度な技術への指標』。練習曲のような名前だが、歴としたひとつの楽曲だ。
ジャズを思わせるリズミカルで愉快な曲調だが、そのタイトルの通り演奏の難度は非常に高い。というか音楽をやったことのある者なら開始数小節のトランペットのところで、この曲がなぜこんなタイトルになっているのかの意味を察せられるはずだ。
恐ろしいのはこれがかつての吹奏楽コンクールの課題曲だったということだ。もし歴代課題曲難しさランキングを作成したならば、トップ争いに食い込むのは間違いないだろう。
しかし堅苦しくとっつきにくい吹奏楽の世界にポップス調の曲をもたらしたという意味では、この曲の貢献は計り知れない。影響力の大きさではかの『ディスコキッド』にも匹敵するかもしれない。
地獄の超高速メロディをトランペットが吹き終えた瞬間、観客からぱちぱちと拍手が起こる。だがこれで終わらないのがこの曲で、次はフルートからテナーサックスまで木管総出で先ほどのリズムを引き継ぐのだ。
途中、曲はスウィングのリズムを刻む。まるでムード歌謡のように、色気たっぷりに歌うかの如く各楽器が鳴らされる。単に正確に演奏ができるという技術だけでなく、曲の情緒を感じ取って音にするという表現力がどれほど優れているかがわかる一幕だ。ハイテンポで勢いのある場面は吹いている方もノリノリになれるので案外どうにかなるものだが、このようにテンポがダウンした時ほど表現力の差は出やすい。
そして再びドラムのソロをはさみ、冒頭の超高速トランペットが再現される。やがてその勢いと熱量を保ったまま曲はフィニッシュを迎え、大団円と言う他ない見事な終わりを決めたのだった。
観客は中学生と保護者の100人あまりだが、普段自分たちの学校ではまず聴くことのできない次元の違うパフォーマンスにいつまでも拍手を鳴らし続けていた。
俺は誰よりも大きな拍手を響かせようと、いつまでもいつまでも手を叩き続ける。叩きすぎて手のひらが腫れてしまうかとも思ったが、別にそんなことはどうでもよかった。昨日のハイレベルな演奏に続き、ここで高校生最高クラスの演奏に立ち会えたという幸運に比べればいくらでもお釣りがくる。
長かった拍手もようやく収まり、生徒会長が再び前に立つ。
「皆様、お楽しみいただけたでしょうか。本校吹奏楽部の部員たちに、改めて盛大な拍手をお願いします」
再び拍手が鳴らされる。ここでようやく吹奏楽部員たちは立ち上がり、深々とお辞儀をすると楽器を持って舞台袖まで退場してしまった。
「母さん」
拍手の音に紛れて、俺は隣の母にそっと話しかける。
「俺、ここ受けたい」
聞いて母はふっと表情を崩した。
「あんたならそう言うと思ったよ。そのためには勉強、頑張らないとね」
その後、教員や生徒が来客の前に立ち、高校での1年間や入試の形式、さらにはどの程度の学力が求められるかといったなかなかに込入った説明が続けられる。だが正直なところさっきの演奏が何度も何度も頭の中でループして鳴り響いてしまっていたおかげで、俺はそれらの貴重な話を半分も拾いきれなかった。
参考音源
『高度な技術への指標』
https://www.youtube.com/watch?v=LhIo8q-EG98




