第十七章その4 1年後の自分
11月に突入し、比良山系を越えた北風が琵琶湖を吹き抜け、さらに冷気を帯びて人々の身に突き刺さるようになった。
そろそろマフラーを巻いて登校してくる生徒も現れる季節。自転車をこいで登校する中学生、風よけの防寒具は必需品だ。しかしみんなの巻いているマフラーが、バーバリー派とイーストボーイ派とできれいに二分されているのには驚かされた。いやいや、みんなこれが流行りの型だからってここまで画一化しなくても……俺も駅前のデパートまでマフラー買いに行こうかな?
「皆さん、クリスマスフェアの楽譜が届きましたよ」
練習前のミーティングで、先生がひとりひとりに楽譜を配る。それを受け取った部員たちは、早速譜面を読んで各自リズムを口ずさみ始めた。
「『イン・ザ・ムード』って、ジャズの有名な曲だねぇ」
松子がおおっと目を光らせる。軽快なサックスの旋律が印象的な、ジャズといえばこれと言えるほどの定番の一曲だ。CMやテレビ番組でも頻繫に使われているので、誰しも聴けばああこの曲かと思い出すだろう。
「砂岡くん、この曲選んだ決め手は?」
「えっと、徳森さんのご希望でトランペットのソロあるから」
宮本さんの質問に小さく答えるその背中側で、徳森さんが「へへーん」と鼻を鳴らして椅子にもたれかかる。1stトランペットのソロがあるのが余程嬉しいらしい。
ソロがあるのを喜べる人くらいでないとトランペットというのは務まらないのかもしれない。俺みたいに平和主義で謙虚なユーフォ吹きにはようわからんよ。
……あれ、今遠い遠いどっかから「は、どこが!?」て言葉が聞こえてきた気がしたぞ?
「本番まではまだ余裕がありますので、先に市民音楽祭の曲を仕上げます。本格的に合わせるのはそれが終わった後からになります」
俺が異世界からのツッコミを受けている間にも、指揮台に立った手島先生は部員たちに話し続ける。そういえば『吹奏楽のための民話』も来週末が本番か。中学生だからと甘えて見劣りするような演奏は披露できない、やるならきっちり合わせていかないとな。
その後、部室で楽器を磨いたり軽く音を出しながら練習の準備を進めていた時のことだった。
「宇多っち、なんか楽しそうだね」
鼻歌まじりでトロンボーンにスライドオイルを塗り込む宇多さんに、アルトサックスの工藤さんが声をかけてきたのだ。
「えへへぇ、実は母だけじゃなくて父も兄も時間を調整して、市民音楽祭に来てくれることになったんですぅ」
「へえ良かったじゃん!」
パートも違う後輩に優しく微笑む工藤さん。こういう裏表なく誰とでも気さくに接するところが、木管パートをまとめられる一番の要因になっているのだろう。
この会話を傍で聞いていた俺は、ついユーフォにグリスを塗る手を止めてしまっていた。少し前にあんなことがあったばかりなので、宇多さんのお兄さんのことは少なからず気になっていたのだ。
「そう言えば先輩、本番は兄も聞きに来ますよ」
同じく彼女らの会話を耳にしたのだろう、ティンパニーに電子チューナーを近づけてマレットを鳴らしていたたくちゃんがチューニングを中断して俺に話しかける。
「え、勉強しなくていいの?」
「僕もそう言ったんですが、この日は特別、それまでしっかりやっておくから平気よって言ってます。最近は県内私立の過去問も合格点は取れるようになっているみたいですし」
「筒井先輩、志望校受かってもらいたいねぇ」
男同士の会話を聞いていた松子も、コントラバスの弓に松ヤニを塗りながらぼそっと呟く。
「俺たちも来年だしな。まだ実感無いけど、今からでもちゃんと高校のこと考えておいた方がいいのかな?」
宇多さんのお兄さんの話に、猛勉強中の筒井先輩。まだ1年の余裕があるとはいえ、受験という生まれて初めての関門が目の前に迫ってきているのをリアルに肌で感じずにはいられない。
俺も1年後の今頃には、毎日必死で受験勉強に追われているのかな? あまり想像できないな。
「高校なんてどっか入れればそれでオッケーだよー。ウチは制服の可愛いトコ行きたいなー」
心の底から何の悩みも感じていないような口ぶりで言い放つ松子。少しでも上の学校にと必死こいている受験生に聞かれれば舐めんとんのかと怒鳴られそうだ。
だがまあこいつは意外と勉強できるし、どこも受かりませんでしたってことは無いだろう。それにこのご時世、選ばなければどこなりと高校には入れるのもまた事実だ。
だがどんな学校生活を送れるかは、どの学校に入ったかでまったく異なる。大学進学に熱心な学校ならそれこそ受験生以上に毎日勉強な3年間を過ごすだろうし、野球の強豪校なら全校生徒を挙げて甲子園まで応援に向かうことになるだろう。ここでの経験が後ほどどう響くかはわからないが、どこを卒業しようが同じような結果に収束するといったことは決してあり得ないだろう。
たとえば俺が今吹奏楽をやっているのも、強豪の西賀茂中学に入学して興味を持てたからだ。もし1年からカサキタにいたとしたら、弱小吹奏楽部なんて選択肢にすら挙がっていなかっただろう。吹奏楽以外の別の部活に所属していたはずだ。
「砂岡は行きたい高校とかあるのー?」
「それがまだあんまし考えてない。でも高校でも部活は続けたいから、できれば吹奏楽強いところがいいな」
「ここら辺で吹奏楽強い高校と言いますと、石鹿高校か青嵐高校か、阿星高校辺りでしょうか。石鹿と阿星は今年関西大会にも行ってます」
たくちゃんが天井を眺めながら思い出すように話す。きっと家では兄から色々と聞かされているのだろう、高校の情報には俺以上に精通している。
「あ、それと先輩男子ですから、あそこもいけるかも。東寺町高校!」
「東寺町……て、あの京都の!?」
聞き覚えのある校名に、俺は思わず大きく反応してしまった。
「はい、男子校ですが吹奏楽部は全国大会の常連です。ただめちゃくちゃ頭良くって、併願で特別進学クラス受かるのは石鹿高校より難しいって言われているんですよ」
たくちゃんの言う通り、東寺町高校は全国的な吹奏楽強豪校だ。部員は3学年で50人に満たず、1年生も含め全員でコンクールのステージに立たねばならない。強豪校なら概ね100人以上の大所帯が当たり前の高校吹奏楽界において、この部員の少なさは特筆ものだ。だがそれでも毎年のように全国出場を果たしてしまうのだから、本当にすごいよな。
「でも、京都まで通うのも大変じゃない?」
「そうでもないですよ、草津駅から京都駅までは新快速なら30分ですし、高校も駅からすぐです。片道1時間ちょいと考えればそこまでしんどくはないと思いますし、実際にカサキタの卒業生で進学している先輩もいらっしゃいます」
「へえ、そうなんだ」
つまりここからでも十分通えるということか。合格するのは大変そうだが、もし通えたなら夢にまで見た全国大会に行けるかもしれない。
高校生になった自分を想像する。吹奏楽の聖地こと普門館で、5000人の観客を前にしながらユーフォを奏でると……どんな感情に浸れるのだろう?
「砂岡、まさか東寺町受けるの?」
ぬっと首を伸ばしてきた松子に、現実に引き戻された俺は「いや全然」と慌てて首を振る。
「だよねぇ、あそこめっちゃ賢いもんねぇ。でも砂岡なら行けないことも無いとおもうよぉ」
「だよなー」
はははと笑い飛ばす。だが実際のところ、俺の胸中では東寺町高校の名が自分にとって遠く及ばないものではなく、身近な憧れに変容したのを感じ取っていた。
※普門館が全国大会に使用されていたのは2011年までで、2012年以降は名古屋国際会議場センチュリーホールにて開催されています。
参考音源
『イン・ザ・ムード』
https://www.youtube.com/watch?v=iQ-7nK3hcKs




