第十七章その2 新しい曲と出会うとき
「じゃあもう一回、同じとこ合わせてみよっか」
「はい先輩!」
部活が休みの日曜日にもかかわらず流れで部室に来てしまった俺は、いつの間にか宇多さんと『もう一匹の猫「クラーケン」』の練習に熱を入れていた。つい興に乗ってしまい、8人ではなかなか合わせられない細かい点まで丁寧に詰めていく。
「先ぱーい、ユーフォのソロのとこカッコいいですねー」
「それは俺の演奏がカッコいいんじゃなくて、俺がカッコいいからだぞ」
「あはは、嘘だー」
こちらのくだらない冗談も、けらけらと笑い飛ばす宇多さん。単に勉強ができるだけでなく、ノリが良くておふざけも通じるあたり、この子絶対モテるだろうな。
そんな練習も繰り返していると疲れが溜まってくるものだ。ちょうどキリの良いところで、俺たちはそれぞれ椅子にずべらっともたれ掛かり休憩に入る。
「宇多さんって吹奏楽やる前、何か音楽やってたの?」
興味本位で尋ねてみると、宇多さんは小動物のようなまぁるい顔を横に振った。
「いえ、何もー。小学校でピアニカやって楽譜の読み方を覚えたくらいです」
「じゃあ吹奏楽部入ったのって、結構なチャレンジだったんじゃない?」
「はいー……実はこんなこと言うのも失礼だとは思うのですが、部活はあまり活動が熱心でないところに入ろうって思いましてー。兄がここの卒業生なので、それなら吹奏楽部がいいよって言われましたぁ」
滑舌の悪い彼女の口からお兄さんが登場し、俺はぴくりと身体を震わせる。宇多さんの兄については受験の件が気になって腫れ物に触るように思え、絶対に言及しないようにとこちら側は気を引き締めていたのだが、まさか彼女自身から話してくれるとは意外だった。
「なるほどねぇ、俺も4月に転校してきた時はマジでこの部活ヤバいって思ったよ。今からは信じられないけど」
「ですよね、夏休みも練習に行く私を見て、兄も驚いていましたから。ですが今では吹奏楽始めて良かったって思っています。みんなで音楽を作るのがこんなに楽しいだなんて、トロンボーンやらなかったら絶対気付きませんでした」
おもしろおかしく話す宇多さんの様子から、兄妹仲は悪くないのだろう。むしろ良好にさえ思える。
「そりゃ良かった。ところで、そのお兄さんって今何歳なの?」
「高2です」
それまで口数の多かった宇多さんが切り捨てるように答え、会話を途切れさせる。たどたどしい口調の彼女とは思えない、あまりにもバッサリとした物言いだったので俺は少し戸惑ってしまった。
しかし顔は不自然なほどににこにこしている。まるでこれ以上深くは訊かないでくれと、無言のまま訴えているようだった。
「あ、そうだそうだ」
これ以上この話題を続けるのは良くないと直感した俺は、話題を無理矢理に逸らすべく指揮者用譜面台の元までだっと駆け寄る。そしてタイガースのクリアファイルといっしょに置かれていた茶封筒から一枚紙を引っこ抜くと、宇多さんに手渡したのだった。
「これ、市民音楽祭のプログラム、昨日配られたんだよ」
「あ、ありがとうございます。へえ、色んな団体が出るんですねぇ」
「演奏もいいけど、聞くのも楽しみだよ。特にこのイベントは面白い曲多いから、最後まで聞いてみるといいよ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。そういえば……たしかここにCDあったような気が」
ふと思い出した俺は再び席を離れ、部室の壁際に置かれた3段ラックの前に立つ。ここには過去の演奏会や課題曲の音源や、吹奏楽の作品集といったCDやカセットテープが無秩序にぎゅうぎゅう詰めにされていた。
そこに手を添え、視線といっしょにするするとスライドさせる。そしてCD1枚1枚のタイトルを目視で確認していたところで、ようやくお目当てのブツを見つけた俺は「お、あったあった!」と声をあげてそれを取り出したのだった。
「これだよ、これ」
俺が宇多さんに見せびらかしているのは、『オリエント急行』や『ドラゴンの年』が収められたフィリップ・スパークの作品集だ。
早速聞いてみようということで、俺は部室のCDラジカセを電源コードにつなぎ、ウィーンと飛び出てきたディスクトレイにそっとCDを置く。そしてトレイが自動的に引っ込んでCDが読み込まれたところで、『オリエント急行』を再生させたのだった。
愉快で楽しい超特急の旅を彷彿させる冒頭。そこで曲が止まったかと思えば、ピィイーッとホイッスルが鳴らされる。
そこにスネアドラムがガタンガタン、ガタンガタンと一定のテンポを保ちながらクレッシェンドをかけ、走行音を再現する。その合間に複数の音を同時に鳴らすトレインホイッスルが汽笛そっくりの音を鳴らす。長い長い列車の旅の始まりだ。
「本当だ、おもしろい曲」
宇多さんもじっと音に聞き入り、そっと目を閉じる。頭の中では野を越え山越え橋を越え、ヨーロッパの絶景を横目に走り抜けてゆく列車を思い浮かべていることだろう。
しかしいつまでも楽しい旅が続くわけでもない。中盤では一転、出だしの明るさは何だったんだと言いたくなるほど木管楽器主体の哀愁を感じさせるメロディーが挟まれる。長い列車の旅を続けるうちに、故郷への慕情も極まってきたところだ。
それでも旅には必ず終わりが来るもの。冒頭の楽しげな旋律を繰り返し、お待ちかねの目的地が近付いていることを予感させる。そして最後、再びホイッスルが鳴らされて旅の終わり、終点を告げるのだった。
非常にストーリー性の高い、吹奏楽史に残る名曲だ。
「すごい……なんだか大作映画を一本見たような気分です」
「でしょ。で、こういうの聞いたらさ、自分もこんな曲吹いてみたいなって思えてこない?」
「ですね、めっちゃ思えます!」
彼女の眼は輝いていた。新しい曲と出会えた時、「自分も吹きたい!」と思えることこそ奏者にとって一番の才能だ。
「だろ、いい曲を聞けばそう思うもんだよ。演奏会に行くことって、そういった新しい曲と出会えるチャンスでもあると思うんだ。せっかくだし、家族にも来てもらったらどうかな?」
何気なく言ったその途端、宇多さんの顔が引きつった。そしてすっと視線を下に向けながら、「うちの親は……そういうことに興味はないでしょうねぇ」
「どうしてさ? 娘も吹くならきっと来てくれるよ」
「いいえ、そういうのじゃないんですよ」
宇多さんが首を横に振る。いかにも残念そうな表情で。
「うちの親、将来役に立たないことは極力やってほしくないって思ってるんで。父なんて県大会に進んだ時も、音楽家になるわけでもないのにそんなことに現を抜かして何の得になるんだって言ってたくらいですから」
俺はショックで唖然とするしかなかった。まさかそんなこと言う人がいるなんて、吹奏楽に学生生活を捧げるひとりとして信じたくなかった。
「この前の学園祭は?」
「来なかったですねぇ。そもそも私が吹くってことも、ほとんど知らないと思います」
そう話す彼女の口元からは、諦めに近い渇いた笑いが漏れ出ていた。
宇多さんの家が勉強に熱心なのはその通りだろう。まだ1年生の娘の塾通いにここまで力を入れているのだし、勉強に限らない彼女の好成績は元々のポテンシャルもさることながらそれを発揮できるだけの環境を家族が用意してきたことの証左だ。
だがどうも腑に落ちない。そんなに勉強に集中させたいのなら、今からでも吹奏楽部をやめさせてもっと気楽な部活に転籍させればいいのに。部活を無駄だと思う親が、一番勉強で差の付くであろう夏休み中もコンクールまでのほぼ毎日を練習に費やすのを許し、おまけに合宿費用まで工面してくれるだろうか?
それに塾に行くためとはいえ、お母さんが学校まで迎えに来てくれている姿も目撃している。それってつまり、塾には通わせつつも部活にも最大限ギリギリまで励んでもらいたいという親心の表れではないのか?
「ねえ、ちょっと気になったんだけど」
ごめんやしておくれやしてといった具合に、俺は沈み込む宇多さんに声をかける。
「宇多さんはさ、親御さんに演奏会があるよってこと、話してる?」
お兄さんのこともあって中学生活ではまず学習を第一に送らなくてはと言い聞かされているであろうし、その点は宇多さん本人も納得しているのだろう。だが思わず吹奏楽を好きになってしまったことで、音楽に打ち込みたい自分と、このままではダメだ、もっと本気で勉強をしなくちゃと訴える自分が、対立してしまっているように見えたのだ。
つまりはこの子自身の思い込みが、本来以上の余計なプレッシャーを作り出してしまっているのではないのか?
「……いえ」
一瞬の間を置いて、彼女は俯いたまま静かに、二度首を横に振った。
「どうして?」
「どうしてって……私の親、反対すると思いますから。そもそも部活に興味ないと思いますし」
やっぱり。彼女は好きで吹奏楽をやっていることを明確に伝えていないんだ。
「話してみなって。実際に演奏聞いてみたら、親御さんもイメージ変わるかもしれないよ? それに宇多さんは吹奏楽が楽しくって吹くのが好きなんでしょ? それならその気持ちをストレートに話したら、いくらなんでも否定はできないと思うよ。少なくともお母さんの方は」
「そう……でしょうか?」
前髪に隠れながらも、彼女は視線だけをちらりと上げる。
「そういうもんだよ。だから俺から言えるのはただひとつ、吹奏楽が好きなら好きだと胸を堂々張ってろってことかな。好きで何が悪い、無駄だろうが金かかろうが、好きなもんは好きなんだ! そんなに無駄だというなら、何でうちの車は無駄に高いんだよぅ!? て」
無駄に力を込めて吼える。そんな俺を見てか、疑心暗鬼だった宇多さんもつい「吹き出してしまった。
「あっはっは、砂岡先輩らしーい! 無駄な力強さと妙な説得力があります!」
「そうそう、人生なんて無駄なものだらけ。でも時には実利以上に、そういう無駄が人生を彩り豊かにしてくれるんだぜ? 音楽も美術もゲームも……」
調子に乗って達観したように話していたところで、俺は自分の口から飛び出してきた単語にあっと言葉を詰まらせてしまったのだった。
そういえば俺、ゲームの攻略本買いに行くんだった。
参考音源
『ドラゴンの年』
https://www.youtube.com/watch?v=uHuaZ5D4gEE




