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第十七章その1 名曲たくさん!

「ええ、兄ちゃんも部活引退してからはもう家と塾にこもりっきりですよ。あんなに勉強ばっかりして、体壊さないか逆に不安になるくらいです」


 土曜日の朝、ユーフォの管にグリスを塗っていた俺は、たくちゃんから筒井先輩の近況について聞いていた。


「今日も模試のために塾行ってます。そろそろ私立高校の出願もあるので、どこ受けるか考えています」


 夏の大会で引退している他の受験生らと比べて、吹奏楽部は2か月ほど長く部活に勤しんでいる。その分の遅れを取り戻すため、先輩も必死なのだろう。


「私立は専願?」


「いいえ併願です、第一志望は公立なので」


 滋賀県の高校入試は伝統的に公立志向が強いそうだ。1月の県内私立入試は学力ごとにコース分けされている学校がほとんどなので、ここで確実にひとつ合格を確保し、3月初めの県立高校入試に挑むという流れが一般的らしい。生徒によっては2月中に県立高校の推薦入試を受験したり、京都や大阪といった県外の私立に挑戦することもある。


 ちなみにこの日も、トロンボーンの宇多さんは部室に姿を現さなかった。以前から聞かされてはいたが、彼女も模試なのだ。


 一方の工藤さんらサックス三重奏はすでに全員が登校しており、楽器を準備する傍らで何時から合わせようかと話している。人数がそろわない金管八重奏に対して着実に前に進んでいる彼女たちの姿を目にすると、さすがに焦りを感じてしまうものだ。


「皆さん、おはようございます」


 ミーティングの時刻になり、先生が部室に現れる。その手には大きな茶封筒を抱えていた。


「今朝、市民音楽祭のプログラムとタイムテーブルが届きました。皆さん、当日集合時間に遅れないようにスケジュールを確認しておいてください」


 そう言ってパートごとに紙が配られる。


「うわぁ、こりゃまた朝早いね」


 松子が目を点にした。草津市内で最も部員数の少ない俺たちの演奏順は、朝9時30分からのトップバッターだった。


 当日は午前中に中学校と高校、午後に社会人団体と後ろになるごとに団体の年代が上がっていく。こりゃまた朝7時前に登校して、楽器の積み込みに当たるとかあり得るぞ。


 せめて前日の夕方にトラックに積み込んでおけないかな。そう考えながらちらりと演奏曲目に目を移す。


 途端、そんな憂鬱などどうでもよくなるくらい、俺は「おお!」と興奮の声を漏らしてしまった。


「おいおい、最後に淡海吹奏楽団が特別演奏で来てるぞ!」


「ホントだ、よく来てくれたね。これすごいことだよ」


 宮本さんもぐっとプログラムに顔を近づけて目を輝かせている。


 淡海吹奏楽団は滋賀県どころか日本の誇るアマチュアバンドであり、コンクール全国金賞の常連だ。吹奏楽ファンからの注目度も絶大で、毎年5月と12月に開かれる定期演奏会のチケットは売り出せば即完売の超人気プレミア商品になっているという。


「曲は『アウェイデー』!? さっすが難しいの選ぶなぁ」


 興奮を抑えきれない俺に、コントラバスの松子が「何それ?」と口をはさむ。


「うーん、何と言うか、とりあえず変わった曲。スタイルはジャズに近んだけど、最初曲を聞いてもどれが主旋律なのかよくわからん。まるでそうだなー……現代アートをそのまんま曲にしましたって感じの」


 淡海吹奏楽団が聞けるという期待に浮かれて言葉が出てこないせいでもあるが、あの曲を言語化して表現するのは非常に難しい。一度譜面見ながらCD聞いたことあるけど、マジでワケわからんかった。調もテンポもコロコロ変わるので、自分が今どこを吹いているのかすぐに見失ってしまう。


 当然こんな説明でどんな曲か伝わるはずもない。松子は余計に訝し気な表情を見せると、頭の上にいくつものクエスチョンマークを浮かべるのだった。


「えっと……つまり『4分33秒』みたいなもん?」


「いや、あそこまでなげやりじゃない」


 俺は即座に否定する。変わった曲の話題になると、絶対にこのタイトル出てくるよな。


 ひとまず『アウェイデー』は置いといて、他団体の曲目にも目を通す。


「あ、この草津南高校の『ラプソディー・イン・ブルー』聞いてみたいな 。あと湖南ウインドオーケストラの『オリエント急行』も」


 吹奏楽好きならば定番のラインナップがずらりと並んでいる。選曲のおもしろさで言えば、このイベントは大当たりだぞ。


 これは聞くだけでも楽しめそうだ。




 翌日、日曜日の部活は休みだった。


 朝の10時過ぎ、俺は駅前の本屋に向かうため自転車を飛ばしていた。昨夜、今年発売された某RPGを1周クリアしたので、2周目に挑む前に攻略本をゲットしに行ったのだ。


 田んぼではすでに収穫も終わり、根本を残して刈り取られた稲から新たに緑の葉がちょろちょろと伸び出ている。そんな静かで何の変哲もない田舎道のど真ん中に建つ学校の前に、差し掛かった時のことだった。


「あれ?」


 ブレーキをかけて自転車を止める。誰もいないはずなのに、校舎の4階の窓が開いているのが目についたのだ。


 しかも耳を凝らすと、楽器の音まで聞こえている。これはホルン……いや、トロンボーンか!


「宇多さん?」


 無意識の内に、俺は学校の敷地に進入していた。ジーパンにアディダスのウインドブレーカーという私服姿のまま、駐輪場に自転車を止めて昇降口で上履きに履き替える。


 2階、3階と階段を上るごとに、トロンボーンの響きは徐々に徐々に明瞭なものになっていく。他の楽器の音は聞こえてこないから、これは部室でひとりだけで吹いているようだな。


「おはよー!」


 開け放たれていた部室の扉から、ぬっと顔を覗き込ませる。思った通り、部室では宇多さんが譜面とにらめっこしながら、『もういっぴきの猫「クラーケン」』の練習に打ち込んでいた。


 彼女からすれば、まさか砂岡のツラを見るハメになるなんて予想だにしていなかっただろう。俺が登場するなり、宇多さんはぎょっと小さく跳びあがってしまった。


「砂岡先輩、どーして!?」


「いや近く通りかかったら音聞こえてさ。宇多さんこそどうしたのさ、こんな休みの日に?」


「あのー……昨日練習来られなかったので、せめて今日は塾が始まる前まで練習しようと思って」


 相変わらずの不明瞭な発音で答える宇多さんに、俺は「ええ?」と驚いた。


「今日もあるの? すごい勉強熱心だな」


「はいー、実は私の家、部活よりも勉強頑張りなさいって感じなので」


 気まずそうに話す後輩に「そうかー」と頷き返しながら、俺はずかずかと部室に踏み込む。


 彼女の家庭の教育方針はなんとなくわかっていた。そのことは彼女自身も納得しているようだし、家庭ごとの事情を俺たちが咎めることもできない。


 だがそれでも、ひとつ確実に言えることがある。


 この子は吹奏楽がめちゃくちゃ好きなんだ。楽器を吹いているこの時間を、ものすごく楽しんでいるのだと。


「何か俺も吹きたくなってきたな。どうせ今日ヒマだし、いっちょ吹いとくか」


 楽器の音を聞くと自身も疼いてしまうのは楽器をやる者なら誰しも体験したことがあるだろう。俺はユーフォのケースを引っ張り出すと、ぱかっと留め具を外したのだった。


参考音源


『アウェイデー』

https://www.youtube.com/watch?v=QuBU_uudBpk


『ラプソディー・イン・ブルー』

https://www.youtube.com/watch?v=MVXzFx7DBUg


『オリエント急行』

https://www.youtube.com/watch?v=R8VF5CtmyCE


『4分33秒』

https://www.youtube.com/watch?v=Oh-o3udImy8

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