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第十六章その5 17時のシンデレラ

「では、皆さんそろったようですね」


 合奏の時間になり、指揮台の上に立った先生はいつもとまったく同じにこやかな微笑みで部室を見回す。


 そのどんな恐ろしい感情を覆い隠しているのか想像もつかない笑顔を向けられ、みんなより遅れて部室にやってきた宮本さんはびくっと小さく身体を震わせると、赤くなった顔を譜面台の陰に隠してしまったのだった、


「部活も大切ですが、それ以前に皆さんは中学生です。部活にのめり込んで本当に大切なことを疎かにしないよう、私からもよろしくお願いします」


 先生の一言一言がグサグサと突き刺さり、宮本さんに大ダメージを与えているようだ。このままだと合奏始まる前にチューバのHPがゼロになってしまうぞ。


 ちなみに余談だが、去年いた学校では追々々試までもつれ込んでしまった超大物もいたぞ。まさか期末テスト直前まで中間テストの問題を繰り返しているとは思わなんだ。


「では時間もないので、ささっといきましょう」


 そう言って手島先生がタクトを振り上げると、部員たちもささっと楽器をかまえる。そして原曲よりもややゆっくりのテンポで、いつも通りの「ワン、ツー」とともに4分の4拍子を振り始めたのだった。


 開幕いきなり中低音総動員による力のこもったハーモニー。難しいリズムではないが、伸ばした音が多用されるのでピッチを意識して他の音も聞かねばならない。そこにフルートやクラリネットら木管の合いの手が乗っかり、どことなく東洋風の曲調に仕上げている。


 やがて一旦曲が落ち着いて、クラリネットとテナーサックス、そしてユーフォによるスラーを多用したメロディーラインが歌うように奏でられる。勇壮ながらどこか悲壮感漂う、そんな旋律だ。


 次にそれを受け継ぐのはフルートにトランペット、アルトサックスといった華やかな高音が自慢の楽器群だ。


 同じ音の運びなのに、吹く楽器が変わるだけで受ける印象とはここまでガラリと変わるものか。この曲は吹きやすくも起伏に富んでいるため、演奏する自分たちでさえも表情豊かな他のパートの演奏に聞き入ってしまいそうになる。


「ユーフォ、もうちょっと抑えてください」


 そんな心ここにあらずな態度が音に出てしまったのか、演奏中に先生が手で制するようにして注意を飛ばす。


 おっといかんいかん、この曲では数少ない主旋律とあってついついノリすぎてしまったようだ。強さはピアノと指定されているのに、いつの間にやら木管の音を打ち消してしまうほど大き目に息を吹き込んでしまっていた。


 こういう時、以前なら隣に座る筒井先輩が「砂岡、あんたバカねぇ」といった具合に茶化してくれていたところだが、今となってはあのオネエ語を聞くことはできない。


 だがその代わりに、かつて筒井先輩が座っていた席に新たに座った宇多さんが、今日の合奏の最中はずっと力強いボーンの音色を響かせていた。


 ユーフォとボーンは同じ金管楽器で音域もほとんどいっしょなので、その点で言えばよく似た者同士と言える。だが実際にそれぞれの音を聞いてみると、優しく包み込むような響きが特徴のユーフォニアムと、シャープでまっすぐ飛んでくるようなトロンボーンの音はまるで違うことを実感できる。


 つまりふたつはまったく別の楽器なのだ。編成の都合でユーフォがトロンボーンパートを吹いたりその逆をやったりというのは多くのバンドで見られる光景だが、これをすると作曲者の意図した音からかけ離れてしまうことを心がけておいた方が良いだろう。


 演奏中、先生の指揮に顔を向けながらも、ほんのわずかな間だけちらっと隣に視線を移す。


 やっぱり思った通りだ。スライドを大きく伸び縮みさせたときが、一番よく揺れるタイミングだぞ。俺、この位置に座れてホント良かった!


「それでは疲れたでしょうから、一旦休憩です」


 ややゆっくりのテンポで確実に合わせ部員たちの疲労もたまってきたところで、先生が合奏を一時中断する。時計を見ると午後の4時50分を少し過ぎていた。


「あー、しんど」


 背中を伸ばしたりお茶を飲んで一服する部員たち。そんな中、宇多さんはひとり楽譜ファイルをたたむと、今しがた使っていたトロンボーンにクリーニングロッドを通して管の中を掃除し始めたのだった。


「あ、うっちゃん帰るの?」


 宮本さんが声をかける。宇多さんは消え入りそうな声で「す、すみません」と謝っていた。


「いいよいいよ、頑張ってきてね」


 宮本さんだけでなく、他の部員たちも手をぶんぶんと横に振り、気にするなといったジェスチャーを送る。


「ほらほら気にせず早く行きなって。お母さん、迎えに来てるんでしょ?」


 徳森さんもくいくいっと部室の外を指さして部室の雰囲気を盛り上げる。だが口ではそう言っても、顔は決して宇多さんの方には向けなかった。


「すみません、ありがとうございますー」


 トロンボーンを片付けた彼女は、間延びした声を残して部室を去る。先生がこの時間に休憩を挟んだのも、宇多さんが合奏を中断して気まずい雰囲気のまま出ていかないようにという心遣いだろう。


 やがて休憩が終わり、俺たちは再び合奏の隊形に座りなおす。しかし当たり前と言えば当たり前だが、その時にはすでにトロンボーンパートは空席になっていた。




「まったく、あの子にも困ったもんだよ。5時になったら帰るってシンデレラかっての」


 合奏後、楽器の表面をごしごしとクロスで磨く徳森さんは、見るからに機嫌が悪そうだった。


 一応本人の前ではこの顔を見せなかっただけ、彼女なりに部長らしく振舞おうとしてくれてはいるのだろう。だが以前より多少丸くなったとはいえ、ご機嫌斜めな徳森さんに余計な事を言うのは厳禁だ。面倒ごとに巻き込まれたくないと、近くでいっしょに楽器の片付けをしていたトランペットパートの1年ふたりは「え、ええ」と苦笑いで同意する。


「うっちゃんのこと悪く思わないであげてよー。あたしらに申し訳ないって思ってるのはよく伝わるからさぁ」


 だがそこに真っ向から反論したのは、なんとアルトサックス2年の工藤さんだった。同学年のギャル同士、徳森さんと彼女は良いことも悪いことも思ったまま互いにずけずけと言い合える喧嘩友達のような関係を築いている。


「それはわかってるけどさ、アンコンのオーディションまでこんな調子だったら私らもたまんないよ。しかも明日、塾の模試だから部活休むってさ」


 徳森さんが腹を立てる一番の原因はここだった。これから大切なオーディションが控えているというのに、練習時間を十分確保できないとなれば他のメンバーにも悪影響が出る。メンバー全員が音をそろえてしっかり練習を重ねない限り、少人数のアンサンブルに上達などあり得ないのだ。


「あ、そこはご安心を。サックス三重奏がちゃちゃっとオーディション通っとくから」


 だが不機嫌な徳森さんのことなどおかまいなしに、工藤さんはアルトサックスを片手にきゃぴっとポーズを決めて言ってのける。


「うーわムカつく!」


 そのあざと可愛い様子に悪態をつきながらも、徳森さんはぷぷっと吹き出し、幾分か表情を緩ませていた。

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