第十五章その5 引退、そして就任
3日間続いた学園祭の翌日、昼間の学校にはここ数日以来の静けさが訪れていた。いつも何らかの運動部が夕方まで練習に打ち込んでいる運動場も、今日は風が吹こうが落ち葉が舞おうが気にする者はどこにもいない。
だがそんな人気のない学校に一室だけ、窓の開け放たれた部屋がある。吹奏楽部の部室には、部員全員が集まっていた。
「みんな……今まで本当にありがとう!」
前に出て横一列に並ぶ3年生。泣き味噌な部長は言わずもがな、他の先輩たちもぐっと顔を上に向けて口を強く閉じている。
「先輩、クラリネット教えてくれてありがとうございました」
「またいつでも遊びに来てくださいね」
そして席に着いた2年生以下の部員の中から、各パートの後輩が代表して3年生ひとりひとりに寄せ書きの色紙を手渡すのだった。藤田部長は同じフルートの後輩から、筒井先輩はトロンボーンの1年生から。俺たち低音パートは3年生がいないので、ちょっと疎外感を感じる。
「兄ちゃん、草葉の陰で俺たちを見守っていてくれよー」
「あんた、ウチを勝手に殺さないの!」
後方に座るたくちゃんからの一言に色紙を手にした筒井先輩がすかさず言い返すので、部室からは笑い声が漏れ出る。このオネエ語が聞けるのも今日が最後だと思うとなんだか名残惜しい。
「ありがとう、これで思い残すことなく卒業できるよ……みんな、これからのカサキタ吹奏楽部をよろしくね」
部長のハンカチは既にどぼどぼに濡れて使い物にならなくなっていた。だがそれでも部長は何度も何度も目にハンカチを押し当て、あふれ出る涙をようやく堰き止めたのだった。
「で、ちょっと聞いてほしいんだけど……この部を引っ張っていく子を、決めたいと思うの」
2年生部員が一斉に身体をピクリと震わせる。3年生が引退するということは、部長、副部長も空席になるということ。誰が部長を務めることになるのか、2年生は皆ハラハラしていた。
この部は代々、部長と副部長は先代からの指名制で決められているらしい。指名を受けた側が了承しなければ2年生同士の話し合いが行われるが、そういうのは稀で大概はこの指名で決定するそうだ。
「まず部長なんだけど」
すっかり真面目な表情に戻り、部室をぐるりと見まわす藤田部長。ごくりと唾を飲み込む音が、静まり返った部室で鳴らされる。
「徳森ちゃんにやってもらいたいの」
「え、わ、私!?」
ルーズソックスのギャル徳森さんがぎょっと目を剥いて自身を指さし、声を裏返して驚いた。
まさかのご指名。見るからに真面目一辺倒の部長とは全く違うタイプの選出に、他の部員たちも信じられないといった表情で固まっていた。
「徳森ちゃんは面倒見が良いし、他の子とも付き合い長いからみんなのことよく知ってるよね。私は自分のことで精いっぱいでみんなをよく見ることができなかったけど、徳森ちゃんならできると思う」
藤田部長の熱弁を聞くうちに、ぽかんと口を開けていた徳森さんの表情も徐々にきりっと真剣味を帯び始める。
「わ、わかりました。頑張ります!」
そしてコンクールでも見せないくらいにしゃんと背筋を伸ばすと、普段は教師相手でもタメ口しか使わないのに柄にもなく畏まって答えたのだった。新入生歓迎の時があんなんだったので、この半年で一番目に見えて変わったのはこの子かもしれない。
新部長の就任決定に部員たちから拍手が起こる。そんな周囲に応えるように、徳森さんは椅子から立ち上がると「よろしくね!」と元気に手を振り返したのだった。
「で、副部長なんだけど……」
続いて口にしたのは筒井先輩だ。今の3年生は質実な藤田部長に対して、人付き合いに長けた筒井副部長というペアで部を回してきていた。これに倣うなら、徳森さんとは違ったタイプの人間を副部長に充てるのが適当だろう。
気難しい徳森さんの緩衝材ということで……案外松子あたりが適任だったりして。あいつはあれでよく空気を読めるし、他者への気遣いもできるしな。
上の空で、そんなことをぼうっと考える。だがふと前を見ると、筒井先輩はまっすぐ俺の方に目を向けていたのだった。
「ウチは砂岡を任命するわ」
「へ?」
間の抜けた声が俺の口から漏れ出る。そして数秒の沈黙の後、「俺っすか!?」とさらにアホみたいな声で訊き返してしまったのだった。おいおい、俺、ここ来て半年の転校生だよ!?
「ええ、あんたは今の吹奏楽部でもトップの腕前だし、音楽に関して色々知ってるからね。それに気まぐれな部長に真正面から文句言って制御できるのはあんたくらいよ」
「ちょっとぉ、私ひどい言われようなんですけどー」
徳森さんが弱々しくツッコミを入れて場を和ませる。だが冗談に反応することもできないほど、俺は頭の中でぐるぐると思考を巡らせていた。
まさか副部長に選ばれるとは思ってもいなかった。俺、本質は自分勝手だからあんまし副部長とか務まるガラじゃないのに。
あ、でもたしか部長や副部長になるとコンクールや演奏会で使う曲を先生と話し合って決めるられるんだっけ? 今年吹いた『序曲「祝典」』と『アセンティウム』は、部長がイチオシしていたって筒井先輩から聞いたっけな。
やったじゃん、自分のやりたい曲、選べるじゃん!
「わかりました、よろしくお願いします」
俺はばっと立ち上がり、前に後ろにみんなに向かって軽く頭を下げた。ぱちぱちと一応拍手はあがるものの、部員たちの表情にはどことなく疑いの念がこもっているようだった。
「頼んだわよ。仕事はまた手取り足取り指を取り教えてあげるわ」
筒井先輩がわざとらしく身体をくねらせて言うので、俺はぞぞっと肌寒いものを感じる。
「というわけで、決めることは決めました」
その時、立ち並ぶ3年生たちの前に松子がパンパンと手を叩きながらすすっと身を割り込まる。
「だーかーらー、あとはお楽しみタイム。はい皆さん、これなーんだ?」
そう言って部屋の隅からずりずりと引っ張ってきたのは、大人の男でも身を丸めればすっぽり収まってしまいそうな大きさの段ボール箱だった。
中には大量のお菓子とジュース、紙皿や紙コップの入った段ボールが詰め込まれていた。昨日の演奏を聴いたOGや保護者の皆さんが、せっかくだからと用意してくれたものだ。
「今日は先生からも特別に許可もらってるよ、さあみんな、飲めや食えや宴の始まりじゃー!」
「いよっしゃあああ!」
後輩からも3年生からも、この日一番の大歓声があがる。そして「みんな、音楽室から机持ってきて!」と新部長の声に従い、半数近くが足取り軽く部室を飛び出したのだった。




