第十五章その1 マリンバ、シロフォン、ビブラフォン、グロッケン←それぞれの違いを説明しなさい(10点)
「みんな、1位おめでとー!」
黒板の前で、クラスの盛り上げ番長である体育委員の男子が表彰状を高々と掲げる。途端、クラスメイト32人は一斉に「いよっしゃあああ!」と歓声をあげた。
体育祭の明けた翌日、我ら2年4組は本日行われた合唱コンクールで、見事学年1位を獲得した。
やっぱり一番というのは良いものだ。あまり合唱に乗り気でなかった生徒も、この時ばかりはいっしょになって喜びに拍手を打つ。
「それから松井も伴奏賞おめでとう! 聞けば音楽の先生も満点評価入れてたらしいぜ」
「いやーそれほどでもー」
クラスメイトに拍手を浴びせられ、にっへっへと後頭部に手を当てる松子。
1位というだけでもめでたいことだが、さらに嬉しいことにうちのクラスはピアノ伴奏賞も受賞していた。
実際に彼女のピアノの演奏は、他のクラスどころか校内でも頭3つ分は突き抜けていた。特に自由曲『モルダウ』出だしの雫の滴るような旋律では、最初の4小節だけで聴衆の関心をすべて引き寄せてしまっていたのがステージの上からでも見て取れるほどだった。
体育祭は散々な結果だったが、合唱コンクールでは4組の意地を見せることができただろう。
ちなみにひとつ前の3組はというと、宮本さんがいつも以上に張り切ってくれたおかげで、ダントツの最下位を記録していた。
4組は次の出番に備えてステージ脇で待機しながら聞いていたのだが……いや、あれはどれだけお世辞を重ねてもマジでひどいとしか言いようがなかった。周りがどれだけ頑張ろうとも外してるひとりを隠し切れず、まるでミカンの入った段ボールの中にひとつ手榴弾……いや、核爆弾が顔を覗かせているかのようだった。
きっとあのあまりにもひどすぎる合唱の次だったから、相対的に俺たちがめちゃくちゃきれいに聞こえたんだろうな。
というわけで宮本さん、ありがとう! 君は4組にとって勝利の女神だ!
他の生徒たちのほとんどが帰宅した後、居残った吹奏楽部員たちは明日の演奏のために体育館まで楽器を運んでいた。
今日一日合唱コンクールの行われていた体育館には、全校生徒と保護者用の椅子がぎっちりと並べられている。しかし合唱のためステージに沿うようにして設置されていたひな壇はすでに撤去されており、ステージの手前側はいつもと同様すっきりと片付けられている。
俺たちはそこにマリンバやドラムセット、ティンパニなどの大型の打楽器を続々と運び込むと、数人がかりで慎重に持ち上げてステージ奥に並べていた。
「お、砂岡。お前ら明日も本番かよ、精が出るなぁ」
ちょうど俺がでっかいマリンバの足元に手をかけて持ち上げようとしていたところに、生徒会の関係で体育館のセッティングに来ていたクラスメイトの男子が声をかける。
「あ、それ知ってるよ。木琴だろ?」
「木琴て呼ぶな、マリンバって呼べ。シロフォンでもないぞ!」
「そーなの? で、あっちが鉄琴?」
「鉄琴て呼ぶな、ビブラフォンって呼べ。グロッケンでもないぞ!」
ここら辺の呼び分けは吹奏楽部員でもパーカッションやってないと時々こんがらがるよな。全部の違いをきちんと説明できたら「20へぇ」あげちゃう。
「なんだかお前らの使う楽器って多すぎて覚えきれねーよ。そんなにたくさん種類必要なのか?」
「要るわ!」
俺が渾身の叫びで返したその時、「せんぱーい」と生徒会の1年生の女子生徒が相手に声をかける。
「あのー、アンプってこれでオッケーですかー?」
そう尋ねながら、手に持っていた黒い四角形の物体をぐっと高く上げる。足元に置くタイプの、アンプと一体化したスピーカーだ。
「そうそう、それで合ってるよ。今は吹奏楽部がいるから、舞台袖の見えないところに置いといてね」
指示を受け、1年生は「はーい」と歩き出す。そして打楽器を運び上げる吹奏楽部員を避けながらステージまで上がると、舞台袖に例のアンプを運び込んだのだった。
実は明日、ステージに立つのは吹奏楽部だけではない。海外留学に参加した生徒の学習報告、図書委員会の本のプレゼン、さらには有志生徒によるバンド演奏やダンス、漫才も行われる。今持ってきたアンプも、明日にはエレキギターやキーボードが接続されて大音量を鳴らしていることだろう。
そんなステージ発表最大の問題は、この吹奏楽部の演奏を必ずしもすべての生徒が聞くとは限らない、ということだ。
明日は最初のセレモニーと生徒会発表を除いて、生徒や来客は校内を自由に動き回って一日を過ごすことになる。体育館以外でも様々な催し物が開かれており、たとえば美術室では美術部の絵画や彫刻が、被服室では家庭科部の作った刺繍やドレスの展示が行われる。
また視聴覚室でもパソコン部の制作したアニメーションが公開されるそうだ。パソコン部といえばいつもネット徘徊しておもしろフラッシュばっか見てるだけの連中かと思っていたけど、決してそれだけじゃなかったんだな。いつだったか情報の授業中、イタズラでパソコンに「洋モノ」て検索履歴残してしまってごめんよ。
つまり生徒にとってはステージ発表を見るもよし、展示を見て回るもよし、遊んでいる暇は無いと教室にこもって勉強に励むもよしな一日になる。
体育祭のマーチングは生徒や保護者全員の目の前で披露されることになったが、明日はそうとはならない。明日俺たちの演奏にどれだけの数の人が集まるのか、一切が未知数だった
やがて楽器の準備が完了し、俺たちはすぐさま自分の楽器を手に取ってステージの上で合奏の隊形になる。特に指示がない限り、明日の本番もこれと同じフォーメーションで臨むことになるはずだ。
「ではお願いします。一回通しでやってみましょう」
チューニングを合わせた後、指揮台の上に立った手島先生が振るタクトに合わせて一曲目『大切なもの』を演奏する。木管主体のメロディーラインに途中からトランペットも加わり、ノリが良くて耳に残りやすい実に爽やかな曲だ。
だが指揮を執る先生は今一不満のようで、終始むーんと難しい顔を浮かべていた。そして3分ちょっとの演奏が終了するなり、「皆さん、いつもとは何が違うと思いましたか?」と尋ねてきたのだった。
「えっと、部室より反響しすぎて、なんだか聞きづらいってことでしょうか?」
恐る恐る手を挙げて答えた俺に、先生は「大正解」と微笑みを向ける。
「体育館が部室よりもずっと広くて響きやすい構造をしています。ですから部室で普段練習している以上に音が響いてしまい、それが原因で他の音が聞こえにくくなって合わせるのが難しくなってしまいます。これは実際に演奏してみないと、なかなかイメージできませんね」
部員たちに説明する先生の声も、部室で指導するときとはまるで違って壁に反響している。
やっぱり狭い部室で演奏するのと体育館とでは、音の聞こえ方もまったく違ってくるもんだよ。野球やサッカーではホームのチームの方が有利とはよく言うけど、それは音楽に関しても同じで演奏し慣れた会場の方がやりやすいというものだ。
その後も俺たちは練習を続け、ついに『エル・クンバンチェロ』に移る。
「松井さん、手は平気ですか?」
手島先生がそっと尋ねる。その視線の先には、コントラバスを床に置いてアゴゴベルやトライアングルの置かれたパーカッションテーブルを前にした松子がしゃんと背筋を伸ばして立っていた。
「はい、もうバッチグーです!」
腱鞘炎になったことなどまるで嘘のような、自信満々の笑み。本当は痛み止め注射を打ってかなり無理しているはずのに、そんな気配もさらさら感じさせなかった。
「そうですか……では、いってみましょう!」
すっかり陽も沈み、練習が終わってあとは下校するのみとなった時刻のことだった。
体育館の鍵を返しに職員室まで立ち寄っていたためか、俺が駐輪場に到着した頃には他の部員は誰もいなかった。気温も下がって秋らしくなったこの時期、暗くなるのも早まってしまったのでみんなさっさと帰ってしまったのだろう。
俺も早く帰ろっと。そう思って自転車に跨ったところで、どこからか誰かが話し合う声が穏やかな風に乗って聞こえてきたのだった。
生徒会でも残ってるのかな?
つい気になってしまった俺は自転車を降り、ただ興味本位で声の聞こえる方へそろりそろりと歩く。
声の発生源は駐輪場から回る、校舎の裏側だった。建物の陰に隠れて街灯もほとんど届かない、草もボーボーに伸び放題なので不良がたまるのも気が引けるというそんな場所だった。
そんな場所で、校舎の壁に背をもたれかけながらふたつの人影がぼそぼそと声を交わしている。どうやら男子と女子のようだ。
暗いので顔はよく見えないが、これ以上近付くと確実にバレる。俺はギリギリまで近づいたところで耳をそばだて、ふたりの会話の内容を拾ったのだった。
「筒井君、私たちいよいよ明日、本番なんだね」
「そうね、ようやくこのクソ難しい曲から解放されるわ」
「ははは、自分たちで選んでおいて、ひどい言い草だね」
「まあ最後なんだから、でっかいことひとつやってやったわよって気持ちで終わりたいじゃない。これ終わったらもうウチら引退なんだからね、あとは立つ鳥跡を濁さずで下級生にお任せするわよ」
「そうだね、そろそろ受験に本腰入れないとやばいもんね。他の部活はだいたい夏で引退してるんだし。でも……」
「どうしたのよ?」
「私、このままずっと明日が来なけりゃいいのにって思ってるんだよ……あんなに部長なんてもう辞めてやるって何度も思ったはずなのに、今さらになって辞めたくないって想いがどんどん膨れ上がってきちゃってさ」
「奇遇ね、ウチも同じ気持ちよ。今年はずっと練習練習で大変な思い出ばっかりなのに……ホント、部活やめるのがこんなに寂しくなるなんて想像だにしたこと無かったわよ」
続いて聞こえてきたのは、小さな嗚咽。それを聞いた俺はそっと体の向きを変え、足音を立てないよう慎重に歩きながら駐輪場へと戻ったのだった。




