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第十四章その2 マーチング前の時間

「砂岡、足おそーい」


 100メートルを全力疾走し終えてへとへとの俺を指さしながら、男子より先に走り終わってしゃがみ込んでいた松子がクスクスと笑う。そんな彼女の座る列の先頭では、1位の旗が風になびいて立てられていた。


 俺は「うっさい!」と返しながら、渋々4位の列に並ぶ。


 プログラム1発目、2年生による100メートル走に挑んだ俺は、同時に走った4クラスのランナーの中で最下位に沈んでいた。


 少し前に測った時はタイム15秒0だったから、中2男子としては平均よりもやや速いという自負はあったのに……よりにもよって同組が陸上部のエースに野球部の外野手に学年一の長身バスケ部員とかさ。


 文化部の俺にとっては無理ゲーすぎる。サッカー日本代表がワールドカップのグループリーグでドイツ、ブラジル、フランスと同組になって1位突破する方がまだ可能性あるぞ。


「あはは、2の4鈍足ばっかりでやんの!」


 1組の男子がいらんことを言うので、俺は無言のまま小突いて返した。てかお前も3位じゃねーかよ。


 この学校の体育祭は1組から4組の縦割りで優勝を争う。つまり俺たち2年4組の場合、1年4組と3年4組が同じチームという扱いになる。


「いきなりドベだよ……」


 全員が走り終えてクラスのテントに戻った俺たちは校舎の窓ガラスに張り出されたポイントを見て、がっくりと肩を落としたのだった。別に体育がそこまで好きってわけでもないけどさ、競うからには優勝したいってのが人情ってもんだよ。


 ちなみに4組の隣のテントでは、現在1位の3組がイエーイと互いにハイタッチを交わして歓声をあげている。宮本さんも女の子同士きゃーっと飛び跳ねて喜んでいるあたり、この体育祭を満喫しているようだ。


「続きましては1年生による玉入れです。それでは選手の入場です、皆さん盛大な拍手をお願いします」


 アナウンスに乗せられて、顔を上げた俺たちはぱちぱちと手を打ち始めた。入場ゲートから玉入れのカゴやら布製の球を分担して持ちながら、まだ初々しい見た目の1年生たちが小走りで現れて運動場に散らばる。


 玉入れは4クラス同時、男女混合で行われる。1度にクラス全員で投げ入れるのはさすがに手狭なので、3チームに分かれて3セット繰り返すそうだ。


「えぐっちゃん、頑張れー!」


 松子が手をメガホンにして声を張り上げる。見ると4組の選手にはホルンの江口さんが混じっていた。


 やはり女の子で170cm近い長身は遠くからでも目立つ。他の女子生徒がおよそ150cm前後なので、彼女だけがぼこっと突き抜けているようだった。


 やがて競技が始まると、俺と松子は自分の目を疑った。


 なんと江口さんは拾い上げた球を軽く握ってカゴに狙いを定めると、次から次へとぽいぽい放り込んでいるのだ。その精度、百発百中。手に持った球はまるで意思を持っているかのように吸い込まれていく。


「すっげ……あの子そんなに運動得意じゃないと思ってたのに」


「あー、えぐっちゃんたしか小学校の時、スポ少でバスケやってたって言ってたっけ。体力無いから続かなかったみたいだけど、フリースローはかなり特訓したみたいだよ」


「その経験が生きてるのか?」


 俺たちが唖然としている間に、ピストルが鳴らされて競技の終了が告げられる。不甲斐ない2年生とは違い、1年の玉入れは4組が他の追随を許さぬ圧勝を成し遂げたのだった。




 その後、3年の騎馬戦や学年混合の2人3脚が次々と執り行われ、体育祭午前の部のプログラムは進んでいく。とうとうほっと一息、昼休憩の時間だ。


 生徒たちは一旦教室に戻り、そこで昼食を摂る。保護者の皆さんはテントの下で重箱を広げたり、木陰にレジャーシートを敷いたり、中には一度家に帰ったりと様々だ。


 やっぱり小学校と比べると、見物に来る親御さんも少ないよな。どちらかと言うと中学生の子供を見るためよりも、小学生の弟や妹を楽しませる目的で来ている感じがする。


「吹奏楽部って、この後マーチングだよな?」


 机を合わせていっしょに昼飯を食べていた男子が、弁当の肉団子を頬張りながら俺に尋ねる。


「ああ、飯食ったら早めに下りるんだ。あらかじめ音出しとかないと、音程合わないからな」


「そうか、楽しみにしてるから景気いいのたのむぞ!」


「おう、昼ご飯の後だからって寝てんじゃねえぞ。寝てても爆音で起こしてやるからな」


 弁当をかき込んだ俺は、さっさと歯磨きを済ませるとダッシュで1階の理科室に向かう。そしてケースからユーフォを取り出すと、理科室の勝手口から直接グラウンドに出たのだった。


 父兄の皆さんや小学生くらいの子供たちの奇異の目を一身に浴びながら、入場ゲートまですたこらと走る。そしてまだ他の生徒もほとんどいないゲート下で、俺は楽器に息を吹き込んでお決まりの『星条旗よ永遠なれ』を鳴らしたのだった。


 今日は昼になってもあまり暑くならないのが原因だろうか。楽器が冷えた分、朝よりも音が低い。これ、吹いてる間にピッチ変わりそうでイヤだなぁ。


「あ、砂岡先輩やる気満々ですね」


 そうこう思いながら演奏していたところに、でっかいマーチング用バスドラムを身体の前に装着したたくちゃんが声をかける。たくちゃんはそこまで身長が高い方ではないが、がっしりした体格のおかげで大きな楽器を抱えても安定感があるように見えるな。


「全校生徒が見てるからな。今朝の『旧友』もだけど、『レイダース・マーチ』でもみんなを驚かせてやろうぜ」


「ふふ、兄ちゃんも同じこと言ってましたよ」


 そこから時間が経過するとともに、他の吹奏楽部員も楽器を持ってひとりまたひとりと集まる。そして昼休みが終わる15分前には、25人全員がゲート下に集合していた。


 皆それぞれが音を出し、電子チューナーでピッチを調節する。その見慣れぬ異様な光景を他の生徒たちは「何してんの?」だの「何か吹いてー」だの野次を飛ばしながら、クラスごとのテントに向かっていた。


「そろそろ全体でチューニング合わせない?」


 ボーンのスライドの滑りを確認しながら、筒井先輩が藤田部長に尋ねる。フルートの細かい刻みを練習していた部長は「そうだね」と楽器から口を離すと、片手で頬をぱしんと軽く叩き、自らに喝を入れた。


「みんな、ちょっと聞いて!」


 そしてこれまで聞かせたことも無いような大きな声を、各々最後の練習に励む部員たちに発したのだった。どこまでも広がるようなフルートの響きとは違って、控えめな部長がここまで声を張り上げるのも珍しい。部員たちはすぐさま楽器を鳴らすのを中断し、藤田部長の顔に目を向けた。


「これからチューニングを合わせるん……だけど、ちょっと話させてほしいの」


「話?」


 部員たちはにわかにどよめく。だがぐるりと全体を見回す部長の視線に圧されて、すぐさま静まり返ってしまった。


「まずみんな、ここまでいっしょについてきてくれてありがとう。私たち、入部したときはコンクールで県大会出場はおろか、体育祭でマーチングまでやることになるなんて思いもしなかったよ」


 そう言って部長は楽器を手に持ったまま、深くお辞儀をした。その部長の姿につられ、俺たちもつい頭を下げてしまう。


「前も少し話したかもしれないけれど、私たち卒業まで特に大きな成果を挙げることも無く、毎日少し演奏して遊んで3年間が終わるものだとばかり思ってた。でもそんなところに手島先生がやって来て、経験者の砂岡くんと宮本ちゃんも加わって……うちの吹奏楽部は明らかに変わったよ。中2までの2年間よりも、3年になってからの半年の方が何倍も密度が高かった」


 ホルンのぽっちゃり先輩がうんうんと頷く。部長はそれに応えるようににっと微笑むと、「だから」とさらに続けた。


「できるなら私、このメンバーでもうしばらく続けたかったよ。でも、いつまでも出しゃばってるのは良くないよね……みんな、出来の悪い部長だったけど、ずっといっしょに演奏続けてくれてありがとう!」


 にこりと微笑む部長。だがその目の端が太陽の光を反射してきらりと白く光っているのを、俺は見逃さなかった。


「ちょっと、本番前なんだから湿っぽいこと言わないでちょうだいよ!」


 筒井先輩がその大きな掌で部長の頭をつかみ、ぐわんぐわんと揺らす。


「だいたいまだ体育祭よ。そういうのは明後日の文化祭まで取っておきなさい!」


「いたたた、ご、ごめん、なんだか感情が高ぶっちゃって」


 部長がそう弁解すると、筒井先輩は「まったくもう」と手を離した。結構激しく揺さぶられていたせいか、部長はふらふらと首を回しながらも俺たちに苦笑いを見せ、本番前とは思えないたどたどしい手つきで楽器を構えたのだった。


「じゃあチューニング始めようか。クラリネット、音出して」

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