第十四章その1 開会式は生演奏に限る!
10月上旬、爽やかな晴天に恵まれた笠縫北中学はついに学園祭1日目、体育祭を迎えていた。
「他の生徒来ないうちに、急いで運んで!」
朝っぱから生徒会や体育委員会が準備を進める傍らで、俺たち吹奏楽部もマーチングで使う楽器を4階から1階まで降ろしていた。だが管の中に砂が入ったり日光で傷むので、長時間屋外に置いておくことはできない。グラウンドに面した理科室を保管場所として確保しておき、出番になると取り出すというのが今回の段取りだ。
トラックを取り囲むようにテントが設営され、その一角で生徒会手作りの入退場ゲートが口を開けている。そのゲートの下に、ジャージ姿の吹奏楽部員25名はそれぞれ楽器を携えて集まっていた。
「最終確認だけど、私たちの出番は開会式の入場行進と、午後一発目のマーチングだからね」
部長がフルートを縦に持ちながら、グラウンドを指さして全体に動きを説明する。今日はいつもの三つ編みお下げではなく長い黒髪を後頭部でスポーディにまとめたお団子ヘアなので、まったく別人のような印象を受けるな。
「松井ちゃんのホイッスルで足踏みを始めて、Aの小節から歩き出すんだよ。全校生徒が私たちの演奏に合わせるから、松井ちゃんお願いね!」
「モチのロンです!」
松子は指揮棒代わりに赤色の紐を巻き付けた1メートル近いバトンをくるりと一回転させると、ビシッとポーズを決める。つい先日、腱鞘炎を発症したとは思えない元気っぷりだ。
だが彼女は決して完治などしていなかった。
実は本番前にも追加で痛み止めの注射を打っており、今はある種のドーピング状態にあるそうだ。この事実を知るのは俺と藤田部長、手島先生のみ。本人は大丈夫だからと強がってはいるが、俺たちは本番中に薬が切れたり副作用で変なことにならないかと冷や冷やしていた。
そんな松子を心配してか、部長はふふんとしたり顔の松子を見つめて一瞬だけ眉をひそめるものの、すぐさま部員たちに向き直って解説を続ける。
「私たちが入場したら、1年1組から3年4組まで順番に後に続いて入場するよ。トラックを一周ぐるっと回って、最後は全12学級が入場するまであの辺りで足踏みして演奏続けてね」
入場行進において、吹奏楽部は全校生徒を先導する役割も担わされている。朝から来ている熱心なお客さんの注目度も高い場面なので、ここはきっちり演奏するだけでなくきれいな姿勢で歩き続けなければならない。
そして何より、長らく途絶えていたマーチングの15年ぶりの復活だ。ここで俺たちが皆をあっと驚かせられれば、これから再び本校吹奏楽部の新たな伝統を築くことができる。部員たちのモチベーションはコンクールに匹敵するほど高まっていた。
「じゃあみんな、最後の練習だから今が本番だと思って、100%の力出していこうね!」
朝の練習を終えて1階の理科室に楽器を置いた俺たちは、それぞれのクラスに戻って出欠確認を済ませる。そして他のクラスメイトが廊下に並んで集団で移動するのとは別に、吹奏楽部員だけは一足早く再び理科室へと向かった。
理科室で楽器を回収した俺たちは、楽器をかばいながら入場ゲート前まで移動する。すでに保護者の皆さんも大勢が押し掛けてきているようで、父兄用の見物スペースにはでっかいカメラを構えたお父さんや、奥様友達と大声で会話を交わすお母さん、ぼーっと空を見上げるお爺ちゃんの座る車いすを押して歩くお婆ちゃんなど様々なお客さんが訪れていた。
ゲート付近では既にいくつかのクラスがまとまって入場行進まで友達同士話しながら時間を潰していた。だがそこに管楽器を持った吹奏楽部員が現れると、物珍しさに「何だアレ?」と大勢が好奇の目を向けるのだった。
「砂岡、お前本当にそんなの鳴らせるのかよ?」
ゲート下で待機していた俺に、近付いてきたクラスの男子が茶々を入れる。毎日演奏しているのも聞こえているはずなのだが、基本興味ないから見てないよな。
これまで全校で入場行進の練習は何度か行われていたが、その際に吹奏楽部は楽器を持たず、あくまでも行進の動きだけを確認する形になっていた。俺たちの演奏で入場するのは、彼らにとっても初めてのことだ。
「それがお前の話してたユーフォってやつか。想像してたのと違うな」
「どんなの想像してたんだよ?」
「もっとリコーダーっぽいの」
楽器に詳しくない生徒とっては、口で吹く楽器イコールリコーダーという認識らしい。マジで日本の器楽教育の浸透力は恐ろしいよ。
「ところで砂岡。あの楽器、何て言うんだ?」
言いながら男子が指さしたのは、他の女子生徒と会話を交わす宮本さんだった。にっこり笑っているあたり、「演奏頑張ってね!」とか「うん、頑張るよ。そっちも頑張ってね!」みたいな爽やかな言葉をかけ合っているのだろう。
そんな宮本さんが持っているのは普段のチューバとは違い、身体をぐるぐると取り巻くような形状の、巨大な管楽器だった。
「ああ、スーザフォンだよ」
「へえ、スーザフォンか……」
男子は顎に手を当てて黙り込む。見た目が変わってるから、興味持ってくれたのかな?
「……可愛いな」
だが直後、男子はそう言ってにやっと下品な笑みを見せる。俺、今の一瞬だけでこいつに対して殺意にも似た感情が芽生えてしまったぞ。
「お前ら、入場までもう少しだ! 列整えて静かに待ってろ!」
ちょうど体育の先生が現れ、ずんずんと練り歩きながら声を張り上げる。途端、それまでわいわいと雑談を交わしていた生徒たちもぴたりと私語をやめ、列をはみ出ていた生徒たちは一目散に所定の位置に戻った。
もうそんな時間か。俺はマウスピースを口に軽く当て、楽器のピストンだけを押して頭の中だけで自分の演奏を思い描く。
他の部員もおおむね同じようで、それぞれの運指とテンポ120での足踏みを確認したり、ただじっと目を閉じて自己のイメージに入り浸ったりと本番に向けて最後の調整を行っていた。先頭の松子もきりっとした顔つきで、その場でくるくるとバトンを回している。
「それでは、入場行進の時間です」
放送委員会のアナウンスがグラウンドに鳴り渡る。ついに予定の時刻を迎えたのだ。
「よし、行くよ!」
掛け声とともに松子がバトンを高く掲げ、ホイッスルを口にくわえる。俺たちもそれぞれ楽器を口に触れさせ、いつでも演奏できる態勢を整えた。
ピィー――――ピ! ピ、ピ、ピ!
長いホイッスルでメンバーの注意を引き付けた後、テンポ120のリズムを足と笛で知らせる。そしてもう1拍を挟み、俺たちは『旧友』の演奏を始めたのだった。
トランペットとサックスから始まる独特な主旋律。スピーカーを通した音とは全く異なる、本物の楽器が奏でる生演奏に、会場のお客さんは下を向いてカメラの調整をしていたおじさんも含めて「え?」と一斉にこちらに目を向けた。
松子が歩きだすのに合わせて、俺たちも前に進む。吹奏楽部の先導による入場行進というのは予想すらしていなかったのだろう、ゲートから出てきたばかりなのに父兄や来賓からは盛大な拍手が沸き起こっていた。
そしてこの曲は早い段階からユーフォとテナーサックスによる裏メロが用意されている。俺の演奏を聴いてくれ、とばかりに息を吹き込んで奏でると、グラウンドになだらかな中低音が響いてすさまじいまでの高揚感に包まれてしまった。
ドラムメジャーの松子も基本はバトンを上下させて俺たちに正確なリズムを伝えているが、時折曲に合わせてバトンを真上に放り投げてキャッチすると、来客のカメラが一斉にパシャパシャとフラッシュを焚いた。小学生くらいの子供が「かっこいい!」と歓声をあげるのも聞こえ、俺たちは演奏の最中にもかかわらずにやっと目を歪めたのだった。
ちなみにこの曲自体は5分もかからない短いものだが、12学級がトラックを一周して所定の位置まで移動するとなるとそれなりの時間がかかる。そのため俺たちは曲が終わったらまた途切れないまま最初の小節に戻り、全員が整列するまで同じ曲を繰り返し吹き続けた。
『旧友』は行進曲としては展開が多様であるものの、終わり方は意外とあっけなく、1ループだけでは「え、ここで終わり?」となってしまうだろう。まるで式典に合わせて繰り返し演奏することを前提としているような曲になっているのだ。
やがて12学級がトラックの内側に整列したところで、「全体、止まれ!」とアナウンスが入る。その指示に合わせて、400人の全校生徒はぴたりと足を止めた。
「えー、本日は天候にも恵まれ、えー無事開会式を迎えることができ、えー」
相変わらずの「えー」を連発する校長の話を聞いた後、校歌斉唱、さらに吹奏楽部員以外の生徒による準備運動を済ませて開会式を終える。
そして退場のシーン、俺たちはまたしても『旧友』を演奏し、先に各クラスの生徒たちが撤収するまでグラウンドに残って足踏みを続けたのだった。
来年はこの退場シーンは入場とは別の曲でやりたいな。あと校歌も、合唱じゃなくて吹奏楽部の演奏でやるとかさ。
ついに最後まで残っていた学級が移動を始め、俺たちはその後に続いてゲートへと向かう。そこから俺たちが観客の前を横切る際には、父兄の皆さんから大きな拍手があがっていた。ちらりと目を向けると、誰かの妹だろうか10歳くらいの女の子が目をキラキラと輝かせて行進する俺たちを見つめている。
俺は心の中でやったぜとガッツポーズを作り、満足至極の演奏のままゲートをくぐったのだった。
「みんな、お疲れ!」
「良かったー、ミスしなかったー」
ゲートをくぐって演奏を終えた俺たちは、互いに安堵の顔を向けて声をかけ合う。本当ならハイタッチして喜びを分かち合いたいところだが、長いこと太陽の下で足踏みと演奏を同時に続けていたおかげで既に元気が尽きている。
「砂岡、お前すげえな!」
だが今回、いっしょに喜んでくれるのは吹奏楽部だけではなかった。なんとゲートをくぐった先では吹奏楽部でない生徒たちも大勢が待ち構えており、帰ってきた俺たちを大喝采で迎えてくれたのだった。
「吹奏楽部ってあんなことできるんだね」
「コンクールで表彰されたのも、こりゃ納得だな」
「私も高校入ったら吹奏楽、始めようかな?」
誰がどう見ても大絶賛。今までこんな言葉をかけられたことの無い部員たちは、慣れない事態に戸惑いながらも「ありがとう」と照れ臭そうに笑って返していた。
2学期の始業式の時とは明らかに違う。俺たちは今の演奏で、生徒たちの吹奏楽部に対する認識を変えられたのだ。
ふふん、どんなもんだい。やってやったぜと俺は悦に浸る。
「おい砂岡!」
だがその気分をぶち壊すかのように、クラスメイトの男子が俺を大声で呼んだのだった。
「砂岡、お前100メートル走出るんだろ。もうすぐ集合時間なんだから、さっさとしろよー!」
「わかってるよー。もう、せわしないなぁ」
くそ、せっかく人が気持ちよく感慨に耽っていたというのに。俺はせかせかと走り出し、楽器を置くべく理科室へと向かった。




