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第十三章その4 天使の歌声

 翌日の土曜日、午前の練習を終えた俺たちは駅前のファーストフード店で昼飯を済ませると、すぐ近くのカラオケボックスに向かった。


 午後から予定の無い部員12人が連れ立って入店すると、やや手狭な受付ロビーはあっという間にぎゅうぎゅうになってしまった。


「こっちに引っ越してからカラオケ来たの、初めてだな」


「そうなの? じゃあ思う存分歌いなよ、ここ学生証見せれば安くしてくれるからさ」


 スタッフに会員カードを渡して受付を済ませていた徳森さんが、割引キャンペーンのポスターをすっと指さす。


 しばらくしてスタッフはカゴに入ったマイクと、ドリンクバー用のコップをカウンターに置いた。


 今回は人数が多いので、2部屋を分けて利用する。12人でひとつの大部屋を利用すると、全員が1曲歌っただけで1時間近く経っちまうからな。


「先輩、飲み物何にします?」


 たくちゃんは一度にコップを何個も持つと、カウンター脇のドリンクバーに向かう。よくできた後輩だ、俺たちの分まで入れてくれるのだろう。


「私、メロンコーラ。コーラとメロンソーダを1:1で入れるのがコツね」


 徳森さんの注文に「ブレンドはご自身でお願いします」と苦言を返す。


 いるよなー、いろんな種類があるのを良いことに、ドリンクバーでミックスするヤツ。コーラとメロンソーダ、カルピスとオレンジジュースくらいの組み合わせならともかく、最後の方になるとコーヒーも緑茶もガムシロップも全部混ぜ込んで、飲んだら即死効果級のダークポーションを生み出してしまうヤツが大概ひとりはいるよな。あれこそ食べ物に対する冒涜だよ。


 俺はアイスコーヒーで満たしたコップを持って、指定された部屋に移動する。電気を点けて浮かび上がったのは、広さ3畳もないスペースに机、ソファ、テレビに機械類がぎっしりと詰め込まれた窓の無い部屋だった。


 6人掛けって言われても、これだとめちゃくちゃ狭く感じるよな。


 俺はカニさんのように身体を横に向けながら、机とソファの間を移動して奥の席にどさっと座り込む。後ろからは宮本さんも続いていた。


「私もカラオケは久しぶりだよ。何歌おうかな?」


 そう言いながら俺の隣の席に、彼女は静かに腰を下ろした。


 よっしゃ、なんたる幸運! 俺、この一瞬だけでカラオケ代分の価値を堪能したわ。


「ほら松井、心配かけさせたんだからあんたから歌いな」


 こちらの部屋に入った6人が席に着いたところで、同室の徳森さんが隣の松子にマイクを渡す。


「じゃあそれなら……」


 マイクを受け取ると、松子は慣れた手つきでタッチパネル式のリモコンを操作して曲を入力する。そして送信ボタンを押して画面に表示されたのは、小柳ゆきの『あなたのキスを数えましょう ~You were mine~』だった。


「え、いきなりこれやんの!?」


 俺はぎょっと目を剥いたが、徳森さんや他の部員は「さすが松井、こうこなくっちゃな!」とノリノリだ。


 歌唱力のずば抜けて高い女性歌手、そのデビューシングルであるこの曲は、サビの部分ですさまじい高音と声量が要求される。カッコいいから真似して歌おうと思って、まったく音が出てこないで後悔する曲の筆頭だ。


 だがこの難曲を、松子はさも当たり前のように平然と歌い上げていた。音程と声量だけでも大したものなのに、伸ばすところではしっかりとこぶしを利かせ、部屋の空気をぐおんぐおんと震わせている。


 そして5分少々の歌を終えた松子に、「ブラボー!」と大絶賛の拍手が贈られる。いやぁ、こいつ演奏だけじゃなくて歌唱についても常人を大きく上回っているな。


「お前、よくあんなの歌えるなぁ、聞いてるこっちもめっちゃ難しそうって思うのに」


「ふふん、まーねぇ。次は砂岡やってよ」


 そう言って松子は俺にマイクを押し付ける。


「砂岡って歌得意なの?」


 徳森さんが尋ねるも、俺は「実はよくわからん」と首を振って返した。実はカラオケ、広島にいた時もそこまでの回数来たこと無いんだ。あそこの学校じゃ校則厳しくて、生徒だけでカラオケに行ったのがばれたら問答無用で生徒指導室に連行されたからな。


「一応クラスの合唱じゃ、テノールの中心だよ」


 松子がフォローしてくれている最中、俺はタッチペンで画面を押してポチポチと曲を選ぶ。


 そして画面に現れた文字を見て、ボックス内は「え?」と固まったのだった。


「『イエロー・サブマリン』ってビートルズ?」


「砂岡くん、ビートルズ歌えるんだ」


「ああ、親父がビートルズめっちゃ好きで、俺も曲は一通り覚えた」


 やがてデータを読み込んだ機械から、ちょっと気だるげなリズムでギターの演奏が聞こえ始める。当たり前っちゃ当たり前だが、見事に英語ばかりの歌詞。


 その上に表示されたカタカナに合わせて、俺は口遊むように歌い始めた。随所随所でアクセントを利かせたり声を震わせたりして、一本調子なこの曲にも緩急をつける。


「砂岡、英語上手いんだねぇ」


 歌い終わったところでぱちぱちと拍手を贈ってくれる松子に、俺はふふんと鼻息を鳴らす。


「歌だけな。テストではあんまし好きじゃない」


「わかるよ砂岡。私、今でもfromとtoのどっちが『から』なのか『まで』なのか迷うもん」


 くぅーと歯を食いしばりながら、今にも泣き出しそうな声をあげる徳森さん。だが一同は「それくらいわかるわ!」と辛辣に突っ込み返していた。


「じゃあ私も歌っちゃおうかな」


 そしてまだマイクを握っている俺に、みやぽんこと宮本さんがすっとその白く小さな手を伸ばす。


 いよっ、待ってました!


 俺は「どうぞどうぞ」とダチョウ俱楽部ばりの反射速度でマイクを手渡した。


 既にリモコンを入力しているようで、曲名が表示されると同時に微笑みながらマイクをかまえる宮本さん。さあ、彼女はどんな歌を聞かせてくれるのだろう?


 我が天使宮本さんのことだ、きっとカナリアのような清らかな歌声で俺の涙腺を刺激してくれるだろうな。備え付けのタンバリンも持ったし、バッチコーイだぞ!


「あんたたち、耳塞ぎな」


 だがイントロが流れる最中、徳森さんが周りのメンバーにこそこそと呟く。他の部員たちは真顔のまま静かに、両手で耳を押さえた。部員たちの行動に、画面を見つめていた宮本さんは気付いていないようだ。


 彼女らがなぜこんなことをしているのか、俺はまるで理解ができずぽかんと固まる。


 そして次の瞬間だった。宮本さんが第一声を発した時、俺の全身はびりびりと震えがった。


「うぉおおお!?」


 血液が逆流して内臓がひっくり返ってしまうかという不快感に、俺は唸り声をあげて耳を押さえる。


 これはひどい。カナリアじゃなくて金切り声だよ。聞き続けていたら鼓膜が共振して、いつか耳からパーンと血が吹き出てきそうだ。


 音痴とかそういう次元じゃない。無駄に高い方に外しまくっているせいで、黒板をひっかいた時のような音がこれでもかと俺たちの鼓膜を切り裂いていく。


 しかもチューバで鍛えた肺活量のおかげで見かけによらず声量もあるから、その効果範囲は室内どころか部屋の外まで漏れ出ているようだ。ガラス扉の向こうでは通りがかりの店員さんがびくっと跳ね上がり、運んでいたポテトを落としてしまっていた。


「去年あの子がいたおかげで、うちのクラス合唱コンぶっちぎりの最下位だったんだよ」


 鳴り止まぬ騒音を超えた音波兵器に、徳森さんは苦痛に顔を歪めながらも俺に伝えた。


 部員たちが次々と机に突っ伏したまま動かなくなったり、白目を剥いてだらんと手を垂らす阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな中で松子は床を這いずりながら、ようやくテレビの下のカラオケマシンにたどり着いたのだった。


「みやぽん、ちゃんと曲聞いて!!!」


 そう訴えながら機械のつまみを捻って、マイクのボリュームをぐぐっと落とす。さすがの宮本さんも突然自分の声が聞こえなくなったのには気付いたようで、「せっかく気持ちよく歌ってたのに」と頬を膨らませていた。


 どうやら楽器の腕と歌の上手さは、相関関係を示さないようだ。

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